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【レポート】場の発酵研究所:第1期#10 [ゲスト]曽我大穂さん

こんにちは、事務局の渡辺(わったん)です。

10月26日(火)、場の発酵研究所・第10回でした。第7回以降は研究員と共に話し合って決定したゲストです。今回は、音楽家の曽我大穂(だいほ)さん。舞台芸術グループ「仕立て屋のサーカス」の演出家をはじめ、多岐に渡って活躍されています。ヨーロッパやアメリカでも活躍された実績をもつアーティストと「場の発酵」・・・どんな話題となるのかとても楽しみにしていました。

第10回ゲスト:曽我大穂さん

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音楽家。舞台芸術グループ ”仕立て屋のサーカス” 演出家。
1974年、奈良市生まれ。二十歳の頃、路上でのハーモニカ演奏をきっかけに音楽を始める。フルート、カヴァキーニョ、テープレコーダ、鍵盤楽器、トイ(おもちゃ)などを使った即興演奏を得意とする。
1999年、沖縄にて映像などを使い1本の映画のような物語性の高いライブを展開し続けるシネマティック・バンド “CINEA dub MONKS “ を結成、バルセロナを拠点に活動するなど、日本各地はもとより欧州、ニューヨークなど世界中で活動している。2014年にスズキタカユキ(服飾家)、渡辺敬之(照明家)らに声をかけ現代舞台芸術グループ【 仕立て屋のサーカス 】を結成。青山スパイラルホール、金沢21世紀美術館など国内様々な劇場ホールにて公演を展開、2017年にはスペインの国際芸術センターに招聘され、2週間に渡る全公演をソールドアウトさせた。同グループでは基本設計、総合演出、出演を担当している。
また、〈ハナレグミ〉〈二階堂和美〉〈原田郁子(クラムボン)〉〈照井利幸(ex. BLANKEY JET CITY)〉〈グッドラックヘイワ〉〈mama!milk〉など様々な音楽家のライブサポートやレコーディングメンバーとしての活動でも知られている。2016年には〈持田香織(Every Little Thing)〉の楽曲アレンジプロデュースを手掛けた。
その他、ファッションショーやテレビCM音楽(洋服の青山、スプライト、富士ゼロックス、ライフカード、他)の楽曲制作や演奏、小説家・いしいしんじとの即興セッション、映画監督・関根光才の映像音楽など、様々なジャンルとの音楽制作も数多い。
近年は自身ソロでの公演や、森俊二(Natural Calamity・GABBY & LOPEZ)と結成した「DAMO」、ロボ宙との「a-ho-bo」としての活動も行っている。これまでに、CINEMA dub MONKSとしての3枚のCDアルバムと1枚のアナログ盤をリリース。

http://www.cinemadubmonks.jp/
(CINEMA dub MONKS)

ものすごい実績の数々の大穂さん。20歳のハーモニカ演奏をきっかけに始めたという音楽活動は、沖縄でのバンド結成当初には苦労もあったそう。どのような発想でバルセロナなどに展開されたのか、プロフィールを拝見するだけでも疑問がたくさんです。

1000年続く舞台表現の1年目に立ちたい

大穂さんははじめに、仕立て屋のサーカスの基本テーマを紹介してくださいました。

仕立て屋のサーカスの基本テーマ

表現とは本来、
未分化で未整理であり、
人の衝動や思いの塊のようなものであるとの考えから、
さまざまな表現が混在するままの姿を伝えるべく、
過剰な演出、
作為的な行為を排除し、
一心不乱に物づくりの姿を見せていく。

演じるのではなく、
動きの真実を見せること。
空間、音楽、光と影、衣服、料理・・・。
人の生活にあるすべてを使って、
どこか心を揺さぶられる瞬間をつくりあげたい。
自分たちが消え、
時代が移り変わっても残っていくような、
1000年続く舞台表現の根本を求め、
挑戦を続けていく

短期的な成功を狙いがちな音楽業界での教訓から、震災後の2014年に自分が新しくグループを立ち上げるならばもっと長いスパンで作っていくものを始めようと思った、という大穂さん。能楽の勉強をしていた時に、その700年以上続く歴史に心を打たれたそうです。いつか、100年〜1000年と続く舞台表現の、その初日に辿り着きたいと思った。

そんな大穂さん、2020年12月には著書「したてやのサーカス」も出版されています。本を出版すると、トークショーに呼ばれることが増えました。舞台の本だと思って読んだという若者が、読み終えた後は自分も旅に出たいと思った、という感想を言ってくれたそうです。それがとても嬉しかったと。大穂さんの人生がますます気になります。

世界への一歩「CINEMA dub MONKS」

バンド名は、映画(総合芸術的)の表現に追いつきたいという想いから「CINEMA」を。「dub」は、レゲエの「ダブミュージック」に由来していて、音の立体的なコラージュ感やロックな路地裏的な精神性を忘れないなどの意味合いを込めているそうです。「MONKS」はジャズピアニストのセロニアス・モンクに由来しているそうですが、モンクは一風変わったピアニスト。例えば演奏中に最高の瞬間に達して、そこで立ち上がって踊りながら帰ってしまったり、ピアノの演奏中に頭を抱えて鍵盤の音を一つひとつ数え始めたり。ひたすら自分に正直に、その瞬間の自分の気持ちを音楽に活かす姿勢。この3つの想いを込めて「CINEMA dub MONKS」と名付けられました。

大穂さんたちはスタートから2年目には、音楽に加えて映像を入れたライブを始めました。ポジフィルム(普通は写真をプロジェクターで投影するために使うフィルム)に引っ掻いたり色を塗ったりしたものをスクリーンに投影し、1枚の絵画のような映像に入り込み行うライブの手法に取り組んだそうです。

「みんなが勝手にそれぞれの物語を見つけて欲しい」、そんな想いで作り上げたパフォーマンスを、生活の拠点でもありパフォーマンスの制作場所でもある沖縄で発表しましたが、沖縄のお客さんたちはそこまでピンと来てない感じでした。しかし、翌年バルセロナに渡り、全く同じことをするとバルセロナの町の人たちにはとても響いたようでした。ライブが終わるたびに沢山のお客さんが「大穂、今日はこんな話だったんだろ?」と話に来てくれたそうです。

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今回は「ヒュッテ スバルコデザイン」(鳥取)から出演

自分がおもしろいと思うなら、どこまででも見せにいく

それが大穂さんの大きな気づき。自信のある「何か」ができた時は、住んでいる町や生まれた国の状況、好み、などに合わせようと修正なんかは決してせず、まず、自身のあるその形のまんま世界の色んな町に見せに・伝えに行くこと。そうすると、どこか知らない遠くの町・国で、それを喜んでくれる人たちがいるかもしれない。自分が住んでる町や生まれ育った国がそれを受け入れてくれやすいとは限らない。

大穂さん:

ベルリンでのあるライブ後、年配の女性が涙を流しながら「なぜあなた達は、私の人生を知っているの、今日のライブには故郷からベルリンへ流れ着いた私の人生の全部が詰まっていた。」と感想を伝えてくれました。その時、沖縄の片隅で小さなスコップを使い足元を一心不乱に穴を掘り続けているようなことをしていたら、いつの間にやら地下深くで轟々と流れている、国境や時代など全部が繋がった水脈、もしくは普遍的な川のような「何か」に到達していたのかも、、と思ったりもしました。

しかし、ホームタウンを気にするなと言いながらも、心のどこかにはホームタウンでも受け入れられたいという本音もあるという大穂さん。ご両親にも「何がおもしろいのかわからない」と言われていたそうですが、出版した著書を読んでもらうと「ちょっとわかった」と言ってもらえたと。それはやはり、嬉しかったそうです。

「音楽」にとらわれない:仕立て屋のサーカスの原風景

場の発酵研究所発起人・坂本と藤本から質問。坂本からは、大穂さんが音楽に臨む姿勢について。CINEMA dub MONKS(以下CdM)は一見すると、ヨーロッパでの評価など、かなり成功している印象があります。しかしそこから日本に帰ってきて、仕立て屋のサーカスがスタート。そこにはどんな想いがあったのでしょうか。

大穂さん:

仕立て屋のサーカスと名前は違うけど、自分の中では一貫していて、CdMと繋がってやっているプロジェクトだと思っています。

CdMを昔から知っている人が仕立て屋のサーカスを見た時「大穂は昔からそういうことをよく言っていて、やろうとしていたね」と言われました。

一貫しているプロジェクトだけど、名前を新たにつけたのは、誰がリーダとかではなく、フラットな関係でイチから皆んなで一緒に考え作る体制にしたかったからです。所詮、一人の頭だけで考え作り上げたたものでは、100年以上続く強度のある表現に辿り着けないのではと考えました。

実際、表参道にあるCAYというレストランで、「CINEMA dub MONKSの音と布と食の大サーカス展」というイベントとして数回にわたり開催したのが仕立て屋のサーカスの最初で。仕立て屋のサーカスのメンバー達は、このイベントのゲスト出演者たちだったそうです。

存続の危機にあったCAYを復活させるプロジェクトでもあったそうで、イベント中はCAYの料理を食べ放題にしたり。これが日を重ねることに盛り上がり、大穂さんが即興で泡盛を振る舞ったスペースは即席の立ち飲み屋のようになったり、新たな出会いが起きるなど。「音楽を観に来たけど、料理に夢中な人もいるし、喋るのに夢中になっている人もいる。ミシンで物を作ってる人もいる、あらゆることが同時多発的に起きている」という、これが大穂さんが見たかった景色でした。

大穂さん:

いま、音楽のやり方や舞台のシステムはこうあるべき、というものがあちこちにありますが、今後、そのままで100年も200年も続いていくほど強度ある物とは思えませんでした。なのに、いつ誰がそれを固定化してしまって止まってるんだろうと。本当は、何もかも全ては途上、途中のはずなのにと。

人々は、普段の日常では当たり前のように偶発的で同時多発的なものに毎日出くわしながら生きている、だから舞台も、演出家など誰かの頭で計算し終幕までコントロールしたものだけではない、もっと同時多発的でかつ偶発的にさまざまな要素が自然に次々と生まれるものの方が、各々が自分に引き寄せ自分だけの物語を作り出して楽しむんじゃないかとも思ったんです。

藤本からは、舞台をつくる時の大穂さんの基準について質問。様々なことが同時多発的に起きる大穂さんたちの演出には、サービス精神を大切にする、作り込みすぎないなど、こだわりの基準はあるのでしょうか?

大穂さん:

こだわりの基準、、例えばサーカスでは、ご飯が美味しいことにもこだわっています。けど、それは心配性だからというのもあります。。。万が一、公演がおもしろく感じなかっとしても、会場のご飯が美味しかったからいいや、と思ってもらえるようにする、とか。面白くなかったけど、出店の中から探していた本やレコードが見つかって良かったな、とか。怒ってそうな人にはこっそりと飴をあげるとか。居心地の良い部屋を出て、会場に足を運んでみたが、やはり、外に出かけるというのはまんざら悪くないもんだ、また出かけるか、、、というような気持ちのリレーを自分の公演で途切れさせたくないなということも意識してしまいます。
また、客席は常に自分たちの手で並べ、色んな角度からのお客さんの目線をチェックするようにしています。そして、公演中に会場の左後ろからはこう見えてるんだろうなと想像したり、公演中にそこをふと凝視してたらどう感じるだろうか、とか考えたり。

色々参加させていただいたメジャーのミュージシャンの現場はかなり分業制が進んでいて「余計なことをせず音楽にだけ集中してください!」と言われたりする時もありましたが、そんなやり方だと、逆に表現のヒントが乏しくなっていくとはずだと自分は考えてます。そういうところにこそ大事なヒントが転がっている筈です。

全部自分でやることが、表現のレベルアップや新しい発見につながっていると思います。

大穂さんが、印象的な古着屋さんを例に挙げてくださいました。

奈良の商店街に古くからあるアメカジの古着屋さんが、ある時期から服だけでなく野菜も軒先に売り始め、そのうち野菜が店の3分の2を占めるようになっていた。けど、ちゃんと古着も店の片側で売っている。もう何のお店と呼んだらいいのか、それをピッタリ表す言葉・名前が存在しない業務形態なんだけど、周りからはとても必要とされていて繁盛しているお店になっていた。そんな感じがいいなと思ったそうです。そもそも、丁寧に自分のやりたいことを一つ一つ根気よく積み重ねていくと、なんでもそういうもの(まだそれをうまく言い表す言葉が存在しない状態)になる筈なのではとも思っています。住んでいる町にある店や会社の全部がそんな名前のつかない業務形態、、一度はそんな町で暮らしてみたい、と夢想も。


これはまさに、CINEMA dub MONKSというバンド名にも込めていた考えなのかもしれません。

大穂さん自身、いつの時代にかなんとなく決まった型かもしれないのに、その型に身体や心を修正しなきゃいけない、、という状況の多さに、若い時は窒息感のようなものを感じていたそう。必ず一つの型、わかりやすく説明しやすいものにはめ込もうとする。しかし実は、いろんな合間で揺らいでいる状態のほうが、それぞれに合っているのかもしれない。そんな大穂さんの思考は、すべての表現に反映されている気がしました。

大穂さんのチームづくり

研究員からも質問があがります。CINEMA dub MONKS時代には「一人で考えていた」という大穂さんですが、仕立て屋のサーカスでは「100年以上続く強度」を求めて、チームで舞台表現に取り組んでいました。そのチームづくりにも、大穂さんの型にはまらない思考が現れているようです。

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大穂さん:

例えば、バラバラな形の二つのゴツゴツとした石を組み合わせたとして、あわさらないままゴツゴツしたままでも気にせずひたすらゆっくりとすり合わせ続け、ある年月を経てふと見ると角がほんの少し取れて、とても奇妙な不思議な状態でピタッと合わさっていることがあります。なんて言っていいかわからない、その状態や形を表す言葉もまだ存在しない、、そんな状態になるのを目指し、すり合わせをずーっとやっていこうという感じです。
ただ、「すり合わせ筋肉」のようなものがどうやら身体には存在していて、それがしっかりある人、まだあまりない人、という違いが人それぞれにあるのかもと、最近は気をつけるようにしています。

まだ「すり筋」が少ない人、無い人にすり合わせようよとし過ぎたら、苦しいプレッシャーになり苦しい時間になるんだろうとも思うので。ゆっくりと。

とにかく、一緒に組んだ人とはひたすら着地点を求めてすり合わせ続けます。もっと言えば、好みや人生の向かいたい方向が違っていたりして最初から全く合わない人同士だったとしても、「すり合わせ筋」さえしっかりある人同士なら、誰とでも最終的には良い仕事のパートナー、恋人や家族、になるんじゃないかと思ってます。

すり合わせてる過程は、必ず新しい発見がありとても勉強にもなりますよ。

最後に坂本が、「いいライブを見たあとの気分」という感想をもらしていました。そして「それはすぐに言語化できないし、無理に今すぐに言語化する必要もないし、言語化されるのは10年後かもしれない。」と。

大穂さんは今回、薄暗い部屋でゆらゆらとした灯りに照らされながら語っていました。これも多少は影響があったのではないか・・・と思ってしまうような揺らぎとともに、参加者のそれぞれが各自のリズムで揺らぎ、それぞれのタイミングで大穂さんからメッセージを受け取り、なんとなく返す、そんな雰囲気の第10回・場の発酵研究所でした。

いつもご覧いただきありがとうございます。一緒に場を醸し、たのしい対話を生み出していきましょう。