父親がただの人間だと気づいた日
「ただの裸の女の人より、靴下だけを履いている女の人の方がなんかいいよね」
小学生の僕は父に同意を得ようとした。
「お父さんもそう思う」
その瞬間、僕はこの人が自分の父親だと確信したのだ。
子供にとって親というのは絶大な存在である。特に小学生の頃の子供なんて、家か学校という狭い生活圏でしか過ごしていない。そんな小さな世界の中で親、特に父親というものは圧倒的な存在であり、唯一神と言っても差し支えない影響力を持っている。
そんな小さな世界で生きている僕は、父との共通点が欲しかった。普段、当たり前のように会話はしているし、父とのコミュニケーションに不自由を感じたことはなかったが、僕の好きなことと父の好きなことに接点がない。僕はゲーム、漫画、アニメなどのインドア志向であるのに対し、父の趣味といえばキャンプや海、ハイキングといった完全なるアウトドア志向であった。
圧倒的な存在である父から興味を持たれたい。そして自分も圧倒的な存在であるという錯覚に陥りたい。いつしかそんな感情を知らず知らずのうちに持ち合わせていたからなのか、父に対して自分の趣味嗜好をアピールするようになっていった。
しかしこれがなんとも難しい。ゲームの話をしても父は全くなびかない。かといって、父の趣味に歩み寄るほどアウトドアを好きになれない。そもそもそこで歩み寄ってしまったら、それは自分ではなく、ただの父の真似なのだ。確固たる自分を認められてこそ、初めて自分自身が認められる、それが何より大事であった。
そして、冒頭のセリフに戻る。
その頃はテレビの規制が今ほど厳しくなかったので、地上波で平然と女性の乳房が露わになるような夢のような番組が放送されることがままあった。
その日、僕と父は温泉殺人事件とかそんな感じのタイトルのドラマを二人で見ていた。すると唐突に演じている女優の裸体が映った。いきなりのご褒美に僕は戸惑った。当然、僕も男であるからこのようなシーンは大歓迎なのだが、父と見ているという気まずさが部屋を埋め尽くす。なぜこのタイミングなんだ。番組タイトルから察するに絶対に乳房があらわになることはわかってた。だから食い入るように見ていたのに、風呂上がりの父親が普段見もしないテレビを一緒になって見ていたのだ。父ももしかしたら乳が映るのがわかってたのかもしれない。ちちだけに。
しかし、この空気、どうしてくれようか。っと悩んでいたら父がその空気をぶち破った。
「お前、どっちの人が好みだ?」
改めてテレビを見ると、裸体になっている女性は二人いた。合計4つの乳房。そのうちどちらのペア乳房が好きかを父は僕に問うてきたのだ。いくら気まずいからって、会話が中学生男児じゃないか。多分父も気まずかったのかもしれない。苦し紛れのお茶の濁し方だったのかもしれないが、その問いは悪手ではなかろうか。
しかしその悪手すぎる悪手が返って僕を冷静にさせた。あっ、この会話はありなんだ、と幼心に結論づけられたのだ。
「右の人かなー」
「なるほど。でかいしな」
僕が冷静になったからなのか、父も冷静になったように見える。いや、もとより動揺なんてしてなかったのかもしれない。女性の裸体を前にして自分の子供に性癖を尋ねる、これが素の父かも。
しかし、これはチャンスだ。なぜだか知らないけど、父は下ネタをふってきた。逆にいうと、アウトドア以外での父の興味は下ネタにあるのかもしれない。そう思い、普段から考えていることを僕は口走った。
「でもさ……ただの裸の女の人より、靴下だけを履いている女の人の方がなんかいいよね」
「お父さんもそう思う」
ついに父からの共感を得ることができた。何をいっても響かなかった父から、エロによって同意を得ることができた。キャッチボールした会話は他人から見たら明後日の方向に飛んで言っているようにも見えるのだろうが、確実に僕の心のミットにはおさまっていた。
そして、この瞬間、僕の父親はやはりこの人なんだと確信した。父に対して、この人は僕の父親ではないという疑念を抱いたことはなかったが、この人が僕の父親です!と確信したのはこの時が初めてだった。
とにかく心の中には嬉しさと裸体の女性が溢れていた。
それから10年後。
僕は大学生になっていた。下宿先から、夏休みを利用して実家に帰省していた。必要なものは下宿先に運んでしまったので、実家にいてもぼんやりとテレビを眺めるぐらいしかやることがなかった。
その日は僕と父親だけが家にいた。気だるそうにテレビを見ていると、父がのそっと現れて僕に言った。
「お父さんな、今から家を出て行くから荷物を運ぶのを手伝え」
突然、実家を出て行く宣言を受けた。外出とかではなく、まじもんの家出である。しかし、僕は狼狽えることなく「わかった」と二つ返事で了承し、二人で父の荷物を運び出した。
10年前に父の共感を得た僕は、この人が父であるという確信を得ることができた。それからというもの、父が自分の世界に降りてきたと思えるようになった。それまでは何を考えているのかさっぱりわからない、僕の考えられる限界を超えていた父だったけど、あの日の会話をきっかけに父は神様ではなく自分と同じ人間であることがわかった。そのせいか、なんとなく父の考えていることが漠然とわかる時があった。
いずれ父親は家を出て行く気がする。
いつからか僕はそんな予測を立てていた。理由を聞かれてもよくわからない。ただなんとなくそんな気がしていた。
だから、父から「出ていく」と言われても特に動揺することもなく、ただそれを受け入れた。出て行くのはなんとなくわかっていたが、実の息子に、出て行く際の荷物運びを手伝わせるなんて思わなかったが……出て行くことについては何も思わなかったが手伝えと言われた時は「こいつ正気か?」と思った。
一通りの荷物を車に詰め込んで、父親はこういった。
「じゃあな。もうこの家には帰ってこないから」
「プリンターと原付も持っていくのかよ……それ使うんだけど」
「俺も使うんだよこれ」
「まぁいいけど。じゃあね」
「お母さんをよろしくな」
そういって父は出て行った。
先にも書いたが、父が出ていくことは前から予期していた。ではなぜこのタイミングだったのだろう。恐らく、僕が大学卒業を間近に控えていたからだろう。つまり父の子育てはここで終わりだと、父の中で区切りをつけたのだ。逆にいうと、もう父の子供ではなく、僕が一人の人間になれたのがこの瞬間なのかもしれない。と同時に、父自身も“父親“という存在から解放されたのだ。お互いがただの人になったのだ。
まぁ実際のところ本当に父がそう思っていたかはわからない。こいつ、夏休みで暇そうだから今なら家出るの手伝ってくれそうだな、とか安直な考えで家出したのかもしれない。のび太かよ。
しかし、父から認められたと思い込んだのか、父が颯爽と出て行ったのに気分は晴れていた。未知のものに挑む不安とワクワクがいい具合にブレンドされているようで、僕の心は高揚した。ここからが僕の人生なのかもしれない。好きに道を選んで、死ぬも生きるも自分次第なのだ。それを、最後の最後に父は僕に教えてくれた。最後にしっかりと父としての責任を全うしたのだ。全部僕の勘違いかもしれないけど。あと夫としての責任は遠くの彼方に投げ捨てられてるけど。
そして、さらに10年後。
僕は社会人になり、家庭を持った。
そんな生活の中、久しぶりに父に会った。
「よく自分の子供に、自分が出ていく時の荷物運びを手伝わせたな。子供を持った僕からすると考えられない」
居酒屋に入り、酒をあおりながら僕は父に聞いたら彼はこたえた。
「普通は子供に手伝わせたりしないよな。でもお前なら何も言わず、何も感じず手伝ってくれると思った」
僕はなんとも言えない気持ちになった。確かに何も感じなかったどころか、ちょっと楽しくなった。そしてそれを父に見透かされていた。あの日、一人の人間として認められた気がしていたが、結局父の手のひらの上で踊らされていただけなのかもしれない。なんだか煮えきらなさが残るものの、それもまた父と子の一つの絆なのかもなと思い直した。
そんな想いに浸っていると、あの質問が脳裏をよぎった。
「そういえばさ、前に裸の女の人より靴下を履いているだけの女の人の方がいいって話したの覚えてる?」
「そんな話をしたの?俺がお前と?父親として最低だな」
「そうだよ、お父さんは最低な部類だと思うよ。ちなみにその時は二人とも靴下ありがいいよなってことで共感したし、僕もいまだにそう思ってるけど」
「え?一矢纏わぬ姿の方がいいに決まってるだろ」
やっぱり、僕の父親はもういなくなったようだ。
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