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男性保育士が乳幼児期の遊びについて考える1 ~環境編~(おふざけなし)

※実践しながらの話もあるので、これから保育士を目指す人には今回少し難しいかもしれません。堅苦しいのでご了承ください。

 乳幼児との遊びについて考える。いざ文章にしようとなると難しい。格好をつけてよいことを言おうとしても、著名な先生方の知見を借りるだけになりそうで恥ずかしい。なのでなるべくざっくりとまとめることにした。

 今回の記事は前後編に分け、乳幼児期の遊びにおいて自分が大切だと思うことを大きく2つに分けた。
果たして自分が常にこれらができているかはやや疑問だが、そこは文にしながら確認していこうと思う。

 1つ目は、子どもたちにいろいろな感性や刺激にふれる機会を用意し、特には働きかけ、充実して遊べるようにすることだ。子どもたちは新しいことに目を輝かせ、周囲の環境に様々な関わり方をしている。遊びに集中したり、試行錯誤したりする姿は邪魔せず、見守りながらその子の気持ちや背景について考えたい。

乳幼児はどんな遊びをしているのか、研修や見学で学ぶたびに、地域や園ごとの違いが本当に大きいと感じる。これまで北は青森、南はオーストラリアまでの園をいくつか見学させてもらった。ダイナミックな園を知るたびこんなところで働きたい!と思うあたり、自分は最近受け持っていない年長クラスが性に合っているのだと感じる。だが一方でこれらの環境はないものねだりであるがゆえに羨ましい。

研修内容は持ち帰っても「明日からすぐに使える内容」以外は残念だが参考程度にしかならない。各園の方針というレールのような土俵の上では、なんとか組織に合わせてやるしかないからだ。だがどの園であっても等しく子どもと関わることはできるので、自分の力の及ぶ範囲の環境はなんとか工夫してみたいものだ。活かしてくれなければ自分はなんのために講義しているのか、と以前熱心に発信していた研修講師の姿が印象に残っている。資本主義の縦社会は難しい。

去年の秋に焚火をして園庭で焼き芋づくりをした。保護者不参加だが、栄養士や周囲の職員の協力もあり、活動自体は、法人内でも実に数年ぶりだった。担任ではない年長に多く関われなかったのがやや残念だが、子ども達は事前準備のほかに活動の前後に遊びを楽しんでおり、経験の一つとしてそれなりに良い反響もあった。普段の保育以外にも新しい発見や興味関心にふれる機会は大事にしたい。

日頃、園で工具や園芸道具で作業をしていると何名かの子どもがやってくる。小さな好奇心が満たされると気が済んで去っていくこともあるが、熱中する子どもはいるのである。ドライバーを使う作業だけでも、真剣にのぞき込んだり、手伝おうとしたりして輪の中に加わってくる。それらは作業そのものへの興味や、親しい人がすることへの興味、普段とは違うことが起きている出来事への関心など様々だ。そこから生まれる些細なコミュニケーションも遊びに繋がる楽しさの一つだ。

子どもたちにとって大人は、重いものを持つことができたり、高いところに手が届いたり、壊れたものを直したり、できないことができる憧れの気持ちで見ており、そこから何らかの心の動きに繋がる事がある。一方でその様子を見ていた子どもの担任は、その好奇心を温かく見守っていたり、クラスの活動に戻らないか誘い掛けたり、クラス全員を集めて作業に対してのお礼を私に言ったり、今は何の時間なのかと伝えたりとこれまた様々である。

遊びだけに限らず子どもに関わる上で、価値観を植え付けるのも押し付けるのも大人だ。子どもが興味・関心を持って取り組んでいる今はどんな言葉が必要なのか、それとも必要ないのか考えたい。

当たり前のことだが子どもは、他者の模倣をし、良くも悪くもされたことを覚え、そう振る舞う。子どもの行動や言葉の背景に大人の姿が見えることもあるだろう。冒頭で話した自己充実の繰り返しになるが、子どもが新たな発見に熱中している際、どうすればさらに豊かな遊びの世界になるのか、人の保育を見て我が保育はどうなのかも含めて重要な課題が多いようだ。


後半「男性保育士が乳幼児期の遊びについて考える2 ~職員編~(おふざけなし)」に続く

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