ASOBIJOSの珍道中③:いよいよモントリオールに
”もう二度と飛行機なんて乗らねぇ”と、MARCOさんは相変わらず。
いよいよモントリオールに到着しました。2月の17日のことです。一つ驚いたことがありました。それは、既にコロナが終わっていたことです。アメリカの入国にはワクチン接種の証明書の提出を求められましたが、カナダの入国には何一つコロナに関連した手続きなどありませんでした。街中を歩いたって、マスクをつけている人なんてめったに見かけません。
到着した翌日に、この国の寒さを凌ぐためのコートやブーツなどを探しに中心街をぶらぶらと歩いてみましたが、とある洋服屋では、そのブランドのロゴの装飾がなされた布マスクがレジの横に山積みにされて、なんと、3個入りで28ドル(約2800円)だったものが3ドル(約300円)!で叩き売りされている有様でした。そりゃあもう誰もつけないんですから、こんなもの、もうゴミ同然です。
しかし、後になって、この国にはコロナなんかよりもずっと恐ろしい脅威があると知りました。それは、野生のスカンクです。私はまだ出くわしたことはありませんが、人家の近くに生息していることも多く、みだりに威嚇さえしなければ、あの強烈な屁を浴びることはないのですが、”イタチの最後っ屁”ならぬ、”スカンクの本気っ屁”を浴びた者は、ほぼ確実にのたうちまわり、そのまま失神、あるいは、下手をすると、死に至るそうです。文字通り、”死ぬほど臭い”のです。
かなり離れたところでも鼻がひん曲がってしまうほどの激臭で、しかも、その臭気は人間の皮膚のタンパク質に固着してなかなか取れず、万が一浴びてしまった場合は1〜2週間、まともに人と会えないほど臭くなるんだとか!これほど猥雑極まりなく、人間に嫌われた動物も珍しいものです。しかし、スカンクは、まさにこの屁によって生き抜いてきたのです。
古代から香水の原料とされてきた麝香(ジャコウ)は、ジャコウジカという鹿から採取されますが、その香気のあまりに乱獲され、一時は絶滅の危機となりました。しかし、やはりその香気が愛されるが故にこそ、今は国際取引も禁止され、保護され、この21世紀も種を存続させています。スカンクはちょうどその逆で、駆逐するのも困難なほど、臭いのです。そのおかげで生き延びているのです。
ここから導き出されること、それはつまり、このくだらない世の中を生き残るためには、うんと愛されるか、うんと嫌われるかしかないということしょう。ちなみに、共に暮らすMARCO姫の寝屁(ねっぺ)はまさに麝香のごとくでございまして、私はその芳香をくんくんと愛おしく嗅ぎ、下僕という立場の私は、誓って寝床で屁をひったことなど、一辺たりともございません!
さて、こうして私たちは、新型コロナウィルスという社会共同幻想的混乱から解放され、殺人的くさっ屁の脅威に怯える生活が始まりました。外の気温はだいたいマイナス20度くらいでした。ここに来て初めて知ったのですが、氷点下で空気が乾燥していると、寒さが肌を刺すまでに微妙な間が空きます。あれ、大したことない?なんて、外に出た瞬間は思ってしまうのですが、1分くらいすると、衣服を貫通して、寒さというよりも、針に刺される鋭い痛みのようなものが全身を襲うのです。
”人の住むところじゃねぇ。常夏の島に行きたい。もう帰りたいわぁ。”
などと、温暖な気候で”日本の地中海”とも名高い、瀬戸内海沿岸の大都会・松山で育ったMARCOさんは、もう愚痴の止むところを知りません。
幸い、滞在先の屋内は長袖一枚で過ごせるほど暖かかったのですが、ちょうど日本と真反対の時差に完全に身体がついていけず、明け方になってから眠くなり、夕方頃まで死んだように眠り、また夜中に起きて、本を読んだり、それでもまた眠い気がして身体がだるく、しかし、なぜか明け方まで寝つけず、朝になって、急に死んだように眠り、とそんなふうにウダウダと過ごして、あっという間に一週間が過ぎていくのでした。
しかも、窓の外はだいたい雪か、吹雪か、大吹雪。良くて曇天、といった具合で、日本の山間で暮らしながら見た、あの雪の情緒など一歳ないのです。
ポツリ、ポツリ、と雪の花を手のひらに乗せて、気が付くと涙がこぼれていたかのような、しとしとと降りしきる白い雪。寂寥(せきりょう)に、やるせなさに、こたつに温もりを抱いて…、なんて、そんなものはありません。
ただ、どおぉ〜っと降るのです。何もかもがガチガチに凍りつき、救いようもないほど暗い空が、くる日もくる日も重たく覆いかぶさるのです。野良猫も野良犬も一匹たりとも居やしません。ただ、時々、野良のリスが何かをくわえながら電線の上を走って、ピタリとその細い線上で足を止めて振り返り、ちゃめっ気たっぷりにこちらの窓を覗き込むので、それが御伽(おとぎ)の世界にいるかのような錯覚を催すのです。寝て、覚めて、月も陽も久しく。ただ雲に雪に、リスに覗かれ、ここは一体何処の果てかと…。
しかもこの滞在先は、モントリオールの中心地から少し外れた郊外にあり、レバノン人をはじめとする、アラブ系の多いエリアでした。近場に食事を取りに行っても、英語やフランス語はおろか、もしゃもしゃのヒゲを蓄えた男たちが話し交わすアラビア語ばかりで、スパイスのたっぷり効いた鶏肉のグリルや、アニスと白砂糖をふんだんに使った、歯が溶けるほど甘く、妙にスーッとした砂糖菓子ばかりで、もう自分たちがどこにいるのかなんて、さらさらよくわからなくなってしまうのでした。