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最近ふれた音楽の話#22 話題:七尾旅人、『アリラン』『竹田の子守唄』民謡のメロディほか

アリラン 朝鮮民謡 SOUL FLOWER WITH DONAL LUNNY BAND

井上陽水の書いた歌詞(PUFFY『アジアの純真』)を味わって気になったのが「アリラン」ということばでした。その場でちょっと検索したら朝鮮民謡だということ、朝鮮地方の不特定の「峠」を指す言葉(伝説の峠、とも。)だとわかりました。

『満月の夕』や『潮の路』を味わうなどしてソウル・フラワー・ユニオンへの私の関心が高まって
いたのですけれど、朝鮮民謡『アリラン』はソウル・フラワー・ユニオンほかかなり多くの歌い手に演奏されているのだと知りました。

それから「へえ」と驚いたのが、2012年に「アリラン」がユネスコ無形文化遺産に登録されているということです。「アリランアリランアラリヨ」と始まって、続きにアレンジやバリエーションがあっても全部「アリラン」は「アリラン」。その多様性や再創造性を認められてとのことだそうです。

ソウル・フラワー・ユニオンはアイリッシュ音楽の重要人物、ドーナル・ラニー(ブズーキをアイリッシュに持ち込んで広めた功労者)との共同名義で発表しているアルバム『MARGINAL MOON』で『アリラン』をカバーしています。名曲盛りだくさんで私が気に入っている一枚です。

井上陽水が書いた言葉遊びのような歌詞がきっかけでいろいろ世界が広まりました。

Norah Jones『Don’t Know Why』誰が知る心

町のどこかのスピーカーから鳴る歌声も、ネットほかメディアから流れてくる歌声も、「これ、ノラかしら」もしくは「ノラそっくり」と思うことがよくあります。特に、ポップスのボサノバカバーバージョンとかですね。それくらい世界中のジャンルを越えた音楽に影響を与えた名曲が『ドント・ノウ・ホワイ』ではないでしょうか。「無意識に似てしまった」「リスペクトしまくって、意識的に似せにいっている」「無関係。たまたま似た」「ノラが私を真似てる」考えられるいずれのパターンかはわかりませんが。

オシャレなコード感に、半音で下がってくる対の旋律(カウンターライン)が必殺です。そのすばらしさに、真似するにもとても高度で難しい曲という印象をなんとなく私は持っていました。それをちょっとだけくつがえす意外な事実に気づきました。この曲のボーカルは、1オクターブの声域があればそのほとんどをなぞることができるということです。厳密には確か長9度くらいだったかな。オシャレでなんとなく難しい曲?と思いきや、声域のみについていえば、自分にあった調に移せばそこまで天性の声域の持ち主である必要はなかったのです。もちろん、表現の奥深さなどについては無視しての話ですけれどね。

「なんで行かなかったんだろ」との嘆きを繰り返す、ちょっと気怠げで含みのあるフランス映画みたいな曲(どんな偏見か)。あ、ノラはアメリカ出身者です。ノラの自作曲かと勝手に思っていましたが、ジェシー・ハリスの作詞・作曲。

今日の日はさようなら 調和を誘う旋律


キャンプに昔よく行ったのです。行政がらみのある夏のイベントで、東京都・大島に行く青少年向けのキャンプがあったのです。それに参加した縁で、それから数年間、よく行きました、キャンプ。ギターが弾けると何かと重宝されます。ちょっとした隙間時間の人気者?になれるのです。あと、キャンプファイヤーなど人があつまるときも目立てます。

キャンプのときに歌うといい歌がいくつか私に思い当たるものがあります。「と〜おき〜や〜まに〜ひ〜はお〜ちて〜」とか、『大きなうた』とか、『あの青い空のように』とか、それから『今日の日はさようなら』です。

『今日の日はさようなら』を昔の私は誰がつくったかなんて気にしていませんでしたが、去年音楽ブログを書き始めてちょくちょくその音楽について検索するようになったので森山良子が歌っていると知りました。それでなんとなく「彼女(森山良子)の歌」→「森山良子がつくった」と思い込んでいたのですが違いました。金子詔一という人物で、商業作家とはだいぶ違った出自を持つ人のようです。それを職業歌手として最初に歌って広めたのが森山良子…だったのかもしれません。

なかなかこの曲のメロディが西洋的だと思いました。金子詔一氏は若い時から音楽教育を受けて育った人物なのかもなぁとも思いつつ深くはわかりません。若い時の森山良子の演奏はすでに完成されていて傑出したみずみずしさでした。

キャンプソングで思い出した曲でしたが、後年になったいま改めて手を伸ばし知ろうとしてみると新たな発見があります。

七尾旅人『サーカスナイト』綱を渡り揺れる心象の音楽

七尾旅人のことは知っていましたが、リスニングするぞ!と鑑賞したことがありませんでした。

音楽ブログを書いて、ひとの曲をコピーしてみて歌って動画をYouTubeにさらす…というサイクルをしているのを知った友人が提案してくれた曲のひとつが七尾旅人『サーカスナイト』でした。

ただでさえゆらめく人の心。それが複数形となったとき、その関係さえもゆらめくのは当然のことと思えます。そんな人の心の機微、人の心どうしの関係の模様の不安定さ、一夜で変わってしまいかねない刹那性。そういうものを『サーカスナイト』ということばで見事に表現したことばに思えます。若い世代のミュージシャンにもカバーされていたり、アナログ版でのシングルカット時には向井秀徳の歌唱版が収録されたりとミュージシャンシップにおける曲の広まりも綱を渡るように広まっています。

七尾旅人『圏内の歌』歌手は人格をまとう

ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬とHEATWAVEの山口洋がつくった『満月の夕』。中川敬は阪神・淡路大震災被災後の現地を早い段階で訪れます。いわば、「行動」するのです。一方、山口洋はそのころ東京からメディアを通して被災後の経過を伺い知ったといいます。『満月の夕』で存在するふたつのバージョンは、いわば、行動して現地の目線で書いた中川版と、遠くからもどかしい思い?をしつつ時空のスケールをすこしズームアウトした目線で書いた山口版があるのです。

七尾旅人は、2011年3月11日の東日本大震災後、「行動」しました。現地へ通い、多くの人の話を聞いたそうです。そうした活動で得た知見から書いた曲が『圏内の歌』なのです。

この歌には、そうして彼がであい、蒐集した言葉が抽出されているようです。現地で被災した人たち自身の想いが漏れ出たような。おそらく、七尾旅人本人の現実のことばとは少し違うであろう境遇の人格が発するような「せりふ」のようなことばが含まれています。それを、七尾旅人が歌うのです。歌い手には、そのとき、時空を超えて物理をこえて、ある人格が宿るのです。自分は何者か、歌うってどういうことかまで考え始めさせてしまうような歌が、私にとっての『圏内の歌』でもあります。もちろん、いろんな他人の人格が混じり合った存在が私でもあるとも思います。古今東西の文明の叡智の結集が私でありあなたでもあるのです。その「枝葉」ですけどね。

竹田の子守唄 歌う意味

赤い鳥が『翼をください』のA面としてリリースしたのが『竹田の子守唄』です。世代的なこともあってか、かつての私の中では『翼をください』の方が存在感あるものでしたので『竹田の子守唄』のほうがあくまでA面なのかと思っていました。

今はその認識も変わりました。たくさんの歌い手に継がれてきた名曲です。

元は京都の民謡。子守奉公をする少女の哀歌のようなもので、それを採譜した人がいて、それがフォーク・シンガーに広まり、赤い鳥のメンバーをも動かし…といったように広まっていきます。

現地の、オリジナルの民謡の保持者たちの中には、歌ってほしくない言葉がふくまれているなど複雑な思いがあったともいいます。そうした複雑な想いを招きかねないことを、赤い鳥メンバーもあとから知ったというような話もききます。歌うということはかならずしも気持ちの良さだけを呼び込むわけではなく、ときに誰かの思いとぶつかったり、肯定や許容以上の複雑な想いをもたらしたりしうる、影響の大きなものなのです。誰のために、なんのために歌うという行為をするのか。それは特別なおこないでもあり、ある意味不自然なおこないでもあるのです。いっぽうで、花鳥風月のように、自然に鼻を抜け唇から歌がこぼれることもあるでしょう。

子守奉公の、つらさせつなさが歌われている『竹田の子守唄』。抑圧は歌を生むエネルギーなのだなと思います。

あの素晴しい愛をもう一度 爽やかな回顧

流麗で軽妙な歌声とアコースティック・ギタープレイが印象的な『あの素晴らしい愛をもう一度』。シモンズという女性二人組のデビューのためにつくられたはずが、加藤和彦と北山修名義でリリースしてしまった曲だそうです。

愛というテーマは重みも広がりも深みもあります。ドロドロしちゃうこともありそうですが、この曲は非常に爽やかです。とても俯瞰しているといいますか、平静な態度で描いています。ミュージシャン、作曲・作詞家としての高みを感じますし、ふっと息をつくように生まれた自然さ・美しさがあります。

いいなぁと思う曲を語る言葉ってなんにも出てこないことばかり。その理由をことばにできない。音楽なのだから言葉に変換できなくて当たり前なのかもしれません。もちろん、これは記事という媒体なので言葉にしようと努めるのですけれど。たびたび私はここにぽつんと取り残された思いになります、名曲を前にするとね。

アコースティックな音作りのさりげなさが光ります。

青沼詩郎

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