ペットの死と向き合う
ペットとの生活をスタートすると、いずれ必ず向き合う必要のあること。
それが別れである。
今回は私自身が向き合った過程を書き残しておこうと思う。
家族
ペットとは、家族の一員である。
同じ性を付け、命名し、言ってしまえば赤子を授かるのと同じ感覚になる。
自らが親であれば、子どもが一人増えるような
自らが子であれば、きょうだいが一人増えるような
自らが独り身であれば、人生のパートナーができるような
家族の一員としての出迎えることになる
そして、我々が地球上の人間である限り、
ペットは私たちより後にやってきて、先にいなくなる
これは、家族のタブーであるように思う。
ペットを子どものように思えば、
親より先に死ぬ子どもは親不孝である
ペットをきょうだいのように思えば、
上より先に死ぬなんて順番が違う
ペットをパートナーと思えば、
パートナーより先に死ぬなんて無責任だ
ペットと暮らすということは、
これらをすべて受け入れる必要がある
時に人は、
これらに目を背け、
生の部分のみに目を向けることもあるだろう
それでも、
いつかは必ずやってくる
時間
人生にはタイムリミットがある
そして、ペットと暮らす時間にも同じことが言える
上述した通り、
我々が地球上の人間である限り、
基本的にペットは私たちより後にやってきて、先にいなくなる
動物により大体の寿命は決まっている
人間であれば今だとおよそ80歳
犬猫だとおよそ15歳
うさぎだとおよそ7歳
ハムスターだとおよそ2歳
メダカだとおよそ3歳
更に言うと、病気等を患わってしまうと、
人間のようにはいかない
動物医療の進歩も進んでいるのであろうが、
治療できる範囲にはどうしても限度がある
お金の観点もあれば、
治る保証がなかったり、
これ以上苦しい姿を見たくない、という気持ちになる人も多くいるだろう
ペットとの時間は、
人間の限られた寿命の中でも、
さらに限られた時間となる
当たり前のことを言っているが、
当たり前に意識できているかと言うとそうではないだろう
それでも、一緒にいたい
それでも、
先にいなくなると分かっていても、
時間は思っているより短いかもしれないけれど、
人はペットと一緒にいたいと思う
人は、家族とともに過ごしたいと思う
家族とともに笑い合いたい
同じ時間を共有したいと思う。
生物は自らが死ぬと分かっていながら、なぜ生きるのだろう
そんなことを幼少期に考えたことがあった
その答えが、少しだけ見つかったように思う
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