天色喫茶というガレージ
2回目のnote。
1回目をアップしてすぐに届いたコメント。
それは2022年4月、網走市藻琴のマシマシマで行われた1周年記念パーティーに言葉通り「花」を添える担当を担い出店した「いざよいと花」の太一君からのコメントだった。
まだ会ったこともなかった太一君が私の想いに共鳴してくれて言葉を寄せてくれて交わした気持ちが心地よく、当日会えることがひとつ増えた楽しみになった。
その日マシマシマで交わした言葉はわずかだったけど、繋がるなにかを感じながらパーティーを終えて網走を後にした。
それからSNSを通じた距離感での交流ののち程なく直接会ってじっくり話す機会も産まれた。
聞き上手の彼の前では自分を曝け出したくなるのが不思議に思いながらもやはり心地よい気分でいた。
そのあと彼のSNSを見ていると牧舎をバックに1枚のショップカードが映っていた。
なんとなく気にかかりよく見るとそこには「天色喫茶」という文字がある。
かくいう自分は喫茶店マスターを名乗っているので気になりすぐに虫眼鏡に天色喫茶と打ち込む。
現れた天色喫茶のアカウントにある写真たちを見て興奮し首から後頭部がゾクゾクと痺れた。
過去の若き日に妄想こそしたけど実力ではなし得なかったような空間に好みの家具たち。
提供予定のメニューたちは喫茶としてクオリティーも高く見えて「これぞ喫茶よな」と感心しちゃう写真が並んでいる。
正直な感想として「これが同じ街に出来て内容も素晴らしいなら俺はこの稼業から身を引いたほうが良いかもな」とまで思った。笑
商売として捉えると「ライバル」と考えなきゃいけないかもしれないけど、例え同業でも同じようなラインナップだとしたって提供側のニンゲンの個性が出て必ずそれぞれに違いや良さがあるのが喫茶やカフェだと思ってる。
なので完成予定の天色喫茶の行方をワクワク楽しみにしていた。
「早く見に行きてぇなぁー」と。
この稼業をやっていながら実は昔からカフェに興味がない。
正確には殺風景な空間に見栄えだけの飲食を並べて儲け重視でオシャレ気取りな中身のないやり方に中指立てるのがそもそも自分の出所だった。
知識も経験もない出身は素人の自分であれど、それらよりまともなものを提供できる根拠のない自信だけでスタートしたのが始まりだったから。
やり始めた後は己の商売センスの無さに気付かされ「苦労と我慢はタダ」という役に立たない語録を残すんだけどね。
まぁそんな自分が興味抱いた同業社。
いつなのかわからない完成を薄っすら楽しみに待っていた。
そしてある日、たしかあれもいざよいと花の投稿だった。見覚えのある空間の写真と投稿が目に止まる。
で、「えっ!?」と驚く。
天色喫茶が営業目前でオープンできなくなっているという記事。
建築法の問題なのかとにかくギリギリまで作り上げたそれをお披露目できないでいると…
その投稿はお披露目できないその空間をどうにか様々な人に見てもらう機会が作れないかといざよいが呼びかけていた。
天色喫茶が誰がやっているかも知らず、詳しい状況もわからなかったがとにかくすぐさま太一君に連絡した。
「何かやるなら関わりたい」と。
少ないけれど想いを交わし合った太一君はたぶんなにかにピンときたのかすんなり受容れてくれて、オープン間近でドアを開けられずにいた天色喫茶でのイベント参加メンバーに自分を加えてくれた。
参加することになったそのイベントを楽しみに思いながらも不思議というか、難しい感情に包まれていた。
そこに関わったひとたちの想いや苦労が詰まった「喫茶」としてスタートできないでいる空間に自分が「喫茶」として立とうとしているのだ。
若き頃に理想のような妄想した空間に立てる喜びもありつつ、自分が果たして作り上げた人の代わりにそこに立って良いのか?という思いに駆られていた。
自分が尽力したわけでもない場にいきなり立つのである。
感じたことのないプレッシャーにビクビクしながら後ろでワクワクもした。
このワクワクは太一君のおかげだった。
彼等が引導する場ならきっと大丈夫なはずと。
意識とは別の内側や客観側に居る見えない自分から「下手こくんじゃねーぞ」と圧を感じていた自分はイベント前日にオーナーゆうきくんに連絡を取り現場を見せてもらいに行った。
マジで下手こけないからその完成間近の空間の大事な中心と言える厨房のサイズや配置を理解して当日の立ち回りをイメージしておきたかったからだ。
言葉柔らかにやり取りしてくれた20も歳の離れたオーナーが迎え入れてくれたが、察していた通り同業の自分が受容れられてはいないような空気がそこにはあった。
ただ、イベントは明日に迫り今更辞退する選択もない。
自分にできる精一杯をそこでやろうということだけに集中した。
当日、バタバタと準備しイベントが始まり進む中、自分が立つすぐ隣りのアクセサリーブースに若い女性が立っていた。
手の空く合間に話してみると、天色喫茶というのは20も歳の離れたゆうきくんが空間を作り上げたオーナーであり、出来上がったその喫茶を運営するはずだったのがその隣りに立っていたあやめちゃんであることを知った。
心境はとてつもなく複雑である。
自分が立つはずの隣りの場所に知らないおじさんが立っているんだよ。
けれども彼女は温かくそれを見守りながらその日その空間にある空気をできる限りカメラに収めていた。
そのイベントとは「花色喫茶」というタイトルである。
いさよいと花がリードする天色喫茶でのイベントだからだ。
1回目のイベント、おそらくそれは成功と呼ぶに相応しい1日だったと思う。
訪れる人がその空間に感銘しながら出店を巡ったりお茶したり。
提供するこちらが幸せな気持ちになる1日だった。
片付けも終わり一晩明けて昨日を振り返りながら、やはり自分が立つべきだったのかどうかを不安に思っていた。
ただ、ファンのように凄い!と思い楽しみにしていた空間に立てたことは幸せだったし、
自分がこの稼業に今日も立っているのは喫茶に魅了されているわけではなく、「空間」というものに動かされる感情のようなものが人には感覚的に備わっていてその感覚こそが自分が興味あることで言葉にしづらいそれを1人でも分かち合えるのが嬉しくて今もここに居る。
挫折と失敗を繰り返しながらね。
そして空間にまた魅了された自分は何か記さなきゃいけないと思った。
天色喫茶に思ったこと、感じたこと、とにかく残さなきゃならないと感じひとつの記事をまとめ投稿した。
思い返してもクリアなのはそれが天色喫茶を作り上げた関わった人に自分の想いが伝わってほしい一心で書いたんだと思う。
ヒップホップのディスとアンサーではなく、リスペクトとアンサーがそのあとあった。
投稿を読んでくれたあやめちゃんがオーナーゆうきくんにそれを伝えてくれて、
読んでくれたオーナーがそれへの回答を投稿として綴ってくれていた。
それを読んで不安はほとんどなくなった。
「きっと自分の想いは届いただろう」と。
間もなく行われた2回目の「花色喫茶」。
ありがたくも再びそこに立てた。
天色ファミリーは1回目より歓迎してくれているのが肌で感じられた。
幸せだよね。
嬉しかったな。
けど、2回目のその日あやめちゃんはそこには居ない。
喫茶の勉強のために向かっていた土地へまた戻っていったから。
彼女の投稿を読み心境を察する。
自身が立つはずだった場所が自分の居ない間にいろいろと変わったり関われなかったりするのは難しい心境だと思う。
2回目の花色も無事素晴らしい1日となったが、立つべき人のために自分は何かできないものかともどかしい気持ちでいた。
つい先日、3回目の花色喫茶が行われた。
いろいろ考えながら自分ができる最低限のことだけどそれをオーナーゆうきくんに提案して行動してもらった。
戻ったときにちゃんと居場所があって存在してもらわないとこのイベントは完成しないと思っている。
その箱と天色喫茶というブランドを全力で支えて次のステップへのアシストをしたい。
大きなことができなくても、立つべきひとの居場所を守るか繋ぐのが役目だと考えている。
ほんとは自分の居場所や仕事を考えなきゃいけない時なのに俺といえばヒトのことばかり考えちゃってるな。笑
1回目の花色が終わった時点でnoteに残さなきゃと思いながらバタバタと時間が過ぎ、3回目の花色が終わりひと段落した今。
ようやく言葉を綴れる時間を作れたので現時点の気持ちを残しておきます。