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ひゃくだん

🐸の故郷は長崎市。
住んでいたのは昔のこと、
ちょこっと書きます。

長崎は谷間の町。
谷間谷間で人柄が違っていた。
谷底を細い川が流れる。
平和公園そばには浦上川。
グラバー園そばには大浦川。
住んでいた丘は
蛍茶屋を流れる中島川のそば。

谷間に沿って路面電車が走る。
市民は電車と呼ぶ。
川沿いに五系統がある。
市民は単純に「3に乗る」と言う。

普段は2系統は走っていない。
始発終電は2が走る。
赤迫から大波止を経由して蛍茶屋に至る。

車庫は浦上と蛍茶屋にある。
赤迫に着くと電停から引き返す。
🐸がオタマジャクシの頃
電車の上のパンタグラフの向きを
二人がかりで反対に倒すのをみたことがある。
怖かった。

閑話休題

蛍茶屋の一つ前の電停は新中川。
この辺は道路拡張で片側2車線。
昔は電車からすぐに地面に降りて
数歩で車道を渡れた。
ちなみに
新中川から終点までは上り坂。
終電近い時刻の静けさの中
モーターがものすごい音を立てて
この坂を登る。

さて、
新中川を南に渡ると昔の我が家への道となる。
北に渡っていくと、
しばらく歩くと鳴滝塾跡にいたる。
我が家への道は
伊良林小学校のレンガ塀に沿って行く。
一時期、さだまさしも住んでいたらしい。
一級上の彼を、知らない。
その近所に同じクラスの女の子が居たけど。
45人9クラスの学年だから、
大半の同級生を知らない。

この道をしばらく行くとポストがる三叉路。
左に曲がると三菱造船の野球部の寮があった。
橋向こうには橋本という料亭。
我が家には右に曲がる。
寮のレンガ沿いに行くと
塀からクロガネモチの大きな樹が生えていた。
途切れる所にクリニング屋があった。
小父さんは怖い人で、
この細道を
松尾洋次郎*という病弱な同級生と帰ってる時、
彼と口論してケンカになった所に通りかかり、
弱いものいじめするな!と
ゲンコツを見舞われた。
小父さんの黒縁メガネと
背中に担いでいた唐草模様の大きな風呂敷を
今でも覚えている。
(後に洋画家となる、賢い同級生だった)

店の前を真っ直ぐ行くと
土橋が架かっていた。
中程に橋脚があり、
ここから中洲に飛び降りて
川で遊んだ。
土橋はもっと下流にもあった。
中島聖堂の前辺りで、
下流には高さ3メートルほどもある
石造りの斜面があった。
市内の上水井戸の取水口跡もあった。
こちらはかなり大きな橋で
道路から階段を何段か上っていた。

仇話はさておき、
橋を右に上ると横向き観音が祀ってあった。
脇に湧き水があって
夏に断水することがしょっちゅうだった頃
ここからポリバケツに汲んで坂道を上った。

その上は「ひろっぱ」で
崖にせり出すようにして駄菓子屋があった。
ここの婆さんも怖かった。
言葉が長崎弁ではなかったので
いつも怒っているように聞こえた。

右に行くと市内に通じる道。
左に上って行くと酒屋と向かい合わせに
クリニング屋があった。
その脇道から石段が続く。

その道は幅広で、真っ直ぐ我が家に続く。
この道は急ぐ時の下り専用。
クリニング屋の向かい
ひろっぱの前は大きな洋館があった。
長く空き家で、何回か探検に忍び込んだ。

ひろっぱから右に曲がると
二間もない道が続いて行く。

小さな魚屋があり、ここから砂岩の石段が始まる。
魚屋の小父さんは、
この石段で包丁を研いでいた。

一間半くらいだったろうか。
段々畑のように家が立つところは平たく、次の段までが石段だ。
上るとY字路で立派な鳥居が立っていた。
普段はこの道を上り下りしていた。

右に上がると矢の平稲荷神社、
「じんじゃ」で遊ぼうと言うのはここのこと。
家は左に上る。

さて、一旦後戻りする。

魚屋を通り過ぎてしばらく行くと小さな十字路。
右に降りる石段はとても急で、
曲がりながら先に話した
怖いクリニング屋に降りていく。
この石段で、よく会う、孫を背負った辺りのおじいさんが転けて怪我をして、それから会わなくなってしまった。

クリニング屋の道から始まる石段が、
我が家の前の段を入れて
ちょうど百段あった話を書いている。

下り高速道路と交わる角に
藁葺き屋根の家があった。
地主さんの家だと聞いた。
ここからコンクリ製の
奥行きの短い段を上がると底が我が家だった所だ。

この枝道は我が家が行き止まり。
回り道させたけど
電車道から百段上ったところでした。

大晦日は除夜の鐘の声が這い昇ってきました。
電車が疲れたと喚く声も。
西風が強い夜は、長崎駅から汽笛も聞こえた。
海抜60メートル、本河内ダムの水位より下の
水道が使えるギリギリの高さだったらしい。


随分と長い文章
お付き合いありがとうございました
お疲れ様

ワンラ

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かえる翁じ
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