見出し画像

1周忌

特に仲良くもないし、過去に色々と雑な対応をされたこともある。あまり好きではなかったけれど、割と身近な人が亡くなって、今日でちょうど1年になる。

冒頭のような「微妙な距離感」だったので、病気が発覚してしばらく経ち、いよいよ入院すると聞いた時も、残念だとは思ったけれど、悲しいとは思わなかった。TVやスマホ越しに暗いニュースを見て、一瞬感じる「残念な気持ち」に似ていたと思う。チャンネルを変えれば、気持ちも変わる。自分と出来事の間に、1枚薄いフィルターがある感じだった。

入院してからは早かった。ものの2週間ぐらいで天に召された。入院した時点で、病院としてできることはもうななかったようで、たくさんの管が繋がれた体は、細くて青白かった。

僕は、最期の数日間、お見舞いに行った。亡くなる2日前だったか、その日はずいぶん元気で、話をすることができた。彼は、しきりに未来のことを話していたので、「もしかすると、このまま回復して元気になるのでは」と思った。

翌日、容態は急変し、口には酸素マスクのようなものを付けて、もう会話はできなかった。呼吸する度に、薄くなった胸を大きく膨らませて、とても苦しそうだった。目は天井を向いたままで焦点が合わず、濁っているように見えた。

その翌日の昼過ぎだったと思う。かろうじて開いてた瞳は閉じて、だから、もう苦しそうに呼吸をする必要もなかった。

肉親を含め、「人が亡くなる瞬間」を目にしたのは、この時が初めてだった。

この時、残念ではなくて「悲しい」と思った。僕と「その人の死」の間に、もう薄いフィルターはなかった。

今でも、その人のことを考えると、様々な感情が湧いてくる。良いものもあるし、悪いものもある。日によっても、気分によっても変わる。だけれど、今日は1周忌だから、天国で好きだったワインでも楽しんでいてもらいたいなと、そう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?