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それは焼酎から始まった。

バーを始めようと準備をしていた2004年初めころ、
既にバーで働いている友人が
「最近は焼酎がじわじわ来てるよ。」
と教えてくれた。

焼酎かぁ・・・・・

80年代初めころ、東京では焼酎(この記事でいう焼酎は割り材の甲類ではなく乙類の本格焼酎のことを指します)を飲んでいる人は殆どいなかった。

そもそも飲食店のメニューには無い。
ましてや今のように酒屋やスーパーの店頭にもなかった。
まれに酒屋で見かけたとしても奥の隅の辺りに目立たないように薩摩白波がぽつん置かれている程度だった。

その後たまたま芋焼酎に出会う機会がありお湯割りを勧められて試してみた。

置かれているその状態で初めての香りが漂っている。
中々グラスを持ち上げられなかった。

ん~~~

飲んだ時の感想。

何とも説明できない初めての体験。

結局

もーいいや。

で終わった。

20年後リベンジのチャンスがやってきた。

友人の

「これから焼酎ブームが来るよ。」

の一言に、
これから酒を売る仕事を始めるのだから
少し勉強してもいいかな。
日本の文化だし。

ブームはやがて終端を迎える。
インベーダーゲームのように。

今しか出来ないことかも知れない。

ブームが終われば、
今やろうとしているバーのスタイルに戻せばいい。

そして
Grayは焼酎バーとしてスタートすることになった。

芋焼酎の仕入れはかなりの高ハードルの連続だった。
バーの来店者は2軒目以降、そうなると1軒目の飲食店に置いてあるような
銘柄は置けない。

もともと焼酎は地消地産の文化だった。
生産量は変わらないのに全国デビューしたため人気銘柄は「幻」
と言われる程希少になった。

雑誌などで掲載されやがて
3Mというブランド銘柄
が確立された。

森伊蔵
魔王
村尾

3M以外の人気銘柄でも仕入れ先の九州や都内の酒屋は一本では売ってくれず
他に数本纏めて注文しないと受けてくれない。

日本全国から問い合わせが来るのだからどこに売るかを考えたら
当然ながら沢山買ってくれるとこ、
になるのは理解できる。
おかげで取り扱い本数はどんどん増えていった。

加熱したなぁ・・・・

Grayを始めて分かったのは、この武蔵小山には意外にも九州出身の方が多い事。

おかげで生の地元の話は勉強になった。

結婚披露宴で「酒」と言ったら芋焼酎のこと。
東京生まれの僕は子供の頃風邪ひいて喉が腫れた時には親はガーゼに長ネギの青い部分を包んで喉に巻いた。
鹿児島出身のある方はガーゼを芋焼酎で湿らせて喉に巻いた。
産まれたばかりの赤ちゃんは芋焼酎を混ぜた産湯で身体を拭かれる。

と教えてくれた。

焼酎との関わり方が強いんだ。

東京において日本酒との関わり方以上に焼酎の文化は地元では生活に入り込んでいることを知った。

こういう出会いがありいろいろな焼酎を飲む機会が増えた。
初めて芋焼酎を飲んでから20年。
店を通して焼酎と触れ合う機会ができ美味しさがわかるようになった。

一番感動したこと。

「焼酎は目覚めがいいよ」

焼酎ブームを予見してくれた友人が言った一言。
僕に限らず二日酔いというワードは酒飲みなら誰でも知っているはず。

その友人のバーで芋焼酎を飲んだ次の日、

スカッと目覚めた。

これが彼のいう
「目覚めがいいよ」
なんだ。

芋焼酎には血栓を溶かすなどの効果があるらしい事などもわかり
体に優しいお酒と認識されるようになったのかな。
現在ではビールと同レベルにどこでも扱われるお酒になった。

九州の知らざれる文化が全国区になり東京に居ながらにして触れることができたこと、焼酎の美味しさが分かるようになったこと。

焼酎バーからスタートしたことでお酒に対する視野が広がった。
リベンジは大成功に終わった。

当店に焼酎があるのはこれが理由です。




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