半年前のセンセイと月子のこと【ショートストーリー】
センセイと正式にお付き合いを始めたある夜、
センセイの家で飲んだ。
いい気持ちになった時分に
センセイがしみじみと言った。
「済まないね、ツキコさん」
「どうした?」
「私はツキコさんのおとうさんより年上なのに
あなたを独占するのは、罪深い気がするのです。
あなたにはもっと若い男性がふさわしいかも知れない」
ツキコは怒った。
「それはわたしに失礼ですよ、センセイ。
わたしがセンセイを選んだんだから!
誰かふさわしい男性がいるとか、いないとかなんて!
わたしが誰を選ぶか、わたしが決めます!」
センセイはその剣幕に驚いて、しげしげとツキコの顔を見た。
「ツキコさん、ありがとう。
そうでしたね。わたしで良いのですね」
ツキコはセンセイの左手を両手ではさみ、
口元に運んで静か指に唇をあてた。
それから頬にあてて言った。
「言ったでしょ。センセイでじゃなく、
センセイが良いんですよ。
もう何度も話し合って
それでお付き合いすることにしたでしょ」
静かに自分の手を取り戻したセンセイは、盃をテーブルに置いた。
今度はセンセイがツキコの手をとって言った。
「妻が突然いなくなってワタクシは、
自分の何が問題なんだろう。
そればかり考えて来ました。
昼間は普段通りにしていても、です。
だからツキコさんをずっと、
先生と教え子の延長線上に置いといた訳です。
そんな私が、親子ほど齢の離れたツキコさんとお付き合いできるなど、
大それた考えを持ってはいけない、そう何度も思いました。
何回もお付き合いしたいと思って、
その度、自分の有様を思うと、
いや、いけない、そう思うんですよ、今でも」
「やっぱりツキコさんには、もっとしっかりした、
若い人の方が良いのではありませんか?」
ツキコはセンセイの手をはらいのけ、
きっとにらんで、言った。
「奥さんが出てったのはセンセイが悪いからじゃないよ。
黙って出て行ったんだから、奥さんに問題があったんだよ。
ちゃんとした理由があれば、普通、言うでしょう。
反対に、言えない理由があったんだよ、きっと」
「自分を責めても、センセイはセンセイでしょ。
わたしが慰めたって、なんにもならないよ。
どんなに責めたって、
変わらないんだよ、人の中身って。
この話、もう何回したかしら」
ツキコは手酌で飲みながら言った。
「奥さんのことが理解できなかった、
そのどこが問題ですか。
良いじゃないですか。
自分のことだって分からないのに、
他人のことなんて分かりっこないんです。
いまさら自分を責めたってしょうがないでしょ。
自分は分からなかったんだなって認めれば、それで良いじゃないですか」
センセイは不思議そうな顔でツキコを見て、
しみじみと言った。
「ツキコさんは賢いね、やさしいね、
しっかりしておられる」
そう言ってツキコの頭をポンポンと叩いた。
「ツキコさんは賢い、やさしい、強い、そしてきれいだ」
「なに言ってるんですか。
わたしは頭が悪いんです、センセイが一番知ってるでしょ、
強いって、何が強いんですか?強くなんてないです。
ずっと一人だったのは、きっとこの人はわたしをきらいになるんだ、
だったら、嫌われる前に別れてしまおうって、
臆病者だったからなんですから」
「でもね、ワタクシはツキコさんに申し訳ないんですよ、
こんなに素晴らしい女性を、ワタクシが独占するなんて」
「ほら、また!ダメだって言ってるでしょ。
わたしの事なんですから、わたしが決めます!
余計なお世話、センセイの支えは要りません!」
そう言ったもののツキコはおかしくなって、
センセイを見て笑った。
まるで高校生みたい、かわいいと思った。
「ワタクシは自分に、自信がないんです、自分が嫌いかも知れない。
でも、ツキコさんと一緒にいると、
ツキコさんの中に居る自分が見える気がするんです。
ツキコさんが好きでいてくれるワタクシが」
盃を上げながらしみじみと言った。
「ツキコさんといると、自分のことを認めてあげられるんですよ、
だから一緒に居たいと思ったんです、
ワタクシは今の自分で居ても大丈夫なんだって、そう思いたくて」
箸をとって、少し残った冷ややっこを、几帳面に切って口に運んだ
「それでね、ツキコさんと、ツキコさんの中のワタクシを、
もっと間近で感じたくて肩を抱くんです、
もっと安心したくって、唇を重ねるんです、
ツキコさんがそれを受け入れてくれるなら、
ツキコさんはワタクシのことを好きなのだって分かるから、
ツキコさんが好きな私なら、私も好きでいられるんです」
豆腐をみつめながら。
「昔、毎朝、鏡を見るたびに、思ったんですよ、
ツキコさんを好きなワタクシは、こんなにおじいちゃんなんだ、
好きだなんておこがましいって」
「さっさと好きだって認めて、
わたしみたいに好きだって言えばよかったのに。
わたしに嫌いだって言われたら終わり、
でも、好きって言われたでしょ」
ツキコは笑った。
やっぱりこの人は男子高校生だ、
センセイといるとわたしも女子高生になれるな~。
センセイはまだ続ける。
「あの晩、ツキコさんに好きだって言われたとき、うれしかった」
「じゃあなんでそう言わなかったの、
そしたらもっと早くから一緒に居られたのに」
「だって、おじいちゃんだから申し訳ないじゃないですか」
「だから、それって失礼でしょ、わたしが良いと言ってるんだから!
センセイは今もそう思ってるんですね!
じゃあ、わたしは何でここにいるのよ!」
返事はなかった。返事の代わりにつぶやき続けた。
「ツキコさんを好きだって言ったら、肩を抱いて、キスしたら、
もっとそばにいたい、ずっと一緒にいたいって思うに違いない、
ツキコさんの中に入って行きたいって思うようになるに違いない、
きっとそう思うって、確信があったんです。
でも、もしそうなったら、そうなったとして、
ワタクシにそれができるのだろうか、心配だったんです。
せっかくそんな場面になっても、
ツキコさんに笑われる、嫌われてしまう、
それが怖かったんです。
だからワタクシは妄想するたびに、それを追い払い続けてたんです。
だからツキコさんに好きだと言われたとき、
一瞬でそう思ったんです、いつも妄想してたから。
だからあの時は、何も言えなかった、
何もできなかったんです」
ちゃんと、こっちを見て言ってよと思いながら、
ツキコは聴いていた。
「初めての時は手伝ったでしょ、高校生みたいにあせってたから、
わたしも笑ったけど、センセイも一緒に笑ったじゃない、
また今度で良いじゃないって、笑えたじゃない」
あの時、センセイが笑うのを見てツキコは思ったのだった、
センセイ、自分のこと、やっと認められる人になったみたいって。
「案ずるより産むがやすし、でしょ、
「センセイ、大好き」
「うん、ツキコさん、大好き、愛してるよ」
静かに夜は更けていった。