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いつも誰かに迷惑をかけて生きてきた

ゲシュタルトの祈り

私は私のために生き、
あなたはあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるために在るのではない。
あなたも、私の期待に応えるために在るのではない。

もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
もしそうでないのであれば それもまた素晴らしいこと。

フレデリック・パールズ博士

わたしは、
自分自身のために、
どのように使うかを決めて、
そのように使える時間を持っている。

わたしの生き方は、

自分の時間を、出会った誰かのために使いたい、
そう思いながら生きてきた。

何ゆえに、誰かのために時間を使うのか。

心が広く、共感する力が強くて、
自分の内側から湧きおこる何かが
そうさせるのではない。

わたしは常に、
意識する、しないにかかわらず、
誰かに、その人に認められたくて、
見返りを求めて、そうしている。

先ごろの自分であればそれは、
恥ずかしいことだった。

恥ずかしいから、
自分でも認めず、否定して、
誰にもその事実を語らなかった。

ある春の日、海峡を見下ろす部屋に座って、
ゲシュタルトの祈りにふれたときから、少しずつ、
自分のために生きることと、
誰かのために生きることとを並べて考え始め、
見返りを求める自分を受け入れ始めていた。

わたしは自己開示する。

それは、自分のことを知って欲しいから。

わたしがあなたに、
どれほど心を開いているか、
それを知ってもらいたくて、そうする。

それもまた、自分のために。

わたしが心を開いたように、
あなたにも心を開いてもらいたくて、
自己開示を深めていく。

縁とか、相性とか、
それは思い過ごしではなく、
実在している。

わたしが高校教師を辞め、

縁のあったお寺に入ったのは、

わたし自身の生涯において、
あずかっていた子たちの生涯について、
自分ではどうすることもできない状況があった。

もしもその子が、この家庭に生まれていなければ、
別な両親のもとに生まれていたなら、
その子は違った生涯を送っていたのではないか、
いや、そうなっていたはずだ。

そう思ってしまったことに由来する。

人はどこからやってきて、
どこにゆくのだろう。

自分で選んだ生涯を歩く

わたしは小さい頃から、
自分の思い通りにならないと、すねていた。

三歳の時、母親がカリエスで入院した。
昼間は、他の子たちと一緒に
公民館で過ごすように手配された。

預けられたその日から、脱走して、
いつものように一人で、海や山で遊んだ。

入り口にカギが掛けられたが、
訪れる人が来るのを待って、すきを見つけて脱走したので、
預かってもらえなくなり、
自分の希望どおりの毎日を送れるようになった。

幼稚園でのお遊戯の時間、
それがいやで、園庭の登はん棒に登った。
先生たちはシスター、誰も追ってはこれなかった。

小学校で、上級生の言いなりにならず、ケンカした。
かなわないけれど、泣かずににらんでいたら、
向こうから関わって来なくなった。

まだまだ、自分を貫いた話ばかりだ。

反対された結婚、
三度の退職、そして、今。

いつも誰かに迷惑をかけて生きてきた。

申し訳なく思いつつも、
過去は変えられないからと、
今日を生きてきた。

自己中心の生き方だと思う。

しかし、その生き方をしているのが自分であるから、
わたしが自己中心的であることを認め、
できるだけ誰かのために、
わたしの時間を使って生きたい。

これからも。


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