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ASOBIJOSの珍道中㉚:サーモンの生き死に

 普段、口数の少ないサニーが、疲れた様子でキッチンに入ってくるなり、日本語でこうこぼしました。
 ”今日は疲れた。ちょっと仕事がタイヘンだった…。”
 ナナイモの役場の水産課で働いているサニー。普段は事務仕事が多くて、自宅からリモートワークをしている姿を見かけることも多いのですが、今日はほとほと疲れた様子で、
 ”今日の仕事、大きな水槽の中にたくさんのサーモンがいて、みんなオス、それで、一匹ずつ(捕まえて)持って、お腹をこう、指で(つまんで)押して、ピューって、いくらの上に。シーメン? セイシ?うん。それかけて、はい、また次、ピューっ、はい、次、ピュー、はい、ピュー、って感じ。ずうっと、何回も、何回も…。”
 ”まぁ、そりゃあ、ユウタも妬(や)いちゃうねぇ…。”

 と、まぁ、笑っていいんだか、酷な話です。
 カナダは環境保全意識の高い国ですから、そうやって、公共事業として鮭の人工授精と稚魚の管理をしているそうな…。
 ”今週末に、車でちょっと行ったところの川辺でサーモンフェスティバルあるんだけど、行ってみる?”と、サニー。

 というわけで、週末になると、MARCOさんと私とサニーとで、車に乗り込んで、会場へと向かいました。サニーの旦那であるユウタは、仕事の出張でセネガルに行っていたので、三人です。
 ”ちょっと、このナビ見てくれない?”
 と、スマホを手渡されたのは、助手席に座ったMARCOさんです。
 ここぞ、日頃の英語の勉強の成果の見せ所、と意気揚々と引き受けたMARCOさん、”Yes! go straight for 8 kilometers! " と、アプリの音声に追従して、”Kilo"のLの発音もばっちりです。
 前日、夜遅くまでレストランで働いていた私は、車の振動でうとうと…。二人が打ち解けて、世間話をしている声に安心しながら、パタ、と眠り込んだ、その時でした。
 ”No, no. straight. straight." 
 と、MARCOさんが自信満々な発音で、ストレィ!っと繰り返している中、車は一瞬ぎこちなく減速したため、私は、前の座席のシートに、寝ぼけた頬を打ち付けました。
 するとなにやら、しーんと、静けさが車内に漂う中、ナビの音声が、いやに明快な声で、”Make U turn, after 16 kilometers!(16キロ先でUターンしてください)”っと…。
 ”あぁ、MARCOさん、地図読めんのやった…。”
 ”そうね、英語とか、以前の問題よね。”
 と、私たちはいつもの調子で笑っていましたが、サニーは、そのクールな表情を一つも崩さずに、赤みがかった長い髪の毛も一本たりとも微動だにさせずに、ただ静かに、メガネの位置だけをすっと直すと、
 ”It's okay……(大丈夫よ)”
 とだけ、こぼすのでした……。16キロもUターンできない、ハイウェイですもの…。
 
 とまぁ、気を取り直して、サニー自身によるナビ確認で、難なくサーモンフェスティバルの会場にたどり着きました。
 杉やモミばかりの針葉樹林を切り拓いた、一見農場のようなおもむきの広場で、奥には、サーモンセンターがあるとのことでした。
 入り口ではバーベキュー台でサーモンの切り身を並べて焼いていて、モクモクと食欲をそそる香りを立ち上らせています。とっくにお昼も過ぎていたので、私たちの腹の虫もグゥウ~っとラッパを鳴らしました。
 ”ねえねぇ、サーモンバーガー、10ドル(約1000円)だって、めちゃ安いやん!”と嬉々とする私たち。
 吸い寄せられるがごとく、列に並んで、すかさず腹ごしらえでした。
 大きな鮭の切り身と茶色く焼けた玉ねぎとピクルスをバンズで挟んだだけの、いたってシンプルなサーモンバーガーをもしゃもしゃと頬張りながら、
 ”まぁね、放卵期のシャケって、栄養が卵や白子の方にいってるし、淡水に帰ってきて、身にシマリが無くなってきてるけどね。”
 ”だれの三十路(みそじ)のシマリだって?”
 ”いやいや、それでも美味いなって話よ”
 などと、ベタベタと口のまわりに玉ねぎを付けながら、むさぼり食らったものでした…。

 さて、ひとまず腹ごしらえが済むと、今度は奥の丸太小屋のようなサーモンセンターに入っていって、大きな漁業用のカッパを着た白髪の女性が、水槽の前に立って、子供たちに向かって何やら明るく、説明をしているところでした。壁に貼られた説明用の写真を指さしたりしながら、
 ”ほぉら、こちらが太平洋を泳いでいる時の鮭の写真ですよ。身もこんなに銀色をして、光っていますね。それが、こうやって、自分の故郷に帰ってきて、ベイビーを残そうとして川を上がってくると、こんな風に体の色を変えるんですよー!”
 と、水槽を指を差すと、小さな子どもたちが目をまるっと大きくして、水槽に齧り付きました。それから、この女性が大きな網を取り出すと、大きな鮭を一匹捕まえるや、大きなゴム手袋をはめた両手でつかんで、少し弱った身体をビチビチと震わせながら抗(あらが)う鮭を、子供たちの前に見せびらかしました。鰭(ヒレ)から粘っこい液体が飛ぶのを見るや、悲鳴を上げて、身を引く少年少女たち。
 ”この子は、背中に噛み痕があるでしょう。オスは、卵を産むメスの傍(そば)にいるために、他のオスと争い合うので、鋭いアゴで噛み付き合って、背中が傷だらけになるんですよ~”
 などと朗らかに語ると、女性はバシャリと、また水槽に投げ返したのでした。恋も嫉妬も知らぬ、少年少女に、まぁなんとも教育的だこと…。
 
 それから私たちは、近くの川辺で鮭が放卵に来ている姿が見れるというので、半ばはしゃぐように森林の中へと入っていきました。
 樹木の間の狭い道を通って、樹冠から細々とした木漏れ日が差し込むなか、10分ほど歩いていくと、渓流の、石を洗う音が聞こえてきました。
 道に従っていくとすぐに、川の流れが曲がった浅瀬を見渡せるところに抜け出ました。
 そこから見渡すや、思わず息をのみました。大量の鮭が、ひしめき合って、水面から出した背びれを左右に揺らしながら、川の水流に逆らって、ひたすらにジョギングマシンの上を走り続けているような格好で、同じ場所で、持久走を続けながら、やがて雨が降り、水嵩(みずかさ)が上がってくのを待ち続けているのでした。
 中には息絶え、白い腹を浮かべながら、すいと流されていくものもいて、それを目掛けて、2羽3羽の鷺(さぎ)がクチバシをぶつけ合うのです。
 なんたる光景でしょう。私は背後から熊でも現れないかと、一瞬恐ろしくなって樹々の合間を見渡しました。
 ここで、命がけの最後のマラソンをして、まさにその命朽ち果てるまで、必死に走り続け、外敵に狙われ、同種間でも争いながら、必死に約束の地を目指すのです、ただただ、放卵し、射精せんがために!
 それをついさっきまで、身のシマリがなんだって、ウンチク垂れながら口のまわりを玉ねぎ臭くしていた自分を、猛烈に恥じかしく思いました。あぁ、なんて無礼なことを!
 こうしてしばし放心している間にも、ひとつ、またひとつ、と、桜吹雪のごとくに、白い鮭の腹が、木漏れ日の点描された川面を、す~、す~っと滑っていくのを、MARCOさんも、ただじっと、静かに見つめていたのでした…。

 

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                     一空


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