駄菓子屋と友達の思い出、と10月25日の日記
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小学3年生まで住んでいた街に「さきやま」というお好み焼きやゲームもある駄菓子屋があった。
関西文化圏で、お好み焼き屋は、夜になると居酒屋になる場合が多いが、そのお店は子供相手が中心で、お好み焼きも確か200円とか300円で食べることができた。
ゲームはまだインベーダーが出現していない牧歌的な時代で、大きいピンボールが2台あった。ピンボールはやたら上手な年上の男の子たちが必ずいて、僕たち小さい子はそのプレイを見て楽しんだ。
駄菓子でひとつだけ覚えているのがあって、コーラのキャンディが1個「50銭」だったことだ。1970年代当時、当然だけど「銭」という単位のお金は流通してなくて、もちろん「2個1円」ということなのだけど、「50銭」という文字が印刷されているキャンディを見て、僕たちは歴史の中に生きてるんだと自然と感じ取った。
母はもちろん「さきやま」に僕たち子供が行くのを嫌ったのだけど、両親が共働きで、たまに「お昼ご飯はさきやまでお好み焼きを食べて」と母からのメモがあり、500円札が置いてあったりすると、とても嬉しくなった。
どうしてああいう場所は子供たちにとってドキドキするのだろう。別に不良がたまるような場所でもなかったし、何か特別刺激的なことがあったわけでもない。
やっぱり「500円札」という大金を手に握りしめ、お店のイスに座り、「おばちゃん、僕、肉玉モダン」という瞬間に「独特のダンディズム」を感じていたのだろう。今、僕がバーなんてものを経営している理由なのかもしれない。
小学校、低学年の頃、そのさきやまで、学校ではあまり話さない男子のAくんとよく会った。Aくんはその地域の野球クラブに所属してて、そのクラブの先輩達と帰りにさきやまに立ち寄ってファンタやコーラを飲みながらだべっていた。Aくんはちょっと活発な気の良い奴で、僕に気づくと「お、はやし!」と笑顔で声をかけてくれた。
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