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“Why Japanese people !” is ok

中学校の授業から始まった英語教育では文法学習をけっこうやる。少なくとも自分の時はそうだった。文章構造には、S(主語)+V(述語)が必ずあり、それらを補足するC(補語)やO(目的語)も場合によって伴うといったようなことを教えられる。

しかし、いきなりそういったことを教えられると、必ずV(述語)が必要であるとかいうふうに考え頭でっかちになってしまっていた自分がいた。

英語にたくさん触れるにつれて、実際には今回の題名のように”Why Japanese people !”(日本人はなんで!) といったような述語がない文章でもオーケーであると途中気づいたことがある。(この”Why Japanese people!”というのは外国人から日本人を少し皮肉ったような文章の一部だった。)

それに気づいた後は出来る限り英語をOutputしたらいいということで英語の能力がそれ以前より上がっていったように思う。日本語でも述語がない文章なんていっくらでもあるのだから。そういった意味では、日本語も英語もあまり違ったものと見るべきではないというのが持論である。例えば、仮定法現在では、日本語も英語も過去形を使うのである。他の国の言語ではどうだろうか。韓国語は似ているから過去を使うかもしれない。

自分は文法も大事であると考えているほうだが、初めに文法を教えることによって、これはダメだといったような観念が頭に根づきOutputを減らす弊害があると感じる。幼児教育においても、あまりあれこれルールを初めにいいすぎると、挑戦することに億劫になってしまうこともあるので注意が必要である。授業参観にいくと小学校低学年では手を上げて発言する子が多いように見られるが、だんだん上級生になるにつれて減ってくるのへそういったことが原因にあるのかもしれない。アメリカの授業で男女問わず他国の人の発言率の多さを見ると、このことは思春期に恥ずかしさが増えてるという理由だけでもなさそうである。

日本の教育は幼児から義務教育の終わりまで一貫してルールを決めようとする傾向が強く自由な発想の阻害になっている面があると思わざるを得ない。空気が読めそうで読めないと言われるような自分もいかがと思われるが、空気を読まず、どんどん自主的にいろいろやっていってほしいと思う。

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