『女帝小池百合子』石井妙子著、文藝春秋、2020

感想

第一章 「芦屋令嬢」

破天荒な父勇二郎

海軍中尉だったと語る一方で彼はまた、周囲に「満鉄経理部で働いていた」「満鉄調査部にいた」「満鉄の野球部で活躍した」とも語っている。だが、海軍にいたのなら満鉄にいられるわけはなく、満鉄にいたのならば海軍にいたとは考えにくい。

p. 25

経歴詐称が遺伝(笑)

格差のなかで

上を見れば、そこには煌めくような世界が広がっている。たくさんの使用人にかしずかれて暮らす同級生がいる。下を見ればまた、そこには最低限の暮らしを強いられ、陋屋(ろうおく)に暮らす人々の世界がある。小池家の暮らし向きは、その中間にあった。傍目には一般的なサラリーマン家庭と変わらないか、やや恵まれて映ったことだろう。だが、サラリーマン家庭と違って収入は常に不安定だった。それがまた、家庭不和の一因となっていたと縁戚の男性は語る。

pp. 34-35

「芦屋令嬢」も大嘘(笑)

娘を着飾らせる母

小学五年生の時には校内の弁論大会で優勝、題は「ウソも方便」だったという。

p. 37

「お嬢さん学校」へ

級友のひとりは、「ある時、突然、ラージ*が世界情勢を話し始めたので驚いた。『うちではお父さんとお兄さんがいつもこういう話をしている』と言っていました」と『週刊新潮』の取材記者に語っている。

(小池の愛称。同級生に小池姓はふたりおり、背が一方より高い小池に「ラージ」という愛称がつけられた)

pp.43-44

愛称っていうか、嫌われてない?(笑)


中東の有力者

彼は、日本アラブ協会に入会していた。この協会は一九五八年に自民党の中谷武世が中心になり、中曽根康弘、末次一郎、財界人の江戸英雄ら、政、財、官を代表する百四十名が発起人となり、日本とアラブ諸国の親善友好を謳って創立された。勇二郎はもちうたろん発起人ではなかったが、一会員だった。

p. 56

日本アラブ協会の話は第3章(p. 129-130)でも出てくるんですが、なんで右派の政治家がここに巣くってたのかは謎です。当時は中曽根ぐらいしか右派と呼べる存在がいなかったんで、何でも良いから金になりそうなところに人が集まったんでしょうか?


第三章 虚飾の階段

竹村健一の番組アシスタントでテレビデビュー

一方、アラビア語通訳としての需要は、ほとんどなかった。外務省では中東の重要人物が来日すると何かと人脈を求めて食い込もうとする小池に対して警戒していたという。一度だけ美智子皇太子妃とサウジアラビアの商工大臣夫人が面会した際の、短い通訳を担当したことがあるが、これは担当官庁が外務省ではなく通産省だったからだと当時を知る人物はいう。

p. 138

バレてるやん(笑)


一九八二年、NHKは夜九時のニュース番組、「ニュースセンター9時」の司会をアナウンサーではなく記者が務めることになり、「キャスター」と呼ばれた。また、社内の女性アナウンサーではなく、慶應義塾大学の大学院生の宮崎緑を公募で選び、サブキャスターに据えた。宮崎は才色兼備の美人キャスターとして一躍、時の人となる。

これに各局が刺激された。容姿端麗で、学歴があり、英語の話せる女性を、という流れができ上がり、野中ともよ幸田シャーミン、櫻井よしこらが次々と画面に登場する。田丸美寿々、小宮悦子、安藤優子ら女性アナウンサーも報道番組を担当し、硬派なイメージで売り出された。スチュワーデスに代わってアナウンサー、キャスターが女性の花形職業となっていく。

一九八五年にはテレビ朝日が夜十時から、ニュースショー的な報道番組、「ニュースステーション」を開始。メインキャスターに久米宏、サブキャスターに小宮悦子を抜擢して大きな成功を収める。軽妙な久米のトークはもとより、隣に座る小宮の理知的な佇まいと美貌、脚線美が視聴率を引き上げたといわれた。

小宮は小池より六歳年下の一九五八年生まれ。東京都立大学卒でテレビ朝日の社員アナウンサーだった。肩パッドの入ったスーツに身を包み、髪型はショートカット、スカートから見える形のいい足をそろえて横に流す。小宮が作った、この理知的で色気もにじませる女性キャスター像は、ひとつのひな形となり、小池や他のキャスターに踏襲されていく。

一九八五年には男女雇用機会均等法が成立。時はバブルへと突入する。好景気に支えられ都会的な自立した高学歴女性がマスコミ界を中心に、ますますもてはやされるようになった。

週刊誌では「女性キャスター」「女性アナウンサー」特集が盛んに組まれた。しかし、そこで小池が取り上げられることは、まずなかった。一介のアシスタントであり、女性キャスターとは見られていなかったからだ。宮崎緑や、小宮悦子は二十代の若さで、夜の看板番組を背負っている。小池とは境遇が大きく違った。

pp. 151-152

女子アナブームの源流は小宮悦子だったのか…


一九八四年の八月二十三日、小池は朝日新聞夕刊に掲載された人物紹介に目を留める。それは来日したトルコ人の青年が、日本で性的なサービスをする特殊浴場が「トルコ風呂」と呼ばれていることに対して、苦痛を感じているという内容だった。

小池はすぐさま朝日新聞の知人に電話を入れると、この青年の連絡先を教えてもらい、会いに行ったという。そして、「一緒に国会議員に陳情しよう」と持ちかけた。あとはすべて彼女のペースで進んでいった。

厚生大臣の渡部恒三に新聞記者を通じて陳情のアポイントメントを入れると、彼女は記者クラブに連絡し新聞社やテレビ局に取材に来るよう働きかけた。

功を奏して当日の大臣室には入りきれないほどマスコミ関係者が押しかけた。フラッシュがさかんに焚かれ、テレビカメラが回る中で、陳情書を小池と並んだトルコ人青年が手渡した。翌日、スポーツ新聞に至るまでが、これを報じた。トルコ風呂、大臣、女性タレント、元留学生、という取り合わせに妙味があったからだろう。

三カ月後、「トルコ風呂」という名称は消え、新たに「ソープランド」という言葉が誕生した。小池の顔と名前と行動力、それにカイロ大学卒の中東通という経歴が、これによって広く宣伝された。

p. 153

「トルコ風呂」が消え、「ソープ」誕生に小池百合子がかかわってたというのは、面白い。


「ワールドビジネスサテライト」へ大抜擢

そんな中で、『週刊テーミス』だけは、小池が現地で目立とうとしてパフォーマンスに走り現場を混乱させていた、ゆえに外務省職員たちは陰で「バカ百合子」と呼んでいたというエピソードを紹介し、さらにはエジプト考古学を専門とする早稲田大学助教授(当時)、吉村作治の「(小池の)カイロ大学首席卒業はあり得ない」というコメントも載せた。

この記事を小池も読み記憶に留めたのだろう。後に、別件で小池に会った同誌の記者は差し出した名刺を目の前でビリビリに破り捨てられる、という経験をすることになる。

p. 162


第四章 政界のチアリーダー

土井たか子と衆議院選で対決

この選挙を取材したノンフィクション作家の島崎今日子は「兵庫2区を揺るがせた14日間」(『婦人公論』一九九三年九月号)という優れたレポートを残している。それによれば、小池は徹底して都会人のスマートさで戦おうとし、また、どの演説会場でも一般聴衆よりもマスコミのほうが多かったと書いている。スイスのテレビ局から取材された小池は「スイスなまりの英語で答えた」と島崎に語ったという。男性たちからは「べっぴんやなー」と声が上がる一方、女性たちからはそれをたしなめる冷ややかな声も上がっていた、と。島崎はまた、小池がきれいなスーツに身を包み、ミニスカートをはいて完璧な化粧をしていても、靴は一足だけで、それがひどく汚れていたと指摘し…

p. 196

こういう所に育ちが出ますからね…


第五章 大臣の椅子

はめられた守屋事務次官

八月八日、アーリントン国立墓地を表敬訪問。ここを訪問する各国の要人は記念館に収めるギフトを事前に贈る慣習があり、小池が事前に贈った「ギフト」もすでに陳列されていた。通常は自国の工芸品などを贈るが、彼女は自分が絵付けした茶碗を「ギフト」にした。自らアラビア語で「平和」を意味する文字を絵付けした一品である。日本国ではなく、あくまでも自分を顕示したかったのであろう。だが、9・11の後、日本の防衛大臣がアラビア文字を書いた茶碗をアメリカの国立墓地に贈る感覚は、どう受け取られたものであろうか。

p. 287

これは知りませんでしたが、エグいやらかしですね…


「Some people call me the 'Japan's Rice' after Madame Secretary Rice. Literally speaking 'Japan's Rice' means 'sushi.' So, Why don't you call me 'Madame Sushi'? (私のことをライス長官に倣って、『日本のライス』と呼ぶ人もいます。日本のライスの意味は寿司です。私のことを『マダム寿司』と呼んではどうでしょうか)」

p. 288

当時の事は覚えてますが、エグいダダすべりでした(笑)


突然の大臣辞任

一方、小池は「ライス長官とは姉妹の関係を築いた」と外遊成果を自負しつつ、八月十一日に帰国。飛行場には記者が集まっていたが、訪米の成果を聞かれるのではなく、防衛事務次官の人事ばかりを聞かれて小池は機嫌を悪くする。スピーチを揶揄され、「回転寿司マダム」と笑われていることにも憤慨した。

p. 289

上手い事を言う人がいたものです(笑)


臥薪嘗胆ヘア

翌二〇一〇年七月には自民党の応援歌を作ると言い出し、小池はマスコミを集めて記者発表をした。作詞はecoyuri、すなわち小池百合子。歌手は、あべ静江。バックコーラスは小池が声をかけて集めた、稲田朋美、小渕優子、阿部俊子ら、主に女性議員たち。自民党本部で記者会見をし、レコーディング風景をユーチューブで流し、出来上がったCDは自民党本部で売り出した。

p. 298

やってることが斜め上過ぎて…(笑)


第六章 復讐

都知事選への出馬表明

さらに彼女は自分が都知事になったならば、三年半と任期を区切る、それによって次の選挙を半年、前倒しすることができ、五輪の直前に選挙をしなくて済むようにする、と語り、こういうことを発想できるところが自分なのだと大見得を切った。

「発想力ということでは自信を持っております。条例をつくったり、法改正の必要はありません。それを公約とし、実行する。国政、都政の混乱につながらないようにするのは当然のことと思っております」

彼女は法律にも規則にも、あまりにも無知であり、また、その自覚がなかった。仮に任期を半年残して都知事が三年半で辞職し、都知事選に再立候補して再当選したとしても、半年分しか務めることはできない、という原則を知らなかったのだ。総理が衆議院を解散した場合、衆議院議員の任期は総選挙時から新たに始まる、それと勘違いしたのだろう。

pp. 324-325

マスゴミさんよ…


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