『徳洲会はいかにして日本最大の医療法人となったのか:創設者徳田虎雄に迫る』石井一二著、アチーブメント出版、2009


感想

所詮は関係者のヨイショ本だという印象はぬぐえない…内部情報が多少あるのが唯一の存在意義という本。


山岡(2017)ではほとんど書かれていなかったこと

多くの事は上記の本と重なることが多かった。それは、上記の本が優れているとか、この本が劣っているということではなく、徳洲会とか徳田虎雄の話としては定番のモノが多いという事だと思う。以下は、上記の本に記述が無かった、あるいは少なかった部分を抜粋している


第3章 徳田虎雄、その生きざまとその人となり

・【事例2】日本体操協会を大改革―アテネオリンピックで二十八年ぶりの金メダルを日本にもたらす

・【事例4】亡命中のペルー共和国フジモリ大統領の身柄を引き受ける

第4章 政治家徳田虎雄とその功罪

・エピソードその2

保岡―徳田戦争は激しい買収合戦を繰り広げることを強いられる選挙戦であったらしいことは既に述べたが、現実には買収による逮捕者は少なかった。

買収・被買収は、お金を渡した人物と受け取った人物が特定出来て初めて成立する。保德戦争の場合、金を渡す係は東京や北海道といったどこか遠くから飛行機で飛んできて、現ナマを各家の仏壇の前辺りに置いて帰る。まったくどこの誰かわからない人物が突然来て「○○をよろしく」とお願いをして小さな封筒を置いてすぐ帰ったようだ。

p. 107


6. 政治家徳田虎雄の国会活動―国会質問や地元への貢献

国会での徳田は、自分の望む委員会にはなかなか入ることが出来なかった。それは大政党に属していなかったからである。

国会での議員の委員会への割り振りは、まず議院運営委員会で各会派の委員会ごとの割り振り定数を定め、後は各会派から選ばれた議員がそれぞれの委員会の委員となる。徳田のように無所属、または小会派の所属だと、よい委員会、例えば、予算・建設・大蔵・厚生・農林といったような重要委員会のボストの割り振りが初めからないのだ。ちなみに彼が議員在籍中に務めた委員会を見てみると、法務委員や決算委員を仰せつかっている。いわば、他の議員があまり入りたがらない委員会だ。

pp. 123-124


第6章 徳洲会病院経営ノウハウのエッセンスを垣間見る

さすがに、内部情報が豊富だと感じた。




はじめに

私の長年の友であるアチーブメント出版株式会社の青木仁志会長より徳田虎雄氏の生きざま、人生哲学、成功の軌跡等について書いていただけないかとの話を受けた時、面白いし、書き甲斐のあるストーリーだと思った。ただ同時に、私より徳田氏や徳洲会の本当の姿を文面にしたためることの出来る作家やライターが他にいるのではないかとの思いが脳裏に去来した。

しかしよく考えてみると、たとえどのように文章上手で表現力豊かな書き手がこの話をしたためようと思っても、その人物の取材(つまりネタ取り)は所詮、既存の書を読んだり、関係者から話を聞く、いわば間接的情報にもとづくものとなってしまうだろうと思った。私は確かに徳田氏と長く行動を共にし、客観的に、しかもクールに、直接彼を見てきた数少ない人物の一人に違いないと思う。

私が徳田虎雄氏に初めて「会った」というより、むしろ彼を“見た”のは、一九七三年、彼がやっと二つめの病院、徳田病院に続く野崎病院の建設計画に取りかかったばかりの頃であった。その時の強烈な印象は今もって忘れられず、はっきりと脳裏にこびりついている。当時、兵庫県議会議員の一期生として政治の道に入ったばかりだった私は、聴衆の一人として彼の講演を聴いていたのだが、舌端火を吐くような熱弁で、尚且つユーモアがあり、またジェスチャー、動き、そして白板に字を書く早業・・・・・しばらくすると上着を投げ捨て、またしばし時が経つと、ネクタイをもかなぐり捨て、ワイシャツの袖をまくり全身汗びっしょり、しかし論旨には筋が通っているという具合であった。

あの時以来三十六年の時が経つ。そして彼が三回目の選挙で念願の衆議院議員に当選して、国会で再会したのが一九九○年。それ以来十九年、しかしその当時の私と徳田氏との関係はまだ顔見知りの域を出ない程度のものだった。

そして私が、徳田氏の懇請を受けて、彼の主宰する政党・自由連合に幹事長として参画したのが一九九六年、今からかれこれ十三年前で、ここからわれわれの刎頸(ふんけい)の友としての付き合いが始まり、今日に至っている。この間、私は医療法人徳洲会の特別顧問の肩書きもいただき、政治、医療、私生活と、波乱万丈でめまぐるしい動きを続ける彼の周辺にあって、冷静に彼とそのファミリー、そして徳洲会を見続けてきたのこの間に過去の色々な出来事についてもそれぞれの関係者から直接話を聞くことが出来た。そこで私は『本当の徳田氏の姿を客観的に書ける最適任の人物は私しかいない』と結論づけ、執筆をお引き受けすることとなった。

執筆を始めるに際して私は次の二つのことを自分自身に言って聞かせた。

一つは”よいしょ”しっぱなしの礼讃型の本は書かないということ。もう一つは、だからといって暴露本としての皮肉と足引っ張りに徹した筆を走らせることなどもってのほか、この二つだった。徳田虎雄氏に関する多くの書がすでに出版されている。私が知る限りでも少なくとも七~八冊はあるだろう。マンガを入れたらその数は更に増える。そしてこれらの著者はすべてとい
ってもよいほど、徳田虎雄自身、或いは徳洲会内部関係者の筆による著作で、しかも事前に内容の了承を受けたものである。

以前にはアニメ映画も製作されたこともあったし、特に最近では徳田虎雄の本格的なドキュメンタリー映画『いのち』の製作が年あまり前から始まり、近く一般劇場でも公開されようとしている。

だがこれらはどちらかというと徳洲会側の自画自賛型の作品であり、これらからは徳田虎雄や徳洲会の真の姿は見えて来ない。

本書に書かれている内容はすべて事実に最も近いものであり、誇張や故意の歪曲はない。勿論、へつらいもない。

本書を書き終えて言えることは、徳田氏という他の人には出来ない偉業をやり遂げてきた人間がここにいるということ。そしてその行動、活動の軌跡を出来るだけ正確に辿った書になったと確信している。

その実績には舌を巻くし、またそのやり方には大いに学ぶべきものがある反面、ひがみやねたみも含めて批判する人も多いことは事実かもしれない。彼の半生の行動は善か偽善か、自己利益中心主義か利他主義か、その判断は本書を読まれた各自にお任せする。だが真実は一つ、医療を通じて世界に貢献したい、そして老若男女、人種、貧富、社会的地位等を問わず〈生命(いのち)だけは平等だ〉とする徳田哲学は万人が認めざるを得ない金字塔であるということだ。

読者各位が最後までご熟読の上、著者に対するご批判やお叱りがあれば甘んじてお受けしたい。

本書をお読みいただければおわかりだろうが、今、重病の床にある彼が、不屈の精神で繰り広げつつある生涯の闘いはまだまだ終わりそうにない。しかもその闘いは益々烈しさを増し、且つ、その行動範囲ははるか世界の果てまでと拡大しつつある。歴史に残るジンギスカン、ナポレオンの拡大戦線すら思い出させる様相が窺える。その前途の成功を祈りつつ、固唾を飲んで成り行きを見守っていきたい心境の今日この頃だ。うかが

文中に出てくる徳田虎雄氏本人はじめ、各位に対して失礼な表現があった場合には深謝する次第である。尚、名前の出てくる方々に対して敬称を略させていただいたことに対してもお許しとご了解を願うものである。

二〇〇九年四月

著者記す

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