メールは開けたらその場で返す
メールを書くのが苦手という人いますよね。
例えば僕の妻がそうなのですが、「文章を考えるのに時間がかかる」のだそうです。
でも妻は友達とはLINEでポンポンやりとりしています。友達で文章を気にしなくて良いときはいくらでも書けるのでしょう。
そう言われてみると「メールを書く」って今となっては「お仕事」とか「公式」な状況が多いですね。
今となってはメールは、銀行とか役場に行って「公的な手続きをする」のと同じような億劫さがあるのかもしれません。
メールの返事がすごく遅い人や返事がない人いますよね。あれもどうしてなのか聞いてみたら、「変な誤解がないように何度も校正していると時間が経っちゃって、もう返事しなくて良いかあ」になっちゃうんだそうです。
それもわかるような気がしますね。本当は会って色々と話した方が良いなあって時のメールって妙に長くなって、「上手く伝わるかなあ」って自分でも疑問に思っちゃいます。
先日、ある方に「メールの返事のコツ」を教えてもらいました。
もうとにかくメールを開けてしまったら、閉じないで、その場で絶対に返事を書いてしまうのだそうです。
「ええと、この件は後で調べて…」って後回しにすると、そういう「未返信メール」がドンドンたまっていくから、その場ですぐに調べてしまって、その場ですぐに返事を書くそうです。
さらにその方、「お世話になっております」とか「今後とも引き続きよろしくお願いいたします」とかは一切なしなんです。
「了解です! また何かあったら連絡します。とりいそぎ」って感じで戻ってきます。
でもその人は「そういう人だ」ってわかっているから、そんなに失礼な感じはしないし、返事がとにかく早いので、こっちとしても「この案件はこれでおしまい」って気持ちになれるし、やっぱり助かる相手です。
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この件については何度も書いているのですが、これだけ通信手段が便利になったのに、僕たちは「文字で伝える」という手段を手放そうとしないですよね。
これ、やっぱり、白川静が指摘するように、この「文字」には「古代人の祈り」のような何かが染み込んでいて、書いたり読みとったりするときに、例えば「美しい音楽を聴いたとき」や「美しい風景をみたとき」のような、何か「人間の気持ちを一段上げるような力」があるような気がしています。
「文字情報を読む」という行為の心地よさについて、最近はよく考えてしまいます。
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のび太「ドラえもん、なんか最後の方がちょっとスピリチュアルっぽいね」
ドラえもん「これは危険だね。たぶんこの人、そろそろ字が上手くなる壷とか水晶とか売りはじめるよ」
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