『民主の敵:政権交代に大義あり』野田佳彦著、2009

感想

第1章「自民党」は一五年前に消滅している

はたして今の自民党は、本当に自民党か

ここで教訓とすべきは、政権というのは簡単に投げ出してはだめだ、ということです。自民党は次から次へと首をすげ替えながら、必死に与党にしがみつこうとしてきた。その執念は、やはりすごい。権力は取るだけではなく、それを維持することに淡白ではだめだということです。

pp. 41-42

この後、自分が政権を投げ出すことになります(笑)

あれから一五年、私は民主党は自民党に比肩する存在になったと考えています。畳の上の水練といわれるかもしれませんが、私たちは議員立法も毎年数十本つくってきているし、民主党の予算案というのもつくってきました。自分たちの方向性を決めて、法律をつくり、予算をつくる訓練はしてきています。たしかに、現実の政治にはもっといろいろなファクターが絡み合って一筋縄ではいかないでしょう。しかし、十分ウォーミングアップはできています。

p. 43

全然、準備できてませんでしたね…(笑)


政治活動の原点は早朝辻説法

このときわかったのは、浮動票というのは、けっして浮ついた票ではないということでした。こちらが努力すれば、浮動票は不動の票になる。そのことに気がついたのです。

pp. 47-48

良い指摘。


第2章 国会議員は多すぎる

タイトルの割に、前半は官僚の話が続く。あと、一票の格差の問題が考慮されていないのは残念

役人に緊張感を

かつて世界一優秀と言われ、また「政治なんか誰がやっても同じだよ」の根拠だった官僚の地位が低下し続けています。今でも優秀な学歴の、志ある官僚はたくさんいるはずです。にもかかわらず、なぜこのようなことになるのでしょうか。

p. 68

未だに日本の官僚が優秀だと信じているのが時代錯誤。政策に関わる人間は最低でも修士号、普通は博士号を取る時代で、実際に日本の官僚もある程度留学させて修士号を取らせたりしているが、やはり足りていない。


第4章「自衛官の倅」の外交・安全保障論

国連至上主義を排する

集団的自衛権を認める時期

この辺りは、割と中道保守という感じがする。


第5章 新日本創成論

憲法は「日本」がテーマの企画書

私は新憲法制定論者です。二〇世紀末ごろには憲法論議がいろいろなところで出てきていたと思いますし、そういう機運は高まっていました。ようやく国民投票法まではいきました。

p. 151

この辺りも、割と中道保守という感じがする。


道州制の前にやるべきこと

本来は、衆議院が小選挙区制を導入したときに、地方分権をセットでやるべきでした。あのときセットで分権ができなかったために、せっかく「小選挙区制二大政党政治=政権交代が可能な政治」を目指しながら、地元の陳情などで忙殺される人がいまだに多いのです。

結局、分権ができていないから国会議員は地元の要請を無下に断ることができない。なにしろ、地方に権限がないわけですから、頼るのは国会議員ということになってしまいます。

p. 157

ごもっともな指摘。




まえがき

司馬遼太郎さん
藤沢周平さん
山本周五郎さん

どなたも私の大好き小説家です。

実は私は、この三人の小説は政治家に求められる最低限の資質が凝縮されていると思っています。

一つは、夢。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』『竜馬がゆく』の世界です。このスピリットを持っていない人は、そもそも政治家失格です。

もう一つは、矜持。『たそがれ清兵衛』がごとき、藤沢周平さんが描く、凜とした侍のたたずまいです。政治と金の問題は飽きずにくり返されます。江戸時代の市井の下級武士の矜恃を持っているかどうかです。

最後の一つは、人情。『赤ひげ診療譚』『さぶ』など、山本周五郎さんは人情の機微を描きました。国民のために働くなどと言うのであれば、これがわからないと、血の通った政治はできません。


私自身、いまだすべてを備えているとは言えません。落選も経験しましたし、数々の失敗をくり返してきました。

そんな私が政治家として行き詰まりを感じたり、悩んだとき折に触れ、励ましてくれたのが、三人の小説だったのです。

三人の小説に共通しているのは、民衆の気持ちがわかっているということです。

現在、民主党は、結党以来最も政権に近づいているといわれています。これまで何度も政権に近づきながら、自らの失策でチャンスをものにできずにきました。

もしかしたら、それは、私たちに夢・矜侍・人情のどれかが欠けていたからかもしれません。

しかし、今の自民党の政治家を見渡して、はたしてこの三つの資質を備えている人がどれだけいるでしょうか。世襲の総理大臣の物言いからは、どこか国民を見下した印象を受けます。麻生総理に限らず、苦労知らずの世襲政治家ばかりでは、とても民衆の気持ちを汲んだ政治は行えません。

また一部の既得権集団の利害ばかりを優先するシステムが、政官業あらゆる分野で強固な汚れのようにこびりついてしまっています。この汚れは戦後数十年かかって作られたものですから、少々の洗濯では落とすことはできません。こうしたシステム、そしてそれを支える勢力は、わが民主党の敵という以前に、主権者である民衆の敵です。この汚れを丸洗いするのに、もっとも有効な手段が政権交代なのです。

民主党に対して、今でも様々な厳しい意見があることは承知しています。

「キャリアがない。本当に任せられるか不安だ」
「保守政党というのならば、自民党と連立してもいいではないか。少なくとも社民党よりは近いはずなのに、なぜ連立をしないのか」
「結局のところ、自民党出身者が牛耳っているじゃないか。何が違うというのか」
「大体、誰がやっても同じだよ」

私は当選以来、一貫して「非自民」の立場で活動をしてきました。であるとも自負しています。

なぜ自民党と組んではいけないのか。なぜ民主党でなくてはならないのか。本当に民主党は信用できるのか。

本書ではこうした疑問に対して、一つの解答を示していこうと思っています

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