りゅうすけ@ベトナム在住
ベトナム生活の雑記
20代の頃に、バックパックを背負って海外を放浪していた時期がありました。その時の写真に言葉を添えて。
ベトナムでのカジノ放浪記
缶コーヒーと公園と。 学生時代の思い出
ハノイに住んで、もうすぐ4年になる。4年という文字を見ると、その長さに愕然とするが、体感的にはあっという間だった。今でも、はじめてこの国に来た時のことをはっきりと覚えている。 フィリピンでの語学留学を終えた僕が、マニラからLCCでハノイのノイバイ国際空港に降り立ったのは、4年前の5月だった。 深夜着の便で、日はとうに落ち、空港も無機質で薄暗かった。排他的な社会主義国の雰囲気を感じながら、VISAの申請と入国審査を済ませた。 外は5月の雨が降っていた。五月雨なんていう言葉
ふとした時に、遠い日の記憶が蘇ることがある。 それは匂いだっり、光景だったり、何かの感触だったり、時間や シチュエーションによっても様々で。だけれども、共通しているのは、人間の五感に関わるものだということ。 よく言われるのは、昔の恋人と同じ香水の匂いが、当時の記憶を蘇らせるといった類のもの。幸か不幸か、僕自身は、そういった経験はないのだけれど、こと嗅覚に関しては、五感の中でも、特に記憶と結びつきやすい気がする。 まだ暗く、群青色の空に、星が瞬いている冬の早朝、澄んで乾
雨の音を聞いていた。 灰色の空から降り注がれる雨粒が、アスファルトに弾かれる乾いた音。 絶え間なく続くかのような雨音に耳をすますと、遠い日の記憶が蘇る。 子供の頃は、雨が降ると、その非日常感が、なんだかとても嬉しくて。天気の良い日には履けない長靴を、ここぞとばかりに履きこんで、雨雲の下へと飛び出した。 黄色だったか、水色だったか、どうして長靴は鮮やかな色ばかりなのだろう。水溜りに飛び込んで、意味もなく足踏みすると、水滴を鮮やかな色が弾く。 いつからか、雨の日の非日常感
コーヒーって不思議だな、と思う。 どんなに落ち込んでいても、嫌なことがあっても、粉の入ったフィルターに、コポコポとお湯を注ぎ込んで、香り立つ湯気を嗅ぐと、やさぐれていた心の紐が、少しだけ緩まったような気になってくる。 この香りを楽しみたいから、僕は夏でも、自宅では温かいコーヒーを淹れるようにしている。そんなに良いコーヒー豆を使っているわけではないから、なかなか喫茶店のようにはいかないけれど、それでも、芳醇な香りが狭い部屋中を満たすと、落ち込んでいる時なんかは、「うん、まだ
昔見た映画での一コマ。 不運が続き、自信を喪失した主人公が、車の中でこう呟く。 「夢を諦め、地に足を着けるのはいつだ」 同乗している友人が、中空を見上げ、おもむろに、こう答える。 「まだ朝の7時だぜ」 当時二十歳そこそこで、人生経験があまりない僕でも、いいシーンだな、と思った。それから少なくない月日が流れて、それなりに色々な経験をしてきた今、改めて思い返してみても、やっぱりいいシーンだな、と思う。 僕には、この映画の主人公のように、人生を懸けて挑戦した夢はないけれど
昔から、季節の匂いや感覚に敏感だった。 春風が吹いた後の、ほんのり柔らかく体を包む甘い香り、夏の草木から不意に香る、清々しい青臭さ、秋の夕暮れに、理由なく訪れる切なさ、冬の早朝、頬をピシャリと打つ風の清涼さ。 視覚することのできない、季節という4つの区切りに対して、感覚的にはなるのだけれど、はっきりと、僕の五感は反応してくれる。少なくとも、物心ついた時から、今日に至るまでは。 季節の移ろいとは不思議なもので、巡るたびに、過去の情景が思い出される。それは、自分にとって心
旅に出たい、旅に出たい、旅に出たい。 昔、旅行と旅の違いってなんだろうねと、バックパッカー仲間と語り合ったことがあって。まあ、その時はアルコールも入っていたし、明確な答えは出なかったのだけれど。 ふと思い立って、いま改めて考えてみると、それは、どうやら計画性の有無なのではないか、と個人的に感じている。旅行も旅も、目的地があることには変わりはないけれど、そこへ至る過程に、差異があるとでも言うべきか。 山に登るとする。事前に決めたルートを、その通りに登っていく。そして、それ
最近、週末にランニングをしている。 村上春樹の小説に感化されたわけでも、お正月の箱根駅伝を見て感動したからというわけでもなく、ただ、淡々と粛々と、寒空の下、今日も硬いアスファルトに歩を進める。まるで宗教行事のごとく厳かに。 最近気付いたのだけれど、ランニングを趣味としている人には、大きく分けて2つのタイプがいるように思う。肉体的な達成感を求める人と、精神的な達成感を求める人。 前者は、体重を減らしたいだとか、体力を付けたい、もっと速く走りたい、マラソン大会に出場してタイ
今でも忘れられない言葉がある。 10年ぐらい前のことだ。当時、僕はある会社で働いていて、慣れない業務にてんてこまいだった。その職場に、一人のマレーシア人がいて。 毎日疲れ果て、部屋に戻ってベッドで眠る。朝目覚めてまた職場へ行く。その繰り返し。体力的にもきつかったし、僕自身、そんなつもりはなかったのだけれど、日々の疲労が、顔に滲み出ていたのだろうと思う。 ある日、もうすぐその日の業務に終わりが見えてきて、安堵が疲労感を僅かに上回る気持ちになりかけた時、その同僚のマレーシ
十年一昔というけれど、10年前に想像していた未来と、今の自分を取り巻く環境とを比べると、色々な意味で、想像していた未来と全く違う場所にいるのだな、と実感している。 もっとできたこともあっただろうし、やらなくてもいいことに注力しぎすぎたこともあった。ほんの小さな成功と小さくない失敗とを交互に繰り返し、その都度、様々な景色を見て、幾多の感情を抱いた。希望を抱いたこともあったし、失望したこともあった。糧になることもあったし、無為に時間を浪費したこともあった。 そのすべてを、雑
ふと、雨上がりの匂いがした。 僕の生まれ育った土地には、大きな川があった。小学校の校歌にも、中学校の校歌にも、川に関する描写があって、僕個人の人生においても、振り返れば、その川にまつわる思い出が、否応なく想起される。 その川は、とても長くて、数キロごとに何本もの橋が架けられている。その橋の一本一本に、幼少期からの思い出がこびり付いている。良いものもあれば、良くないものもある。ぼんやりとした情景だけが脳裏の片隅に浮かび上がることもある。 ハノイには、湖が多い。Hanoiの
もう9月か。夏も終わりだ。 夏の終りになると、毎年思い出す光景がある。 大学生の時の話だ。 暑い暑い真夏のバイト休憩中に、事務所のテレビで、ぼんやりと高校野球を見ていた。(僕は野球部じゃなかったし、ルールすら曖昧なくせに、高校野球だけは毎年見ていた。夏の風景の一部に、高校野球がある感じ) そう、あれは確か、東東京大会の準決勝あたりだったと思う。 「あ、〇〇君」 一緒に見ていた同僚の女の子が、ふと呟いた。マウンドには背番号1を背負ったエースが、日に焼けた精悍な顔を汗で濡
昨年の今頃、僕は1人で悦に入っていた。 日本ではコロナ感染者が一向に減らず、オリンピックも延期になる中で、僕の住んでいるベトナムは、初期段階でのスピード感ある都市封鎖や、有無を言わさぬ社会隔離措置で、コロナウィルスを、ほぼ完璧に抑え込むことに成功していた。 "ベトナムにいて良かったぜ!" そう心の中で叫んでいたのが懐かしい。 それが今や、なんて有様だ.. .一度は終息したかに見えたこのウィルスは、春先から変異種という名に姿を変え、再び猛威を振るいはじめた。 ベトナム
文章を書くのは久々で。何から書き始めようかと思案していたら、note募集中のページに、なんとなく書けそうなものがあったので、リハビリがてら文字にしてみようかと思う。 「ご当地グルメ」なんていう言葉は、僕が子供の時にはなかったと思う。だから、これから紹介する食べ物は、グルメなんていう横文字が似合うような洗練されたものではない。 僕は、東京の下町で生まれた。一応は浅草が最寄駅で、実際には駅から自宅まで徒歩20分ぐらいの辺鄙なところなのだけど、人から出身地を聞かれた時は、面倒
数ヶ月間、市中感染のなかったベトナムだけれど、先月末の南部解放記念日(ベトナム戦争終結の記念日)前後から、再びコロナが再燃してきた。 事の発端は、中国からの不法入国者が持ち込んだことに加え、外国(主に日本)からの帰国者が、隔離期間終了後に陽性反応を示し、接触者に感染したことと見られている。 僕の住むハノイでは、5月8日時点で、連休前の4月29日からの合計感染者は72人とのことだ。日本から見ればたわいもない数字かもしれないけれど、長いことコロナを封じ込めてきたベトナムからす
ふいに、昔のことを思い出している。 確か10年前になると思う。僕は、日本で働くことに嫌気が差して、大きなバックパックを背負って飛行機に乗った。行き先はタイのバンコク。何も考えていなかったし、考えたくなかった。とにかく、どこか遠くへ行きたかった。 それからおよそ3ヶ月間、バンコクを拠点にタイ北部、ラオス、カンボジアを周遊した。安宿に泊まって、自分と同じような境遇の人達と知り合い、町を散策したり、観光地を巡ったり、お酒を飲んだりして過ごした。 日本で稼いだ金を元手に、自堕落