『「みんなの意見」は案外正しい』ジェームズ・スロウィッキー著、2009


0. はじめに

0-1. フランシス・ゴールトンのプリマス食肉用家畜家禽見本市分析

時は一九〇六年秋。イギリス人科学者フランシス・ゴールトンは、プリマスの町にある自宅を出て、近所で開かれている市に向かった。そのときゴールトンはすでに八五歳。自分の老いをイヤでも意識し始める年頃だが、それでも彼に名声と悪名の両方をもたらした好奇心はあふれんばかりだった。彼の名を世に知らしめたのは数々の統計データと遺伝に関する研究、優生学の研究である。

その日彼が向かった先は毎年恒例のイングランド西部食肉用家畜家禽見本市だった。地域の畜産家や町の住民たちが集まって、お互いの牛や羊、鶏、馬、豚などの品質を値踏みする場である。ずらっと並んだ使役馬や自慢の豚の間をぶらつくのは、科学者、しかもかなり高齢の科学者の時間のすごし方としては一見奇妙なようだが、彼なりの理屈はあった。ゴールトンは生涯をとおして二つのことにとり憑かれていた。身体的および知的資質の測定、それに血統である。家畜見本市はよい血統、悪い血統を陳列する場以外のなにものでもないではないか。

ゴールトンは選ばれたごく少数の人間だけが社会を健全に保つのに必要な特性を持っていると信じていたので、血統に大きな関心を持っていた。世の中の人の圧倒的多数にはこうした特性が欠けていると証明するために、人生の大半を費やした人物とも言える。一八八四年のロンドンの国際健康博覧会では、自ら開発した機器を使って「人体計測実験室」を設け、博覧会参加者に「視覚や聴覚の鋭さ、色彩感覚、視覚判断力、反応時間」などの項目のテストを課した。実験の結果、彼は一般人の知性に極度の不信を抱くに至り、「多くの男女の愚かしさと頑迷さはまったくひどいもので、(彼らの意見は)まったく信頼に値しない」と述べている。

その日、見本市では雄牛の重量当てコンテストが行われていた。矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)、まるまると肥えた雄牛の重さ(正確には食肉処理した雄牛の解体後の重さ)の見当をつけた後、コンテストにエントリ―する。六ペンスで通し番号が刻印されたチケットを購入し、それに氏名・住所・重量の推定値を記入する。いちばん正解に近い人が賞品をもらえるということになっていて、ゴールトンがやってきた頃にはすでに多くの人がエントリーしようと列をなしていた。

この運試しに参加した八○○人の顔ぶれは、実に多彩だった。畜産農家や食肉店の人間が多かったので、家畜の重さについてよく知っている専門家が多かったと言えるかもしれない。だが、家畜についてほとんど知らない人も結構いた。「馬についてほとんど知らないけれど、競馬で賭ける事務員などのように、専門家以外の人も新聞や友人の予想を参考に、あるいは自分の妄想に導かれるまま数多く参加した」とゴールトンは後に科学専門誌「ネイチャー」に書いている。

まったく異なる能力や関心を持った人々が票ずつ手にする点では、このコンテストも民主主義の仕組みと基本的には同じだ。ゴールトンはその類似点を直ちに見抜いた。「コンテストの平均的な参加者が食肉処理後の雄牛の重さを量るのに適しているのと同じくらい、平均的な有権者が自ら投票しようとしている政治的課題のメリットを測るのに適している」と続けている。

ゴールトンは、「平均的な有権者」に何ができるか知りたいと思っていた。というより平均的な有権者はほとんど何もできないと証明したかったと言うほうが正確だろう。コンテストが終了して賞が授与されたところで、ゴールトンは主催者からチケットを借り、統計的な検証を行った(チケットは判読不能な一三枚を除き、全部で七八七枚あった)。チケットに記載された数値を最大から最小まで順に並べ、ベルカーブ(訳注:釣鐘型の曲線)ができるか調べてみた。その後、数値をすべて足し上げ、参加者全体の平均値を算出した。この数値が、プリマスに集まった人々の集合的な知恵を表すというわけだ。

ゴールトンは、グループの平均値が、まったく的外れな数値になると予想していた。非常に優秀な人が少し、凡庸な人がもう少し、それに多数の愚民の判断がまざってしまうと、結論は愚かなものになると考えたからだ。だが、それは間違いだった。予測の平均値は一一九七ボンドだったが、実際は一一九八ボンドだったのである。血統の善し悪しに関係なく、「みんなの意見」はほぼ正しかった。ゴールトンは後に「当初の予測よりも民主的な判断に信頼がおけることを示しているとも考えられる」と述べた。どうやら彼は負けず嫌いだったらしい。

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