【レポート】場の発酵研究所:第1期#04 [ゲスト]澤尚幸さん
こんにちは、事務局の渡辺(わったん)です。
7月27日(火)は、場の発酵研究所・第4回でした。
第4回の講師・澤尚幸さんは、過去の録画を見て、こう考えたそうです。
先の3人に、話そうと思っていたことをもう、話されてしまったんですよ。
そもそも資本主義を見直そう、という話は第1回でされてしまった。
哲学とかスピリチュアルな話をしようと思っていたら、第2回はそれに近い内容でした。
前回の「あえてペルソナを設定しない」話も、ああ、いい話をされてしまったと。
なので今回はあえて、概念的ではないもっと基本的なところを話そうと思いました。
そんな澤さんが導き出した今回の話題は、「ありのまま」について。
どういうことなんでしょう。
今回もまた、興味深い問いかけから始まりました。
第4回ゲスト:澤 尚幸さん
三重県生まれ。1991年3月東京大学理学部数学科卒業。同年郵政省に入省。郵政三事業、特に金融分野の経営戦略、商品開発、経営計画、財務、営業、業務、システムなどに幅広く関わり、省庁再編、郵政公社化、民営化、郵政グループの上場に関わる。日本郵便株式会社の経営企画部長を最後に退社。2015年12月に一般社団法人Community Future Designを設立。代表理事に就任。2016年1月に、スポーツ小売業を手がけるゼビオグループに入社。総務省地域力創造アドバイザーや、自治体のアドバイザー、アカデミア、民間企業、市民大学など多様なフィールドに同時に関わり、全国の均質化による社会の脆弱性を回避し、地域や人々の持つ個性を豊かにし、多様性があり、持続的で強い社会を目指して活動を継続中。
郵政省に入省されてから25年間、役人として働いたという澤さん。この間の郵政事業はまさに過渡期で、特に2001年から総理大臣を勤めた小泉純一郎氏が推進した「郵政民営化」は大きな出来事でした。澤さんは2015年の日本郵便の上場をもってキャリアの区切りとし、独立。2016年からは独立して地方の仕事に関わり始めました。
澤さんは郵政時代に全国を回りながら、各地が同じような”まち”になってしまうな、と思ったそうです。そこで、学生時代に学び、郵政省で実践的に養われた数学的思考を活用して、事実やデータを大切にしながら、地方の個性を明らかにする活動に取り組まれています。
現在は、自団体の代表や総務省地域力創造アドバイザー、企業や自治体のアドバイザーや大学の研究員など、15の肩書きを持っているという澤さん。そんな澤さんは今回、「ありのままを知ること」というテーマを挙げてくださいました。
澤さんが代表理事を務める「Community Future Design」
山水有清音(さんすいにせいおんあり):ありのまま、とは
山水有清音
自然の中には
清らかな音が溢れています。
木の葉が風に揺れ
川のせせらぎ
小鳥のさえずり、虫の声
すなわち、
「作られたものでないありのままの世界」
を表しています。
(澤さんのスライドより引用)
川を見ると泳ぎたくなるように、ありのままの自然が好きだという澤さんが紹介してくださった、この「山水有清音」という言葉。
地方の個性を明らかにするとは、すなわち、ありのままの姿を明らかにするということ。その上で必要な2つの要素が、「エビデンスと直観」とのことです。
エビデンス。「効果を証明するもの」。最近は新型コロナ問題でよく聞くようになった言葉かもしれません。最近はICTの進化によりデータサイエンスが発達したことで、参照できるエビデンスが増えてきました。人間はいろんな思い込み(バイアス)に基づいて判断してしまいますが、エビデンスはバイアスにとらわれない客観的な判断を可能にします。
一方でエビデンスは、データで調べられるものに限られます。調べられないことはわかりません。そこで直観が大事になる、と。やはり第6感のようなものはある、と澤さんはいいます。エビデンスだけではわからないことと、直観だけではわからないことがある。この2つの視点をもつことが大切です。
人間はどちらかというと、直観に頼りがちです。しかしながら、直観には「現在」を優先してしまう「現在バイアス」など、多くのバイアスが含まれます。それを「悪いこと」と考えるよりは、進化の過程で必要だったからこそ、自然に残ってきた資質と考えるべきなのだと思います。
また、その集落が生き延びるために引き継がれてきた経験、これは年長者が過去の年長者から引き継いできたものです。その年長者が引き継いで語っているという事実が、いつの間にか、年長者自身の発言力の高まりや、権力者の意見が重視されてしまう、と言った今の現状にすり替わってしまっている、というのも課題だと感じるのです。
そこで澤さんが取り組んでいるのが、「冷めた目線の提供」。
本当にそうなのか?と問うことの重要性
「本当にそうなのか?」という批判的な目線を政策立案で問い続けること、鳥の目・虫の目・魚の目を状況に応じて提供することが自分の仕事だ、と澤さんはいいます。
鳥の目:物事を俯瞰してとらえること
虫の目:物事を詳細にとらえること
魚の目:物事の流れをとらえること
どういうことなのか。澤さんは2つの例題を用いて教えてくださいました。
①どうして、シルバー民主主義と揶揄されるように、若者の意見が世の中で採用されないのか?
これは、「若者はリスクをとって主張しなくなった」などと言われがちですが、実際には少子高齢化によって全人口に対する若者の数が減っているから。例えば現在は、1960年と同じ力で若者が頑張っても、高齢者が多いので、全人口では、2/3のリスクしかとれないそうです。
そんな状況に対して「若者はもっとチャレンジするべき」と議論するのは間違いで、割合が増えている高齢者が若者のチャレンジを支援する仕組みをつくるなど、実態を理解した上での現実的な議論をする必要があります。
②なぜ、中心市街地の商店街はシャッター街になるのか?どうすれば、活性化するのか?
これについても、商店主に「がんばれ」と強いるのではなく、現実的な状況を見る必要がある、と。指標としては、昭和40年代と比較すると、バスの乗客数が60%減ったこと、そして、郊外に住む人が増えてマイカーに乗る人も増え(こちらは、27倍)、中心市街地に来る人は減り、バスに乗る人も減っているとのことが、参考になるといいます。
水は高いところから低いところに流れる
「水は高いところから低いところに流れる」、これは自然の原則です。それに対して、流れの途中に仕切りを作って逆流させるには、莫大なコストがかかります。ですが、水が入っている器自体の方向や傾きを変えることができれば、自然に低いところが高くなります。
澤さんはこれを、根本的に問い(WHY)、環境(制度・仕組み)を変えることだといいます。シルバー民主主義の問題も中心市街地の問題も、根本的な問題を問い直し、環境を変えていく必要があります。
エビデンスでターゲットを絞り、最後は直観で決める
例えば、人口の増加と18歳男性の身長の推移は、99%の相関があるそうです。しかし人口が減ったら身長が低くなるという話ではなく、相関はあっても因果関係があるとは限らない、と。
また中国からのインバウンドが増えたという話は、観光庁の戦略に効果があったというよりは、中国人に富裕層が増えたと考える方が、筋が良いのではないか、とのことです。
データは、一部だけを示します。だからこそ、人間が持つ多様な知識や感覚、そこから生まれる「直観」が大切になります。
このように、エビデンスだけで決定することも、直観だけで決定することも無理があり、エビデンスでバイアスを排除しながら方向性を定め、最後は直観で決める、という方法を澤さんは推奨されています。
エビデンスの有効性を発信するには?
ここまで澤さんの話を聞くと、エビデンスの有効性は腑に落ちるような気がします。しかし澤さんは「エビデンスとか言ってると、冷めた人と思われる。もっと楽しくやれないか」という問いを常に抱えてきたそうです。
そして、同調圧力に弱い人間は、どうしてもバイアスに流されやすい。「エビデンス」の冷たさに替わる、何か良い方法はないものか、ともいいます。
ここから、藤本と坂本も加わります。
藤本:
同調圧力を乗り越えた経験としては、「ミーツ・ザ・福祉」というイベントの企画を引き継いだあことがあります。
数十年も続いていて運営がマンネリ化していましたが、2017年から関わりはじめて、いろんな新しい要素を入れてきました。しかし、変わりたいけど変わりたくない、というような同調圧力はありました。
しかし、実際のイベントの景色を共有できた時に、みんなの意識が変わったという感触がありました。
澤さん:
西会津町のプロジェクトでは、最初に人口減少などのエビデンスの話をしました。
そしてその次には、自分がやりたいことについて話す場をつくりました。
お金も時間もあったら、何をやってみたいのか?
エビデンスを大切にしながら、自己実現を応援し合える仕組みづくりを目指しています。
コレクティブインパクトの基本は、個人のモチベート、そして社会と繋がっているという感覚だと思っています。
坂本:
コワーキングスペースは、そんな要素が強いと思います。
個人の自己実現を、コワーキングスペースは機能的にサポートします。
しかしやはり、現状維持バイアスのようなものが集団にはあると思っています。カオスに振れすぎると戻れないのではないか、という怖さ。
バランスがよいところに安全弁を求めるために、エビデンスと直観を併用することが大切なのだと思いました。
また藤本から澤さんに、「今回の話を発酵と結びつけるとすると、どうなるでしょうか?」という質問。
澤さん:
発酵は、すごく科学的な仕組みだと思っています。
しかし発酵のプロセス自体は科学的ですが、それだけでは良い発酵になるとは限らないと思うのです。
タイミングや環境など、いろんな偶然と科学が重なるところに、良い発酵が起きるのではないでしょうか。
また、研究員からも質問。
宮崎さんからは「エビデンスを使用する適切なタイミングやプロセスはあるのか?」という問いかけです。
澤さん:
直観に偏りすぎているときですね。
熱量があがりすぎていて、クールダウンが必要な時があります。
一方で、データがあれば何かわかるんじゃないか、という思い込みもあります。バイアスを持たずにデータを集めることも大事ですし、自分が何を知りたいのかを絞っていくことも大事です。
そうやって集めたデータこそが、実はとても有益なデータになります。
今井さんからは、「エビデンスやデータが永遠に近づけないテーマはありますか?死や性など、場づくりには理性を越えたものがあると思いますが、そこにデータが寄り添って現場を変えることはできるのでしょうか?」と。
澤さんの講義によるクールダウンを経て、研究員の熱量がもう一段、上ってきたように感じられる質問です。
澤さん:
人間は分子でできています。
意識を持っていますが、人体をバラバラにすると分子でしかありません。
ではなぜ意識があるのか?、それを研究している人もいます。
いくつか書籍も出ていますが、少しは分かってくるかもしれない、というまだ段階です。
しかし、どこまでいってもわからないこともありそうだな、という感じも私はします。
データを集めたら物事を決めることができる、ということはありません。
データによってできることは、物事に座標軸をいれることだと思っています。その結果、なんとなく対象範囲が絞られて、最後は直観で決めるのです。
データサイエンティストなどの仕事をしている人は、データの限界をよく知っています。
最後は直観です。
最後に坂本が「頭をアジャストさせるのに時間がかかりました。今までの流れを良い意味でひっくり返してもらいました」と言っていました。
しかし思い返すと、前回の鈴木さんの問いは「ペルソナを設定すべき」という思い込みを根本から疑うところからスタートしていました。
「本当にそうなのか?」と問うこと、そしてエビデンスで範囲を絞っていき、最後は直観を大切にする。そんな視点で過去の回を改めて振り返ると、また新たな気付きがあるかもしれません。
いつもご覧いただきありがとうございます。一緒に場を醸し、たのしい対話を生み出していきましょう。