「決算書を読める」とは具体的に何ができれば良いのか

最近の若いのは決算書も読めない奴が多くてさ~
というツイートが流れてくるのを見たのですが、今から10年以上前にも現場で同じことを言われているのを聞いたことがあり、霊感によれば20年前にも言われてたんじゃないかという気がしてきました。

「読める」とは何なのか

 ところで、そもそも「決算書が読める」とは何なのでしょうか?
そら「けっさんしょ」という漢字は読めるでしょうし、数字を読み上げる事でもないでしょう。黒字ですね!とかも、まぁそら見ればわかるでしょう。多分そういうことではない筈です。更に言えば仮に決算書から元帳から全部読んで完璧な分析が完了していたとして、それをどこにも出さず胸にしまい込んでいれば、決算書を読めた、という評価を得ることは難しい様に思われます。要は決算書を読めるとは、読んだ結果どの様な行動ができるか、という事ではないでしょうか。まずその辺をとっかかりに解き明かす試みをしていきたいと思います。

その場で必要な事に気がつき、判断ができること

 多くの与信の仕組を導入している企業では担当が決算書を支店に持ち帰るとそれを機械に読み込ませてスコアリングという点数を(事後的に修正は可能ですが、一旦は)機械的につけます。これはなるべく恣意性を排して一定の基準で経営状況を評価する為の仕組みですが、これに頼っている状態で「決算書を読める」という評価を貰う事は難しい様に思われます。よく言われるのは「貰ったその場で開いて熱い内に社長と会話しろ」ということでした。その場であれば多くの場合必要な情報を引き出せますしね。即ち、開いてその場で必要な事に気が付き、諸々の判断ができることが必要ということです。

 気が付くべき必要な事とは何か。これは決算書を見せる逆の立場では、それを見た担当者に「当然それはコメントするよな?」と思っていることが幾つかある訳です。それは例えば経営上の重大イベント、投資だとか大口調達だとか、商流の変更であるとか。非上場企業において決算書類と言われるのは法人税の申告書類一式等ですから、有報の様に重要な内容の説明がテキストになど落ちていません。受け取る前に予習してきた過年度の決算情報と合わせて全て数字から読み取る必要があります。もしそこをスルーしてしまうと、「こいつ、全然わかってなくて話す価値無いな」と思われてしまう事はあるかもしれません。逆に良く分かってる奴でないと気が付けない様な点にコメントが付くと「おっ、やるじゃん。話してやるか」とちょっとノリノリになってくれるかもしれません。経営頑張ってる社長や責任者が上手く行ってるならそれを話したくないワケないですからね。その時点でライバルに一歩先んじることができます。

 あるいは、逆に絶対に気づかれたくない事に気づくのも仕事です。何か。一つしかありませんね。粉飾、あるいは粉飾まで行かなくても、不適切な取引、資産性の棄損、重大なリスクの発生、取引先として数字だけ見て気が付かなければならないことは沢山あります。見てたのに見逃したということがあれば、それだけでギルティーな訳です。先ほどの話が良い関係を築く為の攻めの読解だとすれば、こちらは守りということになりますね。

その内容でどんな取引ができるか、好ましいか

 後はわざわざ決算を貰う間柄であるということは、当然取引の為に行っている訳です。なので、決算の券面を見ただけで持ち帰って機械に放り込んだ時にどのくらいのスコアになるか、もっと言えば取引して問題ないかが感覚的に一瞬で分かる必要があります。何の為かと言えばその場でとっかかりでも商談を始める為です。勿論、その場で決裁も取ってないのに断定的な表現を使ってしまう事は厳禁ですが、一方で決算が出るということは、もし良い内容であれば取引先が皆一様に突っ込んでくる訳です。その場で何も言えずに全部持ち帰りになってしまう様だとスピードの問題で恐らくもう取引は回ってきません。それでなくとも「できない担当者だな…」と思われてしまう事は避け難いかもしれません。

前提としての相場観

 見た結果の行動としてはざっくり上記くらいかと思いますが、空手形でそんなことができる人間というのはいません。前提が要ります。それは色んな要素がありますが、一番基礎となるのは「相場観」です。例えば、一定の業態であれば、そこには無ければおかしい科目、あってはならない科目、そして各課目の概ねあるべき残高の相場があります。代表的な所では一般的な商慣習では支払いサイトは「末締め翌末払い」というのがスタンダードです。であれば取引発生が月内に均等に分布した場合売掛残は1.5カ月になる筈なのです。別段の商流がない中で2カ月を超える様な売掛があれば、まずは反応すべきでしょう。もっと解像度を上げれば例えば「開業30年、年商20億の地域のスーパー」であれば、その時点で概ね想定される一般的なBS/PLというものがある訳です。一つの例として、売上の殆どが現金である筈なので、大きな金額の売掛があったりすれば「別の商流があるのか?」とならなければなりません。棚卸もあまり長いと変です。食品なので腐っちゃいますね。上記の様な反応というのはその様なあるべき姿との差分にまず着目して、必要な個所について違和感を感じることではないかと思います。

「決算書を読む」の最終到達点

 仮に融資する目線であればこんなところでしょうか。後は付属明細見て売れる商品が無いか分かるとか、MAの対象になる先であればざっくりバリエーションが出来たり、分かれば良いとかもあるかもしれません。要は決算を読むとは後段における何かの目的を達する為にしていることなので、その目的に応じた着眼点で何らかの判定ができればよいのですが、決算の読解という行為については、それらの先に共通してある究極の目標、即ちどの様な目的であったとしてそこに到達していれば概ねよしと言えるものが一つあります。それこそが「商流の把握」です。

 決算、BS/PLは数字、即ち「金」で書かれています。しかし我々が本当に知りたいのは「金」だけでしょうか?違います。「物」であり「人」も必要です。例えば一つのケーキが平均600円で年商600万のケーキ屋があったとしましょう。するとその一年では約1万個のケーキが売れたのです。仮に年間稼働250日であれば、一日の売上は約40個ですが、当然時間・曜日・季節等で均等に売れたということはないでしょう。クリスマスは多いでしょうね。そして買い手がいます。立地や営業時間帯にもよりますが、恐らく商材からして若い男性は少なく、女性や子供が多いでしょうか。夜までやっていれば仕事帰りのサラリーマンもいるかもしれません。年商600万だとバイトは難しいので、ほぼ店主一人か家族経営のこじんまりした店でしょう。年間の購入材料、小麦粉Xkg、卵Y個、牛乳ZL…それぞれどこから仕入れる?支払いは?光熱費は?固定資産税は?…考え始めるとキリがありませんが、決算の数字とはこれらの人物金がいつどこで何処へどう流れたかという動きを仕訳という形で表現して、それを集積した物です。ということはそれを逆に解き解せば、その法人を通じて一年間に発生した「人」「物」「金」の動きを知ることも可能となる訳です。これが商流を丸裸にして実態を知る事なのです。

 もしこれを実現できれば何でもできます。そこが数年以内に倒産するか、金を返せるか等は元より、例えば5年後どの様な状況になっているか、今後どのようなイベントが起きるかも一定の仮説を持てば予測が可能です。どこに判断のポイントがあるか分かれば物をセールスすることもできます。どこかに買われた時にどの様なシナジーが出るか、結果資産価値がどうなるかもわかります。実態が丸裸になっているのであれば、そこを通じてできる事/できないことは既に全て明らかなのです。ここまで達すれば「決算を読めた」と自称しても間違いではないのではないでしょうか。もっとも、ここまで辿り着くには単なる会計や税の知識ではなく、その商材を中心として広く深い知識、それらを組み合わせて妥当な結論を導くロジック、その為の気の遠くなる様な訓練が必要となり、遠い道ではあるのですが…


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