褒められ社会を欲して
3歳の息子と公園に行った。
ベンチに座って一息ついていたら、誰かが捨てたであろうゴミを息子が拾い上げた。
ゴミを拾おうとした瞬間に「汚いから触っちゃだめ」と言いかけたが、泥遊びで既に真っ黒になった息子をまえに、言葉を飲み込み様子を見ることにした。
息子はゴミを持ったまま歩き、ゴミ箱に捨てた。
恐らく「ゴミはゴミ箱へ」という教えを実行したのだろう。
覚えたての行動を終えた息子は一仕事終えた男の面持ちで戻ってきた。
僕は「偉い!」「綺麗になったね!」と息子を褒めた。
すると褒められたことが嬉しかったようで、息子は何度もゴミを拾ってはゴミ箱に入れた。
その度に「すごいね!」「ゴミ捨ての貴公子だ!」「よっ!あんたが大将!」と褒めちぎる。
するとさらなる“褒め”を欲してゴミを探す息子。今の彼は“褒めジャンキー”と化していた。
何度かの往復で褒めの根源(ゴミ)をとりつくしたことに気づいた息子は、どこか寂しそうな表情をしていた。
その表情をみてふと思う。最近誰かに褒められたことってあったかな、と。そもそも大人になってから褒められたことってあったか?
僕らは大人になるにつれ褒められる機会が減っていく。恐らく大人にとっては「当たり前にやること」が多いから、褒められる機会が少ないのだと思う。
例えば会社に利益をもたらしたとしても、結果や行動に対して評価されることはあれど、僕という“人間性”は褒められない。
例えば家事をしても、妻から感謝されることはあれど、僕という“人格”は褒められない。
大人は褒められる機会が圧倒的に少ないのだ。
でも、もし褒められればそれがモチベーションにつながるはず。
息子はゴミを拾い続けた。彼は「町の美化」や「環境対策」といった大層な理由で動いていない。彼の未発達な脳ではそんなことまで考えられない。彼が行動した原理は「褒められたいから」でしかない。
大人であっても褒められれば嬉しいはずだし、「もっと褒められたい」と思うだろう。みんなが見過ごしている「当たり前にやること」を褒められることで、優しい気持ちにもなるし、次の行動にもつながると思う。
少なくとも僕は心底褒められたい。頭を撫でられながら「ちゃんと仕事して偉いね」と言われたら心がホッとしちゃう。
褒められることが多くなるように、大人であっても誰かを褒めて生きよう。そうすればいずれは自分に返ってくるから。
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