【寄稿者:徳田嘉仁】「生きることの根源は”生命”にあるのか、”生活”にあるのか。人生を考えるための”場”について問いかける」(寄稿記事vol.5)
みなさん、はじめまして。
場の発酵研究所の共同代表である藤本遼さんに誘ってもらい、フェローとして参加している徳田嘉仁(とくだよしひと)です。普段私は、vol.1〜vol.4までの寄稿記事を書かれた皆さんとは違い、「場づくり」※とは程遠いところで仕事をしています。
※場づくりという言葉に違和感があり「場の発酵研究所」となった経緯に強く共感していますが、ここでは細かなことは(あえて)気にせず「場づくり」と言わせてもらっています。
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私の本業は、医師です。この3月末までは高度急性期病院の3次救命救急センターで、救命救急医・総合内科医として働いていました。そして今は町の訪問診療医として、がん末期の患者さんや高齢の方々が”終の棲家”の中で少しでも安心して過ごしていけるよう、(誤解が生まれるかもしれませんが、もっと直球の言葉で言うと、”安心して、そこで死んでいけるよう”)、医師という職能を活かし、働いています。
「コミュニティと場は、なにが違うのか?」
この問いに対して、藤本遼さんは以下のようなことを答えていました。
コミュニティは、共通のなにかを前提とした人の集まりと言える。(中略)
一方、場はもっと広い概念。
・・・そもそも場は、人の存在すら必要としないときもある。
例えば、葬式やお盆。そこでは、そこにはいない故人を偲ぶ”場”がある。
そこに”その人”はいないけど、想いや記憶、形のないもの、それ自体が場の構成要素となりえている。
・・・場”づくり”なのか、場を”発酵する”なのか。この議論の前に藤本さんは、まず”場”というものの奥ゆかしさを丁寧に語ります。
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そんな「場づくり」について、医師として働く私が何故興味を示すようになったのか、もう少し私の話をさせてください。
私は医師として働き出した当初、沖縄の離島で救命救急医をしていました。朝も夜も、身を粉にして働く日々。私が守るべきものは”生命”のほか、ありませんでした。何故なら私は”命”を守るために、医師になったからです。「命を守るためにはなんだってする」が、当時の私の信条でした。
しかし、離島は医療資源が乏しく、島の中だけでは救いきれない命があります。そんな時、私はドクターヘリ(や自衛隊ヘリ)を呼び、本島に患者を搬送していました。それは、当然のことですし、おそらく今も離島に戻れば行うであろう「正しい医療行為」だと思います。
そうやって”救命”のために、島内で出来ることは全力で立ち向かいながらも、ときに本島に搬送していたある日。ドクターヘリ搬送が必要と判断した1人のおばあが、私に問いかけました。
“ヘリかね・・・?”
当然のように私は「ヘリだよ、でないと助からないさ。船では間に合わないから。」と答えます。しかしおばあは、私の切り返しでは納得されない表情を浮かべながら、何度も何度も私に「ヘリかね・・?」と聞いてきました。
何故なら、そのおばあが返して欲しかった言葉は「ヘリか、ヘリじゃないか」ではなかったからです。
今まで運ばれていった(多くの)おじいやおばあは、残念ながら島に戻ってきませんでした。本島の病院に搬送され、たとえ治療がうまくいっても体力が落ちて離島に戻ってくることができず、本島の家族に引き取られたり、施設に入っていったりするからです。
今までヘリで運ばれていった人々が戻ってこない、ということを何度も経験してきた島に住む方々は、ヘリに乗って本島に搬送されるともう二度と自分が生まれ育った大好きなこの島には戻ってこられない(かもしれない)、ということを識っていたのでした。
つまり、「ヘリかね?」というおばあの質問は「もう、この島には戻ってこられないんですか?」と同義でした。
彼ら、彼女らの生活や人生は、全て島の中にあります。生きる上での土台となる島に、もう戻ってこられないかもしれない。
おばあが言う「ヘリかね・・?」という問いには、戻れないことに対する憂いが含まれていたのです。
何度も言う通り、救命のためにドクターヘリで患者を搬送する医療行為の正しさを否定するつもりはありません。同じ状況に戻れば、同じような判断を今も下すだろうと思っています。
しかし私は、”生命を守る”大義名分のもと、”これまでの生活や人生からその人を引き剥がしていく”という行為の違和感を、ドクターヘリで搬送するという物理的な方法によって、強く実感したのでした。
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そんな離島での経験を経て私は、「”生命”だけではない、”生活”や”人生”。全ての”生”を豊かにする」医療について模索するようになります。
・・・そう。私が医師として守りたかったものは、”生命”の”命”(だけ)ではなく、”生”の方だったんだ。そのことを島のおじいやおばあに教えてもらいました。
いま、私は医師として、臨終の現場に、(ほぼ毎日と言っていいほど)立ち会っています。人が死ぬ。何度経験しても、慣れることはありません。
ただ、そこには、確実に「場」が存在している。
藤本さんの「場」の概念を聞いたとき、すとんと自分の中で、自分がこの臨終の現場に医師として立ち会っている意味を理解した瞬間がありました。
が、この話は長くなるので、また次回・・・。
是非、「場の発酵研究所」のなかで語り合えたらと思います。
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私は、自らが離島で感じた課題を解決したい、と思い「まちづくり診療所」という構想を考え、少しずつ実行にうつしています。
▼まちづくり診療所に関しては、こちらのnoteをご参照ください。
https://note.com/machi_clinic
私の寄稿記事はとっちらかった内容だし、「え・・・で、結局、徳田の考える”場”って一体なんだ?」「場の発酵研究所ってなんなんだ!?」に答えるものではありません。
今日、長々と私が書いた寄稿記事は「私が私を”場づくり”の方向へと突き動かしている内なる動機」の話です。
ただ、これから皆さんと”場”について考えていく上で、私が大事にしている内なる声を表明しておくのは大切なことだと思い、つらつらと寄稿記事という形で文章におこしてみました。
(藤本さん、こんな寄稿記事があっても、いいですよね?笑)
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活気のない街をまた元気にしたい
引きこもりの中学生を支援したい
ただ、なんかいいなあと思える居場所を作りたい・・etc
私達が「”場づくり”を行っていきたい」と思い、行動にうつすその背景には、大なり小なり、なんらかの社会的課題があると思います。もっと言うとその社会的課題は、より「自分が感じた、自分にとっての課題」かもしれません。・・・でも、それでいいなと思っています。
最後に、こんな寄稿記事にしようと思ったきっかけとなった、最近読んだ本の一節を紹介して締めくくります。
“旅に出ることが大事だと考え、頭の中でできると信じ、心の中でどうしてもやりたいと感じること”
“内なる声(inner voice)を聴く”
“力の源になるのは、何のために行動するのか、何のために生きるのかについて自分なりの納得感のある答えだ。”
リーダシップの旅 見えないものを見る 光文社新書
医師が、場について考える。
そこには、命だけではない、生活や人生を包括している。
死ぬ、ということを、日常の中で意識する。
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私は、私の専門分野を活かしながら、皆さんと一緒に「場について考える場を発酵」させていけたらいいなと思っています。どうぞ宜しくおねがいします。
「地域活性×医療×アート×いきがい」をデザインし
そこに住む人々の生命、生活、人生、、全ての”生”を豊かにする
医師 徳田嘉仁
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