『愛国の起源──パトリオティズムはなぜ保守思想となったのか』将基面貴巳著、ちくま新書1658、2022
はじめに
「愛国」のイメージ
みなさんは、「愛国」や「愛国心」という言葉にどのようなイメージを持っていますか?
日本の美しい四季や自然への愛着でしょうか。あるいは、日本のスポーツ選手が世界大会で活躍するのを応援することでしょうか。
人によっては、日本の優れたものづくりの伝統や、独自の歴史や文化を誇りに思うこと だと考えるかもしれません。さらに、そのような意味で国を愛することは当然だと思う人が多いでしょう。
しかし、その一方で、「愛国」や「愛国心」という言葉にアレルギー反応を示す人も少なくありません。
そうした人にとって「愛国」とは戦前・戦中の日本の軍国主義やナショナリズムを連想 させる傾向があるようです。
その場合、「愛国」には、侵略戦争や、国旗や国歌の強制、外国人差別といった「右 翼」的なイメージが伴います。いずれにしても、「愛国」には政治的に保守や右派のイメ ージがつきまとうものでしょう。
実際、書店の「政治」の棚には、保守系の著者や出版社による「愛国」本がずらりと並んでいるではありませんか。
ところが、実は、この「愛国」という思想が保守や右派の政治的立場と結びついたのは、 歴史的には比較的最近のことに過ぎません。いわゆる愛国思想の歴史はヨーロッパの伝統では、古代ギリシャ・ローマにまで遡ることができますが、一八世紀の末までは、今日の 私たちが保守的とか右派と呼んでいる政治的イメージとはあまり関係がなかったのです。
では、一八世紀末までの愛国思想とはどのようなものだったのでしょうか。
どのようにして「愛国」が保守や右派の思想であるというイメージが生まれたのでしょうか。
本書では、これから六章にわたって、こうした問題を歴史的に論じたいと思います。 そ うすることで「愛国」とは何かという問題について、常識や先入観に頼るだけではわからない側面が多々あることを示そうと考えています。
「愛国」という思想には実に長い歴史があり、その中で培われてきた伝統から見れば、保守や右派と結びつく「愛国」思想こそがむしろ伝統を逸脱した側面があることも見えてく るはずです。
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