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孤独について
あまり、明るいテーマではないことは知っている。
でも、「一度折れてしまった心が自力で修復することは困難であるように、一度孤独という闇に囚われてしまうと戻ってくることは困難だ」ということを身をもって知っているので今日は、書いてみることにする。
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”孤独”というものに対して、止めをさす存在があるとしたら、それは外部のものではない。自分自身である。
最後は自分が、”ホンモノの孤独”を作り出してしまう
故に、1番の対抗策は、自分から孤独にならないこと。つまり、人と関わるのを避けたり、塞ぎ込んだり、理由をつけて誰かに甘えることを放棄すること。これに気をつけなくてはいけない。
無論、それを防いだとしても、物事が必ずしも好転するわけではない。
だとしても、自分のことを心底心配してくれて、待ってくれていて、愛してくれている人の存在を否定することは、やってはいけないことだ。失っちゃいけないものだ。
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話をしても、共感してくれるとは限らない。そもそも、人の心や苦悩や喜びでさえも、私たちは理解しきるだなんて不可能だ。これっぽっちもわかることなんてできないかもしれない。
心が闇に囚われていると、全ての好意や愛情、親切心までもが悪いイメージと結びついてしまう。騙され裏切られた記憶があるならば、なおさらだ。
また、裏切られるのが、心底怖い。
でも、もしかしたら今度こそ、出会えるかもしれないのだ。ただじっと、「耳をかたむけて」くれる人に。わからないくせに、わかろうとしてくれるそういう温かい人に。
孤独とおさらばするのにも勇気がいる。でも、だからこそ、何度も何度も踏み出す力が欲しい。きっと、いつか出会えるはずだから。そう信じて生きている。
誰かに強制するわけでもないけど、私はただそう信じている。
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一方で、私は、私が孤独の外に躍り出て未だ生きながらえているとき、一人ひとりに連絡を送りまくる。
友人関係について、永遠の片思いでも良いとさえ思っている。向こうからトモダチだと思われているかわからなくても。
久しぶりの連絡をもらったとき、意外と嬉しいものなんじゃないかなと思う。
音沙汰なかったにもかかわらず、わざわざ自分のために時間を割いてくれることに感謝する。
だから私は、定期的に、できるだけ、連絡をすることにしている。今は必要なくても、あなたが一人で孤独の道に進んでしまいそうになったとき、それを止める、いや一緒に散歩に出かけられる人でいたい。私自身が、その痛みを苦しみを、あのふっと死の延長をやめてしまいたくなる闇を知っているのだから。
だから、永遠の片思いでも良いから、私はあなたを応援し続ける。あなたの友であり続けよう。ただ、あなたを笑顔を待ち続ける人が確かにいるのだと知っておいて欲しい。知っているだけで良いから、そして孤独という選択を踏みとどまってくれるのなら。
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自分なんかが、と思うことが多々ある。孤独を選ぶ時も、孤独へ行ってしまいそうになる人を見つけてしまったときも。
正直、どうでもいいのかもしれない。私や、あなたがいなくても、世界は回り続けるし、何事もなかったように、人々は生き続ける。最初から存在する気付かないもの同士だ。
でも、私にとっては、とても大事なことで、あなたにとっても、大事なことだ。
そして、あなたが考えている以上に、私はあなたのことが大事だと思っているし、たぶんきっと、あなたも私のことを思ってくれている。
それだけでいいじゃないか。いつになったら納得する答えをこの世界が出してくれるかだなんてわかりはしないけれど、昨日、今日、明日、生きていく分にはそれはとっても価値のあるものじゃないか。
目の前にあるものを大事にできないのなら、世界が私たちを求めてくれても私たちは応えることはできないだろう。
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衝動的な文章だ。
この話は、ある人の心を温め、ある人の心を傷つけるかもしれない。
もし、傷ついた人がいるならば、すまない。まだ私はあなたの力になれそうにない。そっと、記事を閉じて欲しい。そして、あなたのことを包んでくれる場所に出会って欲しい。きっと見つかる。あなたが求めるかぎり。
早々に、日曜更新を崩壊させている気がするが、気にしない。あれ、目安だし。
それに今度の日曜は忙しそうだし。暑いし。今日、すっごく暑くてアイスの実と三ツ矢サイダー召喚しちゃったし。
あ、ボク調べだと、チョコレートも孤独を和らげるよ。知らんけど。