繋がり続ける力。
雑談力が欲しい。
大阪のおばちゃんみたいに壁を軽々と乗り越えて懐に入れる力が欲しい。
大阪のおばちゃんから学ぼう。(結構本が出てる)
大阪のおばちゃんの突破力
coeと言う仕組みを始めてたくさんの人が利用してくれるようになり、ボランティアさんにも協力していただいているのですが、みんなが戸惑うのはまず「何を話したらいいのか」と言うこと。
こんなこと聞いてもいいのかな、言ってもいいのかな等沢山の戸惑いがあります。
逆に利用される方々も、どんなことを相談したらいいのかな、こんなこと話していいのかな等、たくさんの遠慮があって、なかなか最初の一歩が出ないのです。
誰かが口火を切れば、いつもこんなことに悩んでいる、実はこんなことが負担に感じている、子どもが可愛くて仕方がない等たくさんの話が聞けるようになるのですが、
この最初の1歩が難しいのです。
その点、大阪のおばちゃんは垣根を超えて突然窓からやってくるくらいの突破力があります。一方的に巻き込まれたように感じることもあるけれど、気が付いたらあったかい気持ちになっていて、別れた後は足取りが軽くなっている。とげを抜かれるような感覚で小さな恐れを手放せるような気がします。
先日、デモクラシーフィットネスを進める藤田さんとソーレンさんとお話した後も、とげを抜いてもらいホッとする感覚がありました。
対話力を育てるデモクラシーフィットネス
デンマークの民主主義について調査していた時、「デモクラシーフィットネス」というものに出会いました。
デモクラシーフィットネスとは対話する力をつけるための練習のことです。
デモクラシーに必要な8つの筋肉「デモクラ筋」
デモクラシーに必要な考え方やスキルを、心や頭の8種の筋肉として、それぞれの筋力を育てるワークショップが開催されています。
・共感筋
・深聴筋 『深く聴く筋肉 / Deep • Active Listening Muscle』
・意見筋 「意見を育てる筋肉 / Opinion Muscle」
・発言筋
・反対表明筋 『反対意見を表明する筋肉 / Disagreement Muscle』
・おとしどころ筋 『落としどころを探す筋肉 / Compromise Muscle』
・巻き込み筋 『巻き込む筋肉 / Mobilization Muscle』
・行動筋 『行動する筋肉 / Activist Muscle』
日本で対話の文化を根付かせるためにはどんなことができるのか。
この仕組みがそのまま日本に生かせるわけでは無いかもしれないけど、対話する力をつけるための練習は大事だなと思います。
認識をあわせるための問いを重ねる「お見合い時間」の大切さ
藤田さん、ソーレンさんとお話をした時、はじめに前提を揃える時間がありました。「あなたが使っている言葉の本当の意味は何?」「例えばこういうこと?」と何度も聴かれました。
問われ続けることで自分が何を伝えたいと思っているのか、自分が選んだ言葉が自分が伝えたいと思うことを表現できているのかを認識することができたし、「あなたを理解したいので教えて欲しい」と問い続けてもらったことが何より救われるような気持ちがしました。
日本では問われることは批判されるように感じることが多いように思いますが(私もそうです)恐れることはないのだなと知ることができました。
この丁寧なお見合い時間があってこそ、相手との対話が成立するのではないかと思いました。
相手と自分の間にあるものを丁寧に扱う
相手に向き合うとき、目的とゴールを明確にして、短時間で協議することが求められることが多いのですが、最近私は「目の前の相手とどこに行くかわからない時間を過ごすこと」にこだわりたいと思っています。
「自分が心地よい」を大事にしながら、無理したり頑張りすぎず、相手と向き合い続けて、自分と相手のコントロールを手放してその場をただともにすることで、その瞬間に創発されるものに出会いたいのです。
時に対話の時間は不可解なことも、自分の理解を超えることもありますが、それも含めて相手と私の間に起きたことをありのまま受け止めたいのです。
分かり合えないを超える
今私たちは、早く短くわかりやすいコミュニケーションを求めていますし。コミュニケーションコストがかかることにストレスを感じています。でも私はこの想定外のストレスこそが人を豊かに強くしてくれるように感じています。
分かり合えないことを知ること、分かり合えなくても繋がり続けることができることを体感すること、その上で分かり合えないことを超えようと問いを投げ続けていきたいし、自分自身と相手への理解を深めつつ、間に起こることを共有し続けている限り、分かり合えないを超えているように思います。
大阪のおばちゃんの突破力が必要だと描きました。
突破力とはもしかしたら、自分自身であり、率直な問いと興味関心を向けることなのかもしれません。懐に入り込むことはできなくても、問いと関心を向け続けることから始めてみたいなと思います。