G shock
G shockが好きだ。
僕はいわゆるG世代(なんだそれ笑)で、ちょうど中学生の時に、無骨で頑丈で、相反するように美しいこの腕時計が大流行した。やれ〇〇限定だとか、カエルがどうのとかレア物も多く、雑誌で見るその黒いデジタル時計に、誰もが夢中だった時代だ。
しかし、中学生のお小遣いで買える程優しい価格設定ではなく、それは高校生になっても変わらなかった。だから、僕の初Gは、大学二年生の時まで待たなくてはならなかった。秋葉原の路地裏にある小さな店で見つけた、四角い5600型。いわゆるスピードモデルだ。日本には正規流通していない逆輸入モデルで、Gのロゴとサイドのボタンが金ピカなのが自慢だった。
当時の秋葉原は、今みたいにオシャレなオフィス街なんていう一面はなくて、もっとコアでハードな場所だった。少なくとも、僕はそう認識していた。
だから、僕が入った路地裏の店なんかは、パソコンを自作するような猛者達が昼間から集い、何に使うのかよくわからない部品を物色しているような、アングラな雰囲気。そちら側の人間ではない僕は、ひどく緊張したのを覚えている。だから、意を決して入った店の隅っこに、黒く輝くGを見つけた時の喜びは、筆舌に尽くし難いものがある。
しかも、それは憧れのスピードモデルで、確か5000円ぐらいだったものだから、普段は優柔不断な僕も即決だった。おそらく、電気量販店なんかで買えば、倍以上はしただろう。
Gを手に入れてからは、学校に行く時も、遊ぶ時も、いつでも僕の左腕には黒くて頑丈なこのデジタル時計が巻かれていた。大学を卒業して就職してからは、流石にスーツには合わないだろうという周囲の同調圧力に負けて付けなかったけれど、プライベートでは相変わらず良き相棒だった。仕事を辞めて世界を旅していた時も、もちろん一緒だった。
どんなに雑に扱っても、その開発理念に基づいた堅牢さに疑いの余地はなく、十数年を共にしたGだったけれど、2年程前に、とうとう液晶が薄くなりはじめ、程なく時刻が判別できないようになった。買ってから10数年、一度も電池交換をしていないことを考えると、驚異的な持ちの良さだ。電池交換をすれば、なんとかまだ使えるかもしれないとも思ったけれど、流石にもう寿命だろうと考え、新しいGを買うことにした。
電気量販店で買った2代目も、初代と同じスピードモデルだった。見た目は全く同じだけれど、この十数年の間に技術は進歩していて、中身は電池交換不要のソーラー充電に変わっていた。思い出の時計をいつでも買えるというのは、幸せなことだ。
新しい相棒と過ごして2年近くになるけれど、やはりそれはカッコよくて頑丈で、遠慮なくガシガシと使わせてもらっている。まだまだこれから長い付き合いになりそうだ。
2代目G 外観はオリジナルとほぼ変わらないが、中身は電波ソーラーに進化している