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シンガポールのキタアカリがうますぎる【失恋日記2日目】

失恋して2日目(正確には1日半)にもかかわらず
レンチンしたじゃがいもを食べ、電話口で母に
「じゃがいもうんめえええ🥔」
なんて言っていた自分がいた。

草超えてじゃが、という感じだ。
(上手くない。じゃがいもは美味い。)

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私は失恋すると躁鬱のように
“全然大丈夫!タイム”と
“やっぱりまだ治療中だった...タイム“を繰り返す。

後悔しないか何日も何ヶ月も考えて
限界を迎えて自分のタイミングで告げた別れか、
向こうから予想だにしないタイミング&理由で
言い放たれた別れかにもよって、
もちろん波の大きやさ頻度は変わるのだが。

今回は前者だったので、自分の気持ちを言った後は
思ったよりもスッキリした。
むしろあのまま考え続けていたら
数ヶ月後にはハゲていたのでは?と考えるほど
思い悩んでいた。
自分あんなに考えてかわいそうだったな、
とも思う。

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私は彼との将来を信じたくて
Never young beachの”明るい未来“を
何ヶ月も良く聴いていた。

まだこの曲を聴いて彼との思い出に浸り
明るい曲調とは反対に
わんわん泣きたくなる時もある。

あぁ、他でもない彼との思い出は
もうこの先作れないんだ。
今日初めてそんな当たり前のことを痛感した。
お別れする、永遠に交わらない、とは
こういうことなのか、と。

今回は、今までの彼と違って
同じ学校やサークルの人ではなかった。
アプリでの出会いだったので、
共通の友達も一人もいなかった。

だから私が断ち切ってしまえば
彼が偶然に姿を表したりしない限り
一生彼の話を聞くこともない。
彼の新規情報を更新する日は来ないのだ。

別れとは、本来きっとそういうものなのだ。

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彼との思い出、と今書いていて気づいた。
果たして彼の中では、私が大事にしている思い出と
同じ瞬間は”思い出“として残っているのだろうか。

多分今回の彼は、残っていないだろう。
なら、頭の中で彼をつくって
寂しくなった時は夢の中に登場させよう。

本物の彼よりも、もっともっと優しくて
私のことを一番に思ってくれて
私のことを誰よりもわかってくれて
いつも労ってくれて
思いっきり甘えさせてくれて
ずっと一緒にいてくれる彼を作ろう。

私の頭の中に作ってしまえばいつでも一緒だ。
私がボケるまで離れることもない。
彼にしてあげたいと思ったことを
代わりに自分にしてあげよう。

例えば、仕事の合間にお茶を淹れてあげるとか
部屋を片付けて快適にしてあげるとか
美味しいご飯を作ってあげるとか
記念日にプレゼントをあげるとか。

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とても馬鹿げているし
本人が聞けば狂気じみていると逃げ出すだろうが、
私は彼に会ってから
初めて人を愛するとはどういうことか知った。

彼にしてあげたかったことを
今後私をどう扱うかわからない彼にするのではなく
私自身にしてあげよう。
時間をかけて、自分を大切にする方法を
ゆっくり学んでいこう。

人生はきっとまだ長い。
もう25歳だけど、まだ25歳。
私は”独り“じゃない。
けど”単身“でも楽しく生きていこう。

シンガポールのキタアカリみたいな
元気の出るお気に入りを
どんどん見つけてみよう。

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