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9月22日の日記と、星野源のキャッチーさについて考える

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星野源の「キャッチーさ」について、ここ最近、考えていまして。

いや、正直に言いますと、星野源って、『半分青い』と『逃げ恥』の曲しか知らないのですが、どっちもなんだかとにかく「キャッチー」だなあ、すごいなあって思うんです。

なんでこんなに「キャッチー」なんでしょうか。

僕、常々、「あらゆる創作は、モノマネから始まる」と思ってまして、「ある日突然、完全に自分だけのオリジナルな作品ができる」ってことはありえないって思ってるんですね。

でも、星野源の音楽って、「どこにもない星野源の世界観」ですよね。さらにそれがとんでもなくキャッチーってどういうことなんでしょうか。

例えば、山下達郎とか小室哲哉とか中田ヤスタカみたいな「キャッチー」で、「その人たちならではのオリジナルな音楽」を作れる人たちっていますけど、彼らは「どういう音楽を聴いてきて、どういう音楽をコピーしてきて、どういう風に自分ならではの音楽に消化して、どういう意図で表現しているのか」っていうのがわかりますよね。

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