
心理的安全性について考える
銀行口座決済の当たり前を変えるPay By Bankを磨いている、BANKEYの阪本です。今回は少し毛色を変えて普段考えていることについて(トップの画像の関係のなさがヤヴァい)。
序章:Googleのヒトに聞いたこと
銀行員時代、仕事関係で会いたい、インタビューしたいと思って相談したら大体会ってもらえてインタビューさせてもらえました。名刺の力凄い!!役得。
Googleさんも役得の1つで、銀行で新規事業や新規事業を生み出すための組織づくりみたいなことを企画しているときにインタビューに応じてもらいました。その時の話で最も印象的だったのが「大事なことは実はトイレに標語的に貼ってる」という話で、実際のところ人間の習性なんて簡単に変わらないんだから繰り返し繰り返し見て、発して刷り込んでいくしかないんだなと。南無阿弥陀仏、念仏最高です。序章終わり。
本題:心理的安全性について
最近社内で心理的安全性について議論することがありました。そもそも心理的安全性(psychological safety)とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことを言うそうです。
1999年にハーバードビジネススクールで組織行動学を研究するエイミーC.エドモンドソン教授(「恐れのない組織」の著者)が提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義されています。
かつて、Googleが「生産性が高いチームは心理的安全性が高い」との研究結果を発表したことなどから注目され、多くの組織で心理的安全性を高め個人や組織の効果的な学習や革新につながるといった期待が高まっています。
心理的安全性を担保して下さいという言葉への違和感
現状に停滞させるバイアスに打ち勝ち革新的なアイデアを捻出し、そのアイデアを実行していくためには闊達な議論が重要であることに疑う余地はありません。
また、経営の立場で言えば例えば「悪い報告ほど早く!」というのは共通テーマなのだと思っており、この悪い報告ほど早く上がってくる組織づくりにおいても心理的安全性を高めていくことは極めて重要かつ大変意義深い取り組みであって、逆に心理的安全性が低い状態は自分のクビを締めていることに他なりません。
だがしかし、心理的安全性を担保して下さい、担保して欲しいと言われると天邪鬼な性格が原因なのか「え、やだ」と感じてしまうのです。これはこれまでの社会人経験の中でそういうこと言う人に限っていざ意見を言ってという場面になると、何も意見がない、あるいは他人の心理的安全性について関心がないといった場面に遭遇してきたことに原因があるのかもしれません。
違和感の正体について考えてみる
先ほど、「恐れのない組織」をAmazonでポチリました。これから読んでみるわけですが、理論に触れる前に敢えて自分が持った違和感の正体に迫ってみたいと思います。
(1)心理的安全性の目的
言葉の定義は、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことです。この状態を実現することが出来ると自由闊達な議論を通じて組織の風通しが良くなり多様なアイデアが生まれます。
ただし、組織(例えば弊社のようなスタートアップの場合でも)には組織として目指しているゴールがあります。心理的安全性はそのゴールに照らして矛盾がないことを前提に確保されるべきです。
例えば、アイデア出しのフェーズでは心理的安全性が確保されていることは極めて重要です、そもそも会社や組織は1人では実現できないことを集団の力で実現するためのハコなので集団の力を最大限発揮していくことは合理的です。一方で実行フェーズはどうでしょう。決まったことに対していつまでも自由に議論していても何も物事は進みません。ただし決まったことがBestではない可能性はゼロではありません。発言には割と高度なバランスが要求されます。
(2)心理的安全性は義務か権利か
経営にとっては心理的安全性を高めることは義務と言っても過言ではありません。全知全能の経営者であれば他人の意見は不要かもしれませんが、僕を含む多くの経営者にとって、意見、批判、気付き、指摘は大変ありがたいものであります。言えない環境、上がってこない環境を作ってしまっているとしたら早急に変わらねばなりません。
一方で心理的安全性は経営から一方的に与えることが出来るかと言うとそうでも無い気がしています。どちらかというと一緒に作るものでは?前提となる関係性無しに心理的安全性がないと言われても…ごめんなさいとしか言えないっす。
(3)言ったもん負けの空気感
自由闊達な議論は企画フェーズでは重要、実行フェーズでも重要だが高度なバランス感覚が要求されます。なぜならどれだけ素晴らしいアイデアやコンセプトも実行されないと意味がないので。現実世界で具現化させるという作業を伴うため議論だけではダメ、求む高度なバランス感覚。
もう1つ悩ましいのは、企画フェーズで発言した結果、実行責任取れよの空気感。個人的には企画から実行に渡すバケツリレー方式が好きでなく、責任とって実行する(バケツを持って走る)のが大好物なのですが、周りを見ていると案外実行はしんどいというヒトは少なくない。ここは結構悩ましいところで実行責任を問わないからと心理的安全性を高めることでより良いコンセプト出しにフォーカスするのが良いのか、でもそれだと魂こもらなくないですかなのか。
ま、弊社のような少人数スタートアップの場合には考えると実行するの境目を設ける余裕は無いのでバケツ持って走れ、言っても言わなくても全てのプロセスに巻き込まれるので安心してねなのですが…
結局何が言いたいの?
というわけでつらつらと思っていることを吐き出しましたが、結局のところ心理的安全性って空から降ってくるものではなく高めるために組織のメンバー1人1人で取り組んでいかなきゃいけないものだなと。
一方的に「下さい」と言われても「あいにく切らしておりまして」と答えるしかないということであります(ただし経営としての合理的判断として心理的安全性を高める努力は惜しみません)。その代わりと言っては何ですが、裁量権についてはむちゃくちゃ大きくお渡ししますというのが今できることかしら。
おそらく理論的にはかなり無茶なことを言っていると思うのでこのあと確りと本を読んで補給したいと思います。南無。ではまた。