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中野・高円寺 vs 立川・八王子

僕は一人暮らしをしたことがない。

西武池袋線沿線の実家に住んで、池袋にある東京音楽大学に僕は通った。

入学試験だって実家から行けるから、そのための上京の必要もなかった。

ロックやポップスと呼ばれるような音楽を志しながらも、クラシックを学ぶべきだという考えのもと、僕は東京音楽大学でピアノや声楽を中心に学んでいた。ロックやポップスといった商業音楽に特化した学科も東京音楽大学にはあったのに、そちらへは行かなかった。この遠回りなスタンスの先に、今もいる。ロックやポップスは、僕にとって、近くて、遠い。

ライブハウスだとかカフェだとかバーだとか、地域の公園だとか病院だとか公共施設だとかいろんなところに出ていっては、よく演奏や歌唱をしている。

都心のほうに出ていって演奏することもあり、そうした際に利用するのが中央線である。

三鷹は中央線の駅の中では、僕の住所から最も近い。吉祥寺も似たような近さだが、観光や遊び目的の人が多く混雑しがちなので、中央線の利用が目的のときには三鷹を選ぶことが多い。三鷹は、新宿へ行くにも八王子へ行くにも、無難な距離にある。どっちつかずと言ってしまえばそれまでだ。

弾き語りのライブだとか、演劇だとかいった内容の催しの開催地として、高円寺や中野あたりが選ばれる頻度が、どういうわけか僕の身の回りにおいて高い。個人的には、中央線の最寄駅まで30分弱かけて自転車もしくはバスで出ていき、それから中央線に乗るというプロセスがあるので、立川や国分寺や八王子なんかに行く労力と、中野や高円寺に行く労力は僕にとってほとんど変わらない。

中野や高円寺は新宿からも近く、ものすごく便利! な街という風に思われがちなことを理由のひとつとして、そういった音楽や演劇の催しものが開かれることがあるかもしれないが、僕にとっては八王子や立川なんかに行く際の面倒臭さと、その程度・度合いにおいて中野や高円寺は等しい位置づけにある。賑わっていて人が多いぶん、むしろなるべく行きたくないとさえ思っている。

八王子や立川だって人で賑わっているけれど、「都心に近くて便利」的な感覚で過ごしている人々によって醸し出される雰囲気を僕は勝手に中野や高円寺に感じていて、僕は「なるべく用事をつくりたくない街」というイメージを持っている。その点において、なんとなく八王子や立川には「田舎だなんてバカにするにはもったいない、いい街だぞ」といったような妙な愛着を感じないこともない。

面倒臭さの本質は、用件にある。だから、本当は開催地がどこかによって面倒臭さの度合いが変わるというのはおかしいのかもしれない。おのれにとって好意的な用件であれば、たとえ開催地や目的地が地球の裏側であろうと、面倒臭いとは思わないだろう。

そうすると、中野や高円寺でとりおこなわれる何かしらの催しやらなんやらが、僕にとってあまり好意的でないものごとである場合が多い、という論理になってしまいかねない。それもどうかと我ながら思う。実際、誰かから誘われて何かしらの用事ができ、こちらから出て行くというケースが中野や高円寺を目的地とする用件に多いが、僕はそれらの用事を楽しんでいるし、受け入れてもいる。好意的な姿勢といっていい。

八王子や立川でとりおこなわれる何かしらに対する好意の度合いが、中野や高円寺でとりおこなわれるそれと同じくらいの好意の度合いだった場合で、開催地までのアクセスの便利さを理由に行く・行かないの判断が分かれる場合があるかと言われれば、きっとそんなことはない。中野・高円寺と、八王子・立川をひっぱり出したこの比較にはなんの意味もない。ここまで文章をひっぱっておきながら、すべてをぶち壊すようである。

創作とは、スクラップアンドビルドのことだ。この世に存在するあらゆる創作は、今の僕のこれよりはだいぶましだろう。その点について、安心してもらって構わない。

お読みいただき、ありがとうございました。

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