『ハワード・ヒューズ:ヒコーキ物語』藤田勝啓著、イカロス出版、2005


はじめに

ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(一九〇五~一九七六)という男がいた。彼は資産が一〇億ドルを超える、アメリカで有数の大富豪だった。父の遺産を受け継ぎ、若くして百万長者の仲間入りをしたヒューズは、様々な事業に手を出したが、情熱を注いだのは映画と航空機だった。

映画の製作に乗り出したヒューズは、三作目がアカデミー賞(監督が喜劇部門の最優秀監督賞を獲得)に輝き、超のそのあと大作「地獄の天使」では自ら監督も務め、映画界の注目を集める。のちには映画会社RKOを手中にし、製作の指揮をとった。

その一方、プレイボーイとしても世に知られた。金をふんだんに持つだけでなく、映画俳優にもなれそうなハンサムな男だったから、もてたことは容易に想像できるが、その女性遍歴はビリー・ダフ、キャサリン・ヘップバーン、ジンジャー・ロジャース、エパ・ガードナー、オリビア・デハビランド、キャサリン・グレイソン、リタ・ヘイワース、ラナ・ターナー、テリ
ー・ムーア、ジーン・ピータースなど、ハリウッド女優名鑑を繰るような華やかさであった。

航空の分野では、自ら設計と製作を指揮したH-1レーサーを操縦して陸上機の世界速度記録を樹立した。さらにアメリカ大陸横断の速度記録を二度も更新し、世界一周早回り飛行の記録も作る。映画界のプリンスが航空界でもヒーローの座を占めたのだ。

第二次大戦中には高速偵察機XF-11と超大型飛行艇HK-1の開発に取り組んだ。スプルース・グースと呼ばれた巨人飛行艇はただ一回飛行しただけだが、当時としては群を抜く大きさで、現在に至るまで主翼のサイズでそれを上回るものは現われていない。航空機の製造事業には失敗したが、ヒューズ航空機社は軍用電子機材の分野で大きな成長を遂げ、人工衛星なども作る巨大企業になった。

またヒューズはTWAを二〇年近くにわたって支配した。その使用機としてロッキード・コンステレーションとコンベア880の開発をうながしたのも彼である。

晩年はラスベガスのホテル、カジノ、土地を買い漁った。ラスベガスのホテルの全客室数の二〇パーセント以上が彼のものになった。また、テレビ局や鉱山にも手を伸ばした。

ヒューズは奇妙な性癖でも世間の関心を集めた。晩年はホテルのワン・フロアーを借り切り、窓をカーテンで閉ざした部屋に閉じこもって、めったに外部の人間とは会わなかった。ばい菌を恐れてドアのノブや電話機を執拗に磨く一方、髪やひげは延ばし放題にし、手足の爪は切らず、裸で過ごした。

彼は映画製作者やプレイボーイとしてでなく、航空界で成し遂げたことで後世に名前を伝えられたいと語ったことがある。その航空界での足跡を主軸にして、この華麗で、奇妙な億万長者の一生をたどってみよう。

藤田勝啓



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