鳥山明と藤子・F・不二雄の功罪
鳥山明は罪な男だと思う。
彼は今でも、私に「精神と時の部屋があったらなあ」と希望を抱かせる。
締め切りを抱えて辛い時。
時間が足りない時。
私の前にも界王さまが現れて
「仕方がない、精神と時の部屋で修行をしてきてもいいぞ」
と言ってくれるんじゃないかなって。
私がするのは修行じゃないけどさ。
藤子・F・不二雄はおそらく、ほとんどの日本人に、無意識レベルで
「ドラえもんがいたらなあ(もしかしてドラえもんいるかもしれない、とほぼ同義)」
と思わせてしまっていると思う。
ドラえもんはいない。
精神と時の部屋もない。
時間は止まらないし、過去は変わらない。
日本人は、そんな当たり前のことを、本当の意味で理解していないんじゃないか。
鳥山明と藤子・F・不二雄のせいで、
「どうにかなるんじゃないか・・・」
と思ってしまっているのではないか。
そんな気がしてならない、締め切り前夜。