加担しないことを選ぶ。
全てを盲目的に引き受けてきた。
嫌なこと、苦手なことがあっても、お金のため、生活のため、組織や誰かの為に我慢して取り組むことがありますよね。
断ることで人間関係が悪化することを恐れたり、組織のために自分の役割を果たすべきだと決めたり、いろんな方法で自分に折り合いをつけて臨んできました。
これが誰かを助け、自分の成長に繋がっているとも思います。
全てのことは必要だから起こる、万事塞翁が馬なのだなと思います。
だからこそ、全てのことを盲目的に引き受けてきました。
でも最近、それに疑問を感じるようになりました。
我慢して頑張った分だけ、その時に抑えた気持ちによって構築してきたことが壊れることがあるし、一時期助けられたとしても、本当の助けにならないこともあるかもしれない、と思ったのです。
何より、もう周りに合わせて生きることができない、と自分の中から強いメッセージを感じるのです。
何を為すか、歩む速度は自分で決めていいのかも。
目の前に起こることは、「引き受けるか」選んでいいよ、ということであり、今の自分に必要ないと思うことや、嫌だなと思うことを断ることによって、自分に必要なものを残し、自分の安心安全を構築する機会になる、と感じています。
そして自分の人生に必要な、学ぶべきものがあればまたその機会が訪れるのだと思うし、自分に受け入れる準備が整ったとき、改めてそれを引き受けたらいいのかもしれない、と思います。
チャンスはその時に掴まなければいけない、というのは、人生に起こることは外的要因に左右されているということが前提であるように思います。でもきっと、自分の人生は自分で何を学ぶか決めてきたのだと思うし、進み方は自分で決めていいのだと思うのです。
自分が安心して進めるペースで進んでいい、ということです。
急がなければ、取り残されるのではという不安
とはいえ、急がなければチャンスをつかめないのではないか、取り残されるのではないか、という不安に駆られてもいますし、立ち止まること、自分のペースで進むことはとても勇気がいることだなと感じます。
でも、もう自分のやり方で自分自身の人生を生きる、というチャンスはないと思うのです。
加担しない。
今は、自分が不安に感じるもの、同意できないもの、その先に私のつくりたい世界の価値観にあわないと思うものに触れることをやめようと思います。それがこの世界の非常識であったとしても、深く肚落ちできないことには従わないし、私の望まない社会の実現に加担しないことに決めました。
私がいま感じていることが正しいかはわかりませんが、自分の人生、全てのことは自分の人生の糧になると思って進んでみたいともいます。
行ってみたら行き止まりだった、も十分学びになりますよね。