受動的な状態

マズローの5段階欲求の話は前から知っていたけれど、それを実際に自分の組織や自分の環境・状態に適用することができたので、それを書き残す。

マズローの5段階欲求とは、
生理的欲求 → 安全的欲求 → 社会的欲求 → 承認欲求 → 自己実現欲求
の順番に人は欲求を満たしていくということを言ってるもので、
逆に左のものを満たしてないと、右に行くことができないということを言っている。
最近は5段階じゃないんじゃないかー?とか、色々意見があるけれど、ぼくはこの5段階欲求で考えるのがとてもしっくりきたので、この説を採用することにしている。

まず大前提この5段階欲求は、自身のおかれる環境・関係性ごとにあると思う。どこかの組織では社会的欲求が満たされていないけれど、どこかの組織の中では承認欲求まで満たされているみたいなのがある。

一旦、自分のことでいうと、Geneという組織での仲間との関係性において、社会的欲求までは満たされている前提で考えている。
巨大な組織だと、きっと社会的欲求やその前の安全的欲求から満たしていかないといけないのだと思うけど(これが心理的安全性?)、うちのようなまだ小さな組織で、関係性も濃いと社会的欲求までは満たされていると捉えて良い。

自分がなんでこの5段階欲求のことを考えることになったかというと、うちの組織の仲間は本当に一流で、本当に素晴らしい人たちなのに、この3人が集まったにも関わらず、2ヶ月間で出した具体的な成果がとても満足行くものではなかったからだ。
そこで、自分は反省をして、どこか満足していた自分もいたし、自分も含めて皆どこか受動的だったのではないか?と考えた。
顕在的には頑張ってるし、動いてるし、本気なんだけど、無意識領域ではどこか、ここまでやってるから大丈夫とか、誰かがどうにかしてくれる、とか、そういった声や気持ちがあるからこそ、こんな2ヶ月だったのではないかと。
こんな素晴らしい仲間が3人で集まって、こんなもんじゃない、なにかがおかしい、と思ったのがきっかけだった。

じゃあ、なんで受動的になっているんだろう?と考えたら、承認欲求が満たされていないと人は受動的になる。受動的なほうが、承認される確率が高いからだ。
この承認欲求を満たすために一番効果的なことは、「話を聞いてもらえること。理解してもらえること」が、もっとも潜在的な承認欲求を満たすことである。
振り返ってみると、会社において、ぼくのような人間が代表だと、ほぼみんなといるときはぼくがしゃべっている状態だ。
そもそもぼくはおしゃべりだから、意識しないと7:3くらいでぼくがしゃべっているし、会社とかになると9:1くらいでぼくがしゃべっていたと思う。
だから、ぼくは満足している(=承認されている。話を聞いてもらえているから)けれど、それは非対称で、仲間は、納得・理解はしているけれど、話を聞いてもらえているという感覚が薄い。

じゃあ、常に5 : 5とかであるべきか?というとそんなことはなくて、普段は 7:3くらいでいいと思うのだけれど、明確に 1 : 9くらいで自分のことは話さず、仲間のことを聞く、仲間が自分のことを話す時間を作ることが大事だと思った。
「話しを聞いてもらいたいこと、理解してもらいたいこと」っていうのは、「志 = will」の話だと思っている。
会社でやりたいこと、人生でやりたいことが結構一致している仲間だと思うけれど、それでもそれぞれの人生で成し遂げたいことと、それをこの会社でやろうとしていることは厳密には違う。会社でやるのは、Mustでありしなければならないことにどこかなってしまう。

最初は、WillとMustが近いから良いんだけれど、これにも垢がつくから、どこかMustが強くなってきて、Willがおざなりになる。で、Willが満たせてないと、受動的になったり、消極的になったりする。あと被害者的な思想になったりする。これは自分の実体験だ。

から、1 : 9で話しを聞くときは、Willの話、志の話を聞く。
この時間は、あなたのための時間ということを明確に共有する。
じゃあ、それで話せるか?というと、それだけではだめだ。
話せるようになるためには、関係性が必要だ。
だから、関係性の垢も落としていく必要がある。

自分は、この関係性の垢を落とすために、平日毎朝10分、顔を合わせて、そのときの気持ちを偽りなく共有するという会をまずやり始めた。
そうやって互いに1日の最初にそういった自分のことを共有し、相手のことを知る、そういったことがそれぞれの自分のこころの垢を落とすし、互いの関係性の垢を落としていくことだと考えている。
Geneではこの会を「至誠の礼」と呼んでいる。
至誠とは、自らに嘘・偽りがないこと、であり、自分に嘘つかないということを意図してこの名前にしている。嘘・偽りがないと、エネルギー値が高まる。

そんな、こんなを思って色々取り組んで、今日は志について話を聞くことができて、これは探究会と呼んでいるのだけれど、本当に素晴らしい時間だったし、ぼくの中では素晴らしい体験が起こっていた。
たぶん、仲間の中でも起こっていたように思う。

巡り巡って、今日、取り組みにおいても大きな成果も決まったし、流れの中に身を置くとはこういうことなのかなと思っている。

素晴らしい仲間と共に歩めることに、本当に感謝しかない。

本日も読んでくださりありがとうございました。感謝します。

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