ASOBIJOSの珍道中㉕:バイト一つ見つからずも…。
”あなたは雇えるけれど~…、申し訳ないけど、あなたは雇えないわ…。”
と、かれこれ30軒以上、町中の飲食店に、片っ端から履歴書を配って回っていた私たち。ようやくたった一軒のカフェの面接までこぎつけたのでしたが、なんとも惨酷な一言…。
なんと、私だけが採用されてしまったのです!
しかも、もとはと言えば、MARCOさんが、
”このカフェ、入り口に求人の貼り紙してるし、いい感じじゃない~”
と言っていたところに、私も便乗して履歴書を持っていったところで…。
”うちは料理はダンナがするので、ワタシは料理、全然ダメなんです~!”
などと、見栄を張らない伊予っこのMARCOさん、いつもの調子で自嘲して笑いを誘っていたのでしたが、面接をしていた、オーナーであるインド系のご婦人は、ムムっと眉をピクつかせて、冗談も通じないご様子でした…。
”まぁ、きっと選ばなければ、まだ仕事くらいあるさ…”
とベッドに丸くなってスマホをイジイジするMARCOさん、
”もう、ひとりでオーロラ見に行く…”
と、ぷんぷんで、しゅんとしながら、
”ぜんぜんおいしくないけど、なんか食べちゃうんだよね…。”
と、ナナイモバーという、スーパーで買った、控えめに言っても甘すぎるココナッツとチョコレートのお菓子をボリボリと、ネズミみたいに、布団の中で縮こまりながらむさぼり出す始末……。
それを横目に、メールを確認すると、” TIMES(タイムズ)”という、ダウンタウン(中心街)にあるやや高級なレストランから、面接の申し入れが来ていました。私が喜んでいると、
”もう一個食べよ…”
と、肩を落としながら、冷蔵庫に手を伸ばすMARCOさん。
”ぜんぜんおいしくなぃ…”
と、ボリボリしながら、背中をしゅうぅと丸くします…。
とまぁ、最悪私一人のバイトの給料で二人分の生活費を賄うしかないな…と覚悟を決め、気合を入れて、バイトの初日に向かいます。
一緒に働くことになったのは、鼻に声を通らせるようにしてしゃべる、いかにもティーンズ(=10代の子)のような北米英語で話す二十歳前後の女の子たちで、
”ここ、めっちゃ暇だし、別になんもしなくたっていいよ”
なんて言うのでしたが、
”自分がクビになったら本当に夫婦二人で、のたれ死んでしまう”、と焦っていた私は、何もすることがなくとも、店のコーヒーカップの配置を覚えようとメモを取り…、メニューを暗記しようとしたり、お菓子のショーケースのガラスや、窓をテキパキと拭いてまわり、食洗器の溝に溜まった汚れまでブラシでかきだして…、と手を休ませないように、真剣に働きました。
すると、一緒に働いていた女の子のスマホに、例のインド系のご婦人から電話がかかってきて、私に手渡されました。
”あなた、週何回入れるの?”
”はい。いつでも働けますが、実は、面接が他にもう一件だけ入ったので、それの合否を聞いてからお答えしてもいいですか?”
”わかったわ。”
と言われて、電話を切った、その五分後。
また電話が同じようにして、バイトの女の子の所にかかってきて、私に繋がれました。
”ごめん、本当に申し訳ないんだけど、やっぱり、あなたを採用するのをやめるわ。今日はもう帰っていいから”
”え…。”
全身に冷や汗がどっと噴き出ました…。なんだと!
”あなたじゃなくて、あなたの奥さんを雇おうと思うの。申し訳ないけど、それでお願い。週に三回くらい来てほしいの。奥さんに、この番号に電話するように言っておいて。”
と、ブチっと切られてしました。
まさかの二時間でクビ!
いや、監視カメラがあるくらいは分かっていた。だから、アクビひとつせず、どこにも立ち止まらず、あちこち掃除をしていたというのに、なんでだ!
”きっと、他のところの面接に行くって言ったから、めっちゃイラっとしたんじゃない~?”
と、アクビをしながら、よれよれに伸びたパーカーの袖で口を覆う、店員の女の子…。
三十路(みそじ)過ぎて、なんだこのザマ…。と、コートを羽織って、すぐに店を出て、スタスタと歩いて帰路に着きました。お腹も減って、余計に頭に血が上ってくるのがわかりました。しかし、ファストフード一つ買うのにだって、平気で20ドル(約2000円)近くかかるカナダ。そんな金すらないのです…。
悔しさを堪えながら歩いていると、
”Hey, bud…(やぁ、アニキ…)”
と、ティムホートンというチェーンのコーヒー店の前で、バス停のベンチに座って、ボロボロに破れたパーカーとジーンズに身を包んだホームレスが、なんの麻薬でか、気持ち良さそうに、顎をゆるませてニヤニヤとしながら、手を伸ばして物乞いをしてくるではないですか…。
両親に大学まで出させてもらって…、ここで、一歩踏み外せば、おれはここまで落ちるんだ、たった一歩で、もうすぐそこなんだ、ここじゃ…。
”ちょっとくらいいいじゃねえか”
とクシャクシャになった紙コップに入った小銭をジャラジャラと鳴らしながら、前歯の抜けた歯を見せてにんまりとする男に、黙って首を振って、私はポケットに手を突っ込んだまま、いそいそと歩き去っていったのでした…。
歩いて帰るうち、次第に気は収まって。冷蔵庫の缶ビールをプシュッと、グイッとやれば、”MARCOさんに仕事が見つかったんだから、別に悪いことでもなかったんかもな…”と、飲み下せるようになり、私は気を取り直して、翌日のもう一つのレストランの面接に向けて、床屋に行っておこう、と思い立ちました。
カラン、カランっと、入り口のドアの鐘を鳴らして店に入ると、
”やあやあ、ご機嫌いかが!”
と、一人の腕の太い理髪師が、大きな声を掛けて挨拶をしてくれました。
”このお客さんが終わったらアナタの番ですから、ちょっと待っててください。私がおしゃべりだから、多少かかりますが、次ですから。大丈夫。コーヒーでも飲んでて。”
と、インスタントコーヒーを勧めてくれました。
結局、前置き通り、この腕の太いスキンヘッドの理髪師は、品種ごとの馬の乗り方から、毛色ごとのガールフレンドとの馬乗り遊びのやり方まで、一々手を止めて、ハサミと櫛を、手綱と鞭、あるいは、後ろ髪と尻を打つ平手に切り替えながら、見事なボディーランゲージで、白髪の紳士の客を笑わせながら仕事をするので、一向に終わる気配は見せず…、結局30分近く、他に誰もいない、小綺麗な白い壁の空間でぽつんと待たされ、ようやく自分の番が回ってきたのでした…。
”コニチワー!ニーホンジンデスかー!”
と、いよいよ私の散髪が始まると、どうやら、そのフランス語なまりの強烈な英語で豪快なトークショーをする理容師は、空手の有段者らしく。
”オス!セイ!ヤー!”
と正拳突きや蹴りの所作を披露しだし、
続々と入店してきて、ソファに座って順番待ちをするインド系の若者や、白人の老人方も、ため息をつきながら、新聞やスマホの画面に顔を埋(うず)めだすのでした…。
”みなさん、焦ってはいけません。人生は短いのですから。この店は時間がかかります。予約も受け付けないから、いつもこんな調子です、なんせ、私はケベックから来たフランス人、度の越したおしゃべりですから!ハッハー!”
と両手を上げて、ゲラゲラと笑いだす有様…。
”嘘ですよ、みなさま。普段はもう一人、真面目なアシスタントがいるので、もっと早いですよ。大丈夫。もうすぐ帰ってくるはずです。歯医者に行くと言って、10時頃に出て行って、もう3時ですけどね!ハッハ―!”
とまたやり出す有様に、やはり、人生はこうあるべきなのかもなと、妙に納得させられた気分になった私は、それから一時間ほど、彼の長広舌(ちょうこうぜつ)に相槌を打ちながら、空手の所作について、日本人のマナー、礼儀について、角刈りの美学について、モミアゲを刈り上げることと日本の戦後の経済成長の関係性や、天ぷらの揚げ油の温度を直接指で測る料理人の指の皮の厚さと、空手家の拳の皮の厚さの比較、そして、自分がモントリオールでスリにあいそうになった時に、とっさに泥棒を背負い投げしてしまったのを恥じて、もう空手家として失格だと思い、空手を辞めてしまったという逸話などを、クドクドと抑揚の大きな話し声と、ハサミと櫛を持った両手を振り回した迫真の実演によって見せつけられ、”ほお!へえ!”と髪を切ってもらいに来たことさえ半ば忘れながら、”皮が厚ければいいってわけじゃないんだ、温度がわからないだろう、小猫ちゃんに指を突っ込む時だってそうだ””そうだ、確かにそうだ!”と、顔面に髪の毛をたっぷりつけながら、両目を飛び出させて笑い、陽気をたっぷりと充填して帰ったのでした…。