プライドがない文章
※土曜日は読む人が激減することが判明したので個人的な話を。
先日、元編集者の友人が僕の文章についてこう評価してくれました。
「林くんの文章ってプライドがないから読みやすいんだよね。やっぱりプライドが妙にある文章って読んでいて疲れるし読みにくいんだよね」
なるほどなあ、です。
僕、こういう文章、本当にプライドがないんです。
なんか誰かとお茶でも飲みながら「そうそう、最近、カップルが喧嘩しているのを見かけたんだけど、なんか男が空回りしてて面白いんだよね。あれってたぶんこういうことだと思うんだけど…」みたいな気持ちで書いているんです。
この文章で「誰かに熱い気持ちを伝えよう」、あるいは「世の中を変えよう」とか「誰かが生き方を変えるきっかけになれば」なんてことはこれっぽっちも思ってません。
結果として誰かが僕の文章で「ああ、そうなんだなあ」といろんなことを考えてくれるかもしれません。
でも自分としては「なんか変なことを書くバーテンダーがいてさ、こんな説を言ってるんだよね。ちょっと笑っちゃうよね」って感じで「飲みの席」で軽く消費されるような「話題のネタ提供」みたいな気持ちで書いています。
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だから、自分の過去の文章を違う媒体で再掲する時に読みなおしてみると「あれ、言ってることが今と全然反対の主張しているなあ。これは使えないなあ」なんてことがしょっちゅうあります。
ほんとお茶を飲みながらの気持ちで書いているので、その時々の気分で「アナログだよね。やっぱり」みたいなことを書いているし、「デジタルに対応しないでどうする」みたいなことを書いていることもあります。
あるいは「人からの批判を自分を見直すきっかけにしよう」と書いているときもあれば「ほんと、人の批判って無意味だなあ」と書いているときもあります。
そうなんです。全くプライドがないんです。
あと僕と原稿のやり取りをしたことのある編集者はご存知かと思うのですが、僕は文章はどういう風にイジられても気にしません。
普通に考えて「てにをは」とか「ちょっとした言い回し」は第三者で多くの経験がある編集者の方が「よりよい文章」にしてくれるに決まっているし、「赤」が入っている文章の方が「僕の変な手癖」みたいなのがすっきり消えていて、すごく読みやすくなっているからです。
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この「自分にこだわりとかプライドがないという問題」なのですが、いつも「どうしてなんだろう」とよく考えます。
あるデザイナーの友人には「林くんはこだわりがないっていうのにこだわってるんだよ」とも言われました。
なんか禅問答みたいですね。
まあでも「プライドがない文章の方が読みやすい」っていう友人の言葉はかなり名言のような気がしています。