誰でも、思い通りにならないことがある。… まとめ
〇 自分らしい自分のこと
学校には同世代の仲間がいる。
同じ価値観の社会で育っているから、
理解しやすい。
仲間と一緒の時間を過ごす中で、
みんなと同じ部分を見つけ、
みんなと同じように考え、
行動するようになる社会性の訓練をしている。
同時に、
みんなとの違いを見つけ育て、
それが周りに受け入れられることで
社会性と個性のバランスの上に
自分らしさができあがる。
学校は、若者にとって
実践的訓練の場だと思う。
学習塾であっても
それが出来るだろう。
社会体育でも
出来るだろう。
でも、やっぱり
学校が一番その機会が多いと思う。
担任という、
頭の固い、自己中心の権化のような運営管理人がいて
児童生徒の考え方まで統制しようと努力してくれている。
ブラックな仕事と知っていて
理想に燃えて就職して来たおとなが
一生懸命、自分を構築するためのトラブルを
たくさん用意してくれている場所だから。
めげても大丈夫。
学校は、めげた人を支えるシステムも持っているから。
〇 一人ひとりが「自分」である。
自分の考えだけが正しいのではない。
相手を
自分の考え方に合わせるように
求め過ぎてはいけない。
人間関係の基本は、
お互いの違いを認め合い、
うまく折り合いをつけること。
そのもっとも有効な練習相手が「友だち」。
価値観が似ているから友だちになったはず。
尊敬できるところを持っているから友だちに選んだはず。
選んだのは、自分だ。
選んだ責任は、自分にあるから、
間違った選択をしたとしても
それもまた、自分の成長の糧にすればよい。
離婚という、人生上の大きな試練なら
なおさらのこと、自分の糧にしなくては
もったいない。
同じ失敗を繰り返すのも、それも修行だ。
自分の修行が終わるまでは、
同じ種類の苦悩がつきまとう。
別な苦悩が始まったなら、
それはおめでとう、である。
もとの苦悩の修行が終わったことを意味している。
新しい課題を持つことが出来るわたしになった証明なのだから。
◎ 恋人という存在… イヤなことをイヤと言える相手を選ぶ。
青春時代は、好奇心の塊。
特定の誰かへの関心が高まる時期。
その人と
片時も離れずに居たいという欲求。
時として、その人に認められたいけど、
それがかなわないと、
その人を支配しようとすることがある。
ストーカー行為がその表れだろう。
自分が好きになったのだから、おまえも俺を好きになれ、
そのような発想が生まれる。
誰だって、自分のために行動する。
自己中心的なのが人間だ。
ただし、
利己的な考え方とは、違う。
自己中心であることが、他人を否定することと直結する
そう思う人がいるなら、
それは自己中心的とは言わない。
利己的という。
恋人関係になった途端、
相手の人権を無視した発言や、行為をおこなう人がいる。
相手に、百パーセントの服従を求める人がいる。
その人は、病気です。
わたしたちは医師ではない。
病人に対処して、その人の状況を改善するのは、
医師として専門の勉強をし、
認められた人の仕事である。
ストックホルム症候群というものがある。
一緒に暮らしていると、
その人からの攻撃を受けないために、
その人に好意を示し、
互いに好意を共有するという、病気である。
DVの場合、
まさにこれだろう。
依存者の恋人、家族がこれであろう。
自分がこの人を支えなければ、
この人は社会的にダメになってしまう。
だから、わたしが耐えて、
この人の望む自分という役割を果たす義務があるのだ、
そう感じてしまうのも、病気である。
しかし、多くの病人と同様に、
本人が治りたいと望まない限り、
病気は、治らない。
ましてや、
自分も相手も、共通する病気になっていたら、
一方だけが治ることはあり得ない。
二人が一緒に気づいて、
治そうと決意しても難しいのに、
自分だけが努力して
治せるものではないのだ。
「離別」することは、
精神的に大きな穴をあけ、つらく苦しいだろうけれど、
有効な治療方法だろう。
少なくとも、
離別を決意した自分には、有効な選択だ。
あなただけが「自分」ではない、
相手も「自分」。
一人ひとりが違いを持った「自分」
誰だってありのままの自分で居たい。
自分が選んだからと言って、
選ばれた相手を攻撃して
自分の思い通りに従わせるのは
犯罪である。
〇 より良く生きるために
みんな幸せを感じたい。
何が幸せか一人ひとり違う。
自分の幸せだけを主張すると、
必ず相手に、周りの人にいやな思いをさせる。
◎ 周りがどうであっても、自分の生き方ができる場所と時間を持つことが大事。
サードプレイスと呼ばれるもの。
そこでは周りに流されない生き方をすることが可能である。
そこには、周りに流されない者が一緒に暮らすことができる。
そのような場所と時間を持っていれば、
日常はつらくても、必ず
しあわせを感じることができるだろう。
もしも、
サードプレイスであっても
自分らしさを感じないなら、
別の場所と時間を探すべきだろう。
◎ 幸せになるために、より良く生きる。
しあわせは、独りぼっちでは実現できない。
誰かに迷惑をかけることが必要。
でもそれは迷惑ではなく、助け合い。
周りの人との協力だ。
だから、
お互いに考えを伝え合う努力をして、
歩み寄ることが必要になる。
◎ 日野原重明というお医者さんは、「いのちとは、自分が使うことの出来る時間のこと」と言いました。
生きることは、
自分の時間を持ち続けることです。
ただ生きるだけでなく、
自分の時間を
自分以外の誰かのために使うことが
幸せにつながるのです。
苦しみは半分に、しあわせは二倍になります。
他の人の時間を奪ってはいけません。
もちろん、相手が一緒にいて、自分の時間と
あなたの時間を合わせることを望むとき
それは奪ったとは言いません。
それは共有です。
その人の時間はその人のもの。
どう使うか、
その人自身の考えで決めるべきで、
他人が使い方を支配してはいけない。
相手がそれを望んでいるときも、
それに甘えるだけではいけないのです。
相手を、
自分以上に尊重しようと考えた言葉や行動をして、
それでも、
自分中心で居ることを
忘れないでください。
《完》
サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。