『カイロ大学:"闘争と平和"の混沌』浅川芳裕著、ベスト新書、2017
感想
全体
著者の観点からは重要ではないのかもしれないが、エジプトのキリスト教徒(コプト)の話は少し出てくるが、シーア派の話は全然出てこないのが不思議。
1章
小池百合子の嘘くさい存在が、カイロ・エジプトというレンズを通してみると、それはそれでありかな、と思わせてくれる話(笑)
逆に言うと、そんな日本とは真逆の外国風味をダイレクトに日本人の顔をして持ち込まれると困ります…(笑)
7章
なるほど
はじめに
世界最強の大学
カイロ大学は世界史を揺るがす大物を多数、生み出してきた世界最強の大学です。
有名な出身者をあげれば、
ヤセル・アラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長(1955年工学部卒)や
サダム・フセイン元イラク大統領(1964年法学部中退)、
国際テロ組織アルカイダ最高指導者のアイマン・ザワヒリ(1974年医学部卒)などがいます。
日本でカイロ大学出身者といえば、すぐに思い浮かぶのが小池百合子氏(1976年文学部卒)です。小池氏のカイロ大学時代の武勇伝には事欠かきません。
「入学式はなく、軍事訓練で新学期開始」
「第4次中東戦争とそれに伴う食料不足経験」
「学生運動で、元旦に催涙弾を浴びる」
「卒業記念に振袖姿でピラミッドの頂上でお茶を点てる」
これほど混沌に満ちた大学生活のエピソードを持つ政治家はそうはいないでしょう。
小池氏のおかげで、カイロ大学の知名度は上がりました。しかし、大学のあるカイロのことや、まして大学について詳しいことはほとんど知られていません。せいぜい「カイロといえばエジプトの首都」「エジプトといえばピラミッド」「カイロ大といえば小池百合子」くらいです。
それも仕方ないかもしれません。1908年の建学以来、カイロ大学に入学した日本人は小池氏や筆者(1995年文学部中退)をふくめ、10年に一人いるかどうかの少なさだからです。一生のうち、カイロ大出身者と知り合う確率はゼロといっていいぐらいの希少性です。
それにしても、なぜ小池氏はカイロ大を選んだのでしょうか。
アラビア語通訳を目指していた小池氏は、父の書斎で中東各国の便覧をみつけます。
しかしその学業の厳しさは半端ではありませんでした。
帰国後、通訳、キャスターを経て政界に転じますが、権力闘争に自ら飛び込んでいく政治スタイルはカイロ大学仕込みです。
カイロ大は教育機関でありながら、そのキャンパスのなかでは絶えず政治闘争が繰り広げられてきました。小池氏の伝記『挑戦 小池百合子伝』(2016年)にはこう記されています。
小池氏は20歳前後の若さで、政治闘争の壮絶さを経験済みなのです。
「闘争」と「混乱」のなか輩出された出身者たち
カイロ大学の学風はまさに「闘争」と「混乱」です。
筆者がカイロ大学のオリエンテーションを受けたとき、担当者からいわれた最初の言葉は「混乱の世界へようこそ!」です。実際、カイロ大学のキャンパスで実体験した混乱の根は想像以上に深いものでした。
そんな混乱を経験済みのカイロ大学出身者の共通点は、乱世に強いことです。だからこそ、世界史を動かす、特異な人物を生み出してきたのです。
アラファト、フセイン、ザワヒリの他にも多数います。
イスラム主義組織ハマスの共同創設者マハムード・アルザハル(1971年医学部卒)や
かつて日本赤軍とも共闘したPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の共同創設者ナイフ・ハワトメ(1957年医学部中退)もカイロ大出身です。
石油ショックで世界を揺るがしたサウジアラビア元石油相のアハメド・ザキ・ヤマニは1951年、法学部卒です。
世界貿易センター爆破事件の首謀者とされるオマル・アブドゥルラフマンはダール・アルウルーム(教育)学部修士課程修了(1965年)。
9・11の実行犯ムハンマド・アタは工学部卒(1990年)
と列挙すれば、きりがありません。
乱世に強いというより、世を混乱に陥れた人物をたくさん輩出しています。
一方で、平和運動に貢献した人物も輩出しています。
アフリカ初の国連事務総長で国連平和維持活動(PKO)を大幅強化したブトロス・ガリはカイロ大法学部出身(1946年卒)です。
先述のアラファトとIAEA(国際原子力機関)のムハンマド・エルバラダイ元事務局長(1962年法学部卒)の二人はノーベル平和賞を受賞しています。
ノーベル平和賞候補にあがった卒業生もいます。ソーシャルメディアを駆使して2011年工ジプト革命に貢献したワエル・ゴニム(2004年コンピューター情報システム学部卒)やエジプト民主化運動の若きリーダー、アハマド・マヘル(2004年工学部卒)です。
小池氏卒業の後、日本人で有名な出身者といえば、イスラム法学者でカリフ制復興論者の元同志社大学教授・中田考氏(1992年カイロ大学哲学博士号取得)もいます。現在、その語学力を生かし、SSY(「世界征服に役立つ」の略称)外国語教室でアラビア語、ヘブライ語、トルコ語の教鞭をとっています。
カイロ大学は世界に混乱をもたらす人物と平和を求める出身者が混在しているのが特徴です。どちらの側につくにしても、両者の間では死ぬか生きるかの思想闘争が繰り返されています。
混乱と闘争という学風を持つカイロ大学が彼らに、学びの園という領域を越えた影響を人生に与えているというのが本書の主題です。カイロ大学は「平和学」ならぬ「混乱学」を学ぶ最高のフィールドなのです。
世の中は東大やハーバード大などのエリート大学本であふれています。しかし、混沌とした現代社会では、理路整然を至高の価値とするエリート主義はなんの役にも立ちません。
カイロ大出身者はそれぞれの分野でトップを目指し、世界を変えようと闘争します。その過程で巻き起こる混乱(一般人からみれば)など、一切気になりません。
その証拠に都政や国政をいくら混乱させても、平然としているのが小池氏です。カイロ大仕込みの混乱を自ら仕込んでいるのですから、何ともないわけです。
他方、混乱を嫌い、安定をもとめる出身者も当然います。しかし、彼らの強みは、「混乱主義者」の心理や行動をカイロ大時代に肌で感じとっている点です。ですから、世界情勢がどんな混沌にみえようが、それを抑え込もうとする国連などの国際機関でも活躍できるわけです。
カイロ大学の混乱を生み出す土壌は、カイロという世界の大混沌都市のなかにあります。
序章では、日本ではあまり紹介されることのない世界刺激的なカイロという街について解説します。
その「カイロの熾烈で、混乱と混沌が渦巻く人間を描いた(英エコノミスト誌)」エジプト人作家ナギブ・マフフーズ(1934年、カイロ大哲学科卒)はノーベル文学賞を受賞しているぐらいです。
かつて小池氏も「ケイオスティック(注:「混沌に満ちた」の意)・カイロ」(牟田口義郎『カイロ世界の都市の物語10』1992年に寄稿)という小論を書いています。カイロといえば混沌なのです。ルールなどありません。すべてはカイロ流交渉術で物事がきまる世界です。
1章では実際に小池氏や筆者が留学生活で身につけた、混沌としたカイロ流交渉術を開陳します。この交渉術は日本でも大いに役立ちます。小池氏自身、カイロ生活で身につけたことについてこう言及しています。
2章から5章のテーマはカイロ大学世界最強説です。なぜカイロ大生は乱世に強いのか。その一因として、激しい学生運動やつかまったときの拷問の厳しさに触れます。そのような経験がどれだけ強く、硬派な人物を育ててきたかを考察します。
そして、カイロ大学の建学から現在にいたるまでの歴史をたどります。出身者が特異なように、建学者も特異でした。建学者の闘争、教授たちの闘争、学生たちの闘争をみていきます。その混乱と闘争の行きつく先にあるのは独立孤高の精神力です。それが世界史を動かす思想や行動を生み出す原動力となってきたことを、アラファト、フセイン、ザワヒリらの大学時代からエジプト革命、そして現在に至るまで論じます。
6章は、「カイロ大学留学のススメ」です。カオスのような現代世界で生き抜くには、カイロ大学の混沌の中で学ぶのがいちばんの近道です。しかも、日本人には入学試験は課されません。交渉術によって、誰でも入学が可能です。入学できた時点で、カイロ流交渉術をマスターできている証です。その経験とスキル習得だけでも、日本の大学に入るより、たくましくなれるはずです。
7章では、筆者のカイロ大学時代の経験について綴ります。欧米のよくある留学体験記とはまったく異なる混乱と闘争ぶりをお楽しみください。
本書は「混乱学」的な視点からのカイロ大学入門書です。本書によって世界最強の大学の存在が世に知れ渡り、カイロ大に留学する後輩が続々と生まれ、混沌とした世界史をリードする人物が誕生する契機になれば幸いです。
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