会話ベタについての考察
今回は会話について考えてみる。
今までの交友関係を振り返ると、会話がべらぼうに上手な人間もいれば、そうでない人間もいた。そこで、それぞれの属性の共通点を見出して行きたいと思う。
まずは会話の上手さというものを考察しよう。上手いという抽象的表現を具体化するとすれば「視聴者参加型の洒落怖」ではないだろうか。
洒落怖は2ちゃんねるのオカルト板「死ぬ程洒落にならない程怖い話を集めてみない?」に投稿された怪談話である。ここに投稿される話には主に
①スレ主が物語を逐次投下していく配信者型
②概形は投下していくものの細部は他のスレ民の質問に答える形で仕上げる視聴者参加型
に分けられる。この②のタイプで、特に殿堂入りと称される作品のスレ主/スレ民達のコミュニケーションが実に「上手い」と言うべきものだと考える。
スレ主は不必要な空間描写等は削ぎ落としテンポよく起承転結を示す。スレ民はストーリーの肝心となる事柄に関する質問をするという事が見ていて引き込まれる名作性を生み出してるのだと思われる。
この具体例を生かして会話ベタの人達を分析してみる。私は2つの特徴を見出した。
まず1つ目は、会話ベタは話の内容を0から構築/再現しようと試みる傾向にある。自らが射影機の如く当時見聞きした情報全てを伝達しようとする為に会話のテンポが著しく低下していく。すると聞き手の興味が徐々に薄れていき、それを察知して無理に話を〆ようと焦る事で結果として起承転結が曖昧で歪なものになってしまう。
会話は情報の加算ではなく減算が重要である。雪だるまを作る為に小玉を転がし大きくするような方式では起承転結の各バランスが取りにくく「ダレ」を生じかねない。それならば、彫刻を作るように不必要な情報をどんどん削ぎ落としていけば起承転結は明らかゆえ聞き手もスムーズに話の輪郭を掴み取れる。そして、削ぎ落とした情報は聞き手からの質問に答える事で補完することができる。これが会話の上手下手を決める1つの要素だろう。
次に2つ目は、会話ベタの特徴として隙あらば自分語りという会話のドッジボールを行う傾向にある事が挙げられる。自由気ままにマシンガントークを行い、ようやく主導権を渡したかと思えば隙自語を展開し主導権を強奪して再度マシンガントーク…というサイクルは会話ベタの必殺技だろう。
時折「コミュニケーション=自分が話したい内容を伝える事」と捉えてる者を見かける。自分が話したい事があるように、他者にも話したい内容があるはずである。互いが話したい事をを話す為に主導権を譲り合いキャッチボールをする事が会話の理想である事を忘れてはならない。
洒落怖はスレ主が話す内容のタイトルが明示されているから話の中核から大きく逸れた質問はあまりされない。これを意識して互いに現在進行している会話のテーマを正確に認識して、かつ現在の主導者はどちらかを意識する事で会話を行うと、テンポよく互いに気持ちの良い会話が実現される。しかしながら、会話ベタは常に自信が主導権を有していると誤解してしまっているがために一方的な会話、というよりもむしろ実況を展開してしまう。これを続けているようでは聞き手としては「自分も話したい事があるのに…」と会話にストレスを感じてしまい、この人と会話をするのはあまり楽しくないと捉え、控えるようになりそれが会話の経験が減少する事に繋がってより一層会話ベタになるという循環に陥りかねない。
上手く会話が出来ないのは自身の話題提示量が少ないのではなく、むしろ過多であるかもしれないと自省する事が成長の鍵かもしれない。
今回会話ベタの特徴を洗い出して見ることで普段の自身の会話形態を振り返る事ができた。相手にもっと会話をしたいと思われるかつ、自分も気持ち良く会話を行える事をゴールとしていきたい。
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