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【レポート】場の発酵研究所:第1期#01 [ゲスト]MOTOKOさん

こんにちは、事務局の渡辺(わったん)です。

6月8日(火)、ついについに、第1期・場の発酵研究所が"開所"しました〜!!既に5回に渡る事前説明会から発酵は始まっていましたが、いよいよゲスト講師も参加しての第1回。

ゲストのMOTOKOさんは、発起人の坂本との事前打ち合わせが盛り上がって"5時間"が過ぎていたと聞いていたので、とっても楽しみにしていました。

第1期の研究員は27人。そしてフェローが11人、事務局が5人、ゲスト講師(客員教授?)が12人(うち6名は未定)、合計55人による場の発酵研究が始まります。

全国各地から集まった、さまざまな背景をもつ研究員たち。公務員や地域おこし協力隊、IT企業やデザイン事務所、建築設計事務所に勤める人、福祉関係の仕事をしている人、製薬や化学系メーカーに務める人、大学生・・。ブレイクアウトルームに分かれての自己紹介も、1回では足りないので2回やりました。

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第1回ゲスト:MOTOKOさん

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今回のゲストは写真家のMOTOKOさん。上記のプロフィールでは省略されているのですが・・・木村カエラさんや福山雅治さんなど、超有名アーティストのCDジャケット写真を担当されてきた写真家です。

そんなMOTOKOさんがなぜ、ローカルフォトに注目し始めたのか?そこには場の発酵につながる重要な問いがありました。

高度経済成長、そして資本主義の終焉

MOTOKOさんは20代のころに、写真家の森村泰昌さんのギャラリーを見たことなどがきっかけで、写真家を志したそうです。当時は簡単に写真を撮れる時代ではなく、MOTOKOさんは写真を勉強するためにロンドンに渡りました。

高度経済成長期の真っ只中、写真家として特に音楽業界で活躍されていたMOTOKOさん。しかしMP3やYoutubeの登場で、音楽業界は激変したといいます。

MOTOKOさん
写真は世界を変える、そう信じて活動しています。しかし2002年ころから音楽業界のバブルが弾けたと感じていて、音楽業界の写真家としては危機感をもちました。また写真のあり方も変わってきました。インスタグラムなどにあがってくる写真はどんどん均一化され、写真は多様性を失いつつあります。

またMOTOKOさんは今回、ブレイクアウトルームで10代〜20代の研究員たちの自己紹介を聞きながら、もう資本主義は成り立たなくなりつつあると実感されたそうです。

MOTOKOさん
高度経済成長期には、まちづくりに取り組む人なんてほんの一部で、ましてや仕事になることなんて、まずなかった。それが今回は、まちづくりに取り組んでいる若い人たちがたくさんいるようです。もう、資本主義ではないのだなと改めて思いました。

斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』という本が30万部も売れました。少し前までは、マルクスなどの話をするのはタブーな雰囲気がありました。しかし今は逆に、そんな本が売れる。資本主義への信仰が成立していれば、そんな現象は起きなかったと思います。1964年のオリンピックが日本の近代化を急速に推進しました。2021年のオリンピックがもし開催されるなら、今回は資本主義の終焉を象徴するものになるかもしれません。

ローカルフォトの可能性

メディア業界もまた、あり方が変わってきたとMOTOKOさんはいいます。テレビが強かった時代は、情報発信はトップダウンそのものでした。東京のテレビ局から情報が一方的に発信され、視聴者は何も投げ返せませんでした。それが個人がインターネットで繋がる時代となり、情報は等しく双方向に流れるものとなりました。

MOTOKOさん
双方向の時代となり、対話のデザインが重要になりました。人と人のつながり方が変わり、暮らし方も働き方も変わっていきます。時代が変わっていく中で、みんなでヒイヒイ言いながらも、お互いに支え合っているような状況です。権力者の失言がインターネットを通じて世界中からバッシングされ、辞任に追い込むような時代でもあります。20世紀の情報発信が東京を中心としたトップタウン型だとすれば、21世紀はインターネットを活かした双方向型であるといえます。

双方向型の時代では、対話や共創が重視され、自己と他者の境界が曖昧になり、確固たる主役やスターが必要でなくなりました。写真と密接な関係にある「デザイン」という行為も、日本では広告的な意味合いで使われがちでしたが、「地域のデザイン」などのように広義的な意味合いで使われるようになりました。

社会がそのように変化する中で、MOTOKOさんは地域に着目。双方向型の時代において、写真は地域に貢献できるのではないか。そうして誕生した「ローカルフォト」について、5つのポイントを教えてくださいました。

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ローカルフォト:5つのポイント

①人と人をつなげる写真

ローカルフォトとは、個(private)でもなく、公でもない(public)、共(common)の写真。アートのような自己表現でも、コマーシャル写真でもなく、人と人をつなげる写真。地域の魅力を発掘し、発信することで課題を解決する写真。

②三歩先の未来を撮影する

遠くなく、少し先の未来を想像しながらシャッターを切る。その写真が未来への"道標"となり、夢を実現に近づける。そのままでも、脚色するのでもない「ありのまま」の写真を撮影する。

③シビックプライドの醸成

写真に撮られた人々、被写体が写真を確認することで、これまで気づくことのなかった「自らの魅力」を知り、自信を取り戻す。その結果、自らの地域に対する誇りを取り戻し、日々の暮らしが輝きはじめる。

④まち歩き

モータリゼーションとそれに伴う大型ショッピングセンターの郊外進出は、中心市街地の空洞化をもたらした。人が不在のまちなかは衰退に拍車をかける。そんな状況を変えるべく、みんなでカメラを持ってまちを歩き、人々とふれあい、地域の魅力を再発見することで、まちへの愛着を取り戻す。

5.ローカルカルチャーの醸成

メディアはマスからネットになり、かつて都市のものであったカルチャー(若者文化)が、地方でも簡単に生み出せるようになった。音楽、ファッション、アートといったこれまでのコンテンツに加え、発酵食品や工芸など、地場産業によるローカルカルチャーの醸成を目指す。

そしてMOTOKOさんがシャッターを切る時は、「見たい、食べたい、会いたい」という具体的な行動を促すことを大切にされているそうです。坂本大祐さんの写真を見たら、東吉野村に行きたくなるような。例えばMOTOKOさんは、ローカルフォトの取り組みとして小豆島で7人の女性と「小豆島カメラ」を立ち上げました。

【問】資本主義(新自由主義)という信仰が終わって、次はなにを信じるのか?

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MOTOKOさんを研究所に招いた発起人の坂本より、問いを提供。「資本主義(新自由主義)という信仰が終わって、次はなにを信じるのか?」

これは研究所の根底に流れる問いの一つとも言えます。既にMOTOKOさんがいってくださったように、資本主義という信念は大きく揺らぎ始めています。当たり前のように横たわっていた信念が崩れはじめる時、私たちは何を拠りどころとして生きていくのでしょうか。

MOTOKOさん
日本のみならず、資本主義の限界は世界的な課題ですよね。 小泉政権の非正規雇用の緩和は国の衰退を一気に加速させました。決定的なのはリーマンショックと東日本大震災。そして近年の気候変動。あらゆることが重なって、どんどん閉塞感が増していきました。 とは言っても20年のあいだにデジタル化が進めばここまでひどくならなかったと思いますが。

現在、三島由紀夫が新たに注目されています。 『仮面の告白』や『金閣寺』などの代表作とする文豪ですが、彼は後年「楯の会」という政治組織を編成して活動をしていました。そんな彼が、デモを繰り広げていた東京大学の学生集団「東大全共闘」と、1969年5月13日に討論会を開きました。荒々しく三島を否定する言葉を投げかける学生たちに対して、三島は学生と対等な目線で未来を語ろうとします。それはまさに、人生の先輩と語り合う場でした。時代が違っても、場の発酵研究所のような、対話の場が必要だと思っています。

三島由紀夫が信じていたのは、現人神である天皇陛下でした。それが高度経済成長期には、パナソニックやソニーといった大企業が現人神となり、それがGAFAなどに変わってきました。

みなさんにとっての「神」は何でしょうか?

場の発酵研究所には、10代〜20代の参加者もいます。東日本大震災が起きた年は高校生だったという人もいれば、中学生だったという人も。東日本大震災の時は東京のシェアハウスに住んでいたという参加者は、木造だった家がすごく揺れてしまい、全てが終わるのかもしれないと感じたと言います。

また現役の大学生であるという参加者は、学長と対話する場をつくったことがあるといいます。少し前には考えられなかったような場がつくられている。産業の変化や自然災害により価値観を揺さぶられながらも、三島由紀夫の例のように、自分たちで価値観を揺さぶるような対話の場をつくっていくこともできる、ということなのかもしれません。

研究所の発起人である藤本と坂本も語りました。

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藤本
個人的なテーマとして、「家族」がありました。
幼い時に両親が離婚して、父子家庭で育ちました。そして父もいなくなり、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしていました。家族の再編集、というテーマが僕の中にあります。母方のおじいちゃんが営んでいた楽器屋さんが倒産してしまい、その借金がきっかけで家族が離散してしまいました。当時は4〜5歳だったこともあり、状況がよくわかりませんでした。無力感を抱えて生きてきて、それが原動力になっているとも思います。

根本的には、生き方や生活を変える経済って何なんだろう、という疑問があります。そんな経済ではない方法として、お寺でカレーをたべる「カリー寺」をやったり、イチから畑をつくる「武庫之のうえん」などに取り組んでいます。MOTOKOさんがローカルフォトでつくっているという「共(コモン)」を、みんなでつくっていった方がいいんじゃないか、と感じています。一方で行政関係の仕事をしていると、行政に対する凄いクレームを耳することもあります。大きな何かがなんとかしれくれる、という信仰は未だに根強いと感じます。
坂本
関係性を信じること、"つながり"を信仰していくのだろうと思います。
資本主義の先には、分断された個人がいます。つながっていく力を信じること。

人間は社会性を持っている動物であり、それは身体的に脆弱な人間が動物として生き残ってきた唯一の強みだと思います。個人と個人が協力できること。

そして創造性を持つことができることも、人間の強みです。資本主義社会ではお金がつながりを生んでいたように見えますが、お金を支払って商品を受け取るとコミュニケーションが途切れてしまうように、お金が分断を加速させたという側面もあります。お金ではない方法でつながることを創造することも大切なのかもしれません。

最後に、MOTOKOさんより。

MOTOKOさん
藤本さんはおじいちゃんのお店が倒産したことで、大変ご苦労されたと思いますが、それも、元をたどれば、融資をした銀行が原因だったかもしれません。“一軒家を買うことがステイタス”と「夢のマイホーム」を謳って、国民に住宅ローンを払わせることで、内需拡大した日本。国民に「私有」を啓蒙することで高度成長しましたが、冷戦締結後のバブル崩壊と情報産業社会の台頭によって傾いていきます。

今はそれが行き着くとこまで来たように思います。われわれは何を信仰すればよいのか? 資本主義が行き詰まり、気候変動や自然災害に悩まされる現在、どんな未来を描けばよいのか?

共(コモン)をどうつくっていくか。試行錯誤と対話の時代だと思います

いよいよ始まった場の発酵研究所、初回からとても濃密な時間となりました。私たちは何を信じながら場をつくっていくのか。誰かを信じるのか、自分を信じるのか。

次回は6月22日(火)です。
この深い問いを抱えながら、みんなで対話していきたいですね。

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場の発酵研究所
いつもご覧いただきありがとうございます。一緒に場を醸し、たのしい対話を生み出していきましょう。

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