ネコのホクがいなくなった。
ハワイ島の聖地マウナケア山を守る運動を支援するため、週一で通うことにした。聖地である山頂に直径30mのどでかい天体望遠鏡の天文台を建設するのを阻止する運動だ。原住民のハワイアンの人々が中心で動いているが、よくハワイアンの人たちのことを知らないこともあって、ちょっと居心地が良くない。もちろん、彼らは運動を支援する人に対してとてもフレンドリーだけれども、うまく溶け込めない自分がいる。支援に来てはみたけれども、1日に数回行われる祈りやフラの儀式に参加する以外の時間は一人でぽつねんとしている。そういうのも辛いので、何か役立つことをして時間を過ごしたいと思う。
よせばいいのに、数年前までやっていた鍼治療をボランティアでやりますと言ってしまった。鍼灸師として20年ほど生きていたけれども、体に無理がかかって辞めるしかなくなったという経緯がある。で、言ったからにはやるしかないので、2人に施術した。もちろんやるからには心を込めてやったし、そのときは何ともなかったのだが、帰宅してから異常にしんどくて、2時間爆睡してしまった。ああ、やっぱり鍼をやってはだめなんだ。私には終わってることなのに、他に役立つことなどないと思っている私は、ついつい簡単に人に喜んでもらえるカードを出してしまった。何で人生を逆行するようなことをするんだと思いつつ。
帰宅した夜、ネコのホクが戻って来なかった。たまに一晩戻らないことは今までにもあったが、翌朝には戻って来ていた。が、今回はいつもと違う気がする。彼はもうじき6才になるオスネコで、子供の頃から自分のことしか考えないで、マイペースで行動する。そりゃあネコは一般的にそういう傾向があるが、彼は類いまれなる自己中ネコだ。ごはんを要求するときは黙って机の上にあるものをどんどん突き落として私の気をひく。私が立ち上がって台所に向かうまで容赦なくガラス瓶でも何でも平気でガンガン落とす。気に入られ受け入れられようと姑息な行動に出る私とは対極の生き方をしている。私は彼の自己中ぶりと確固たる自信を学ばなければとずっと思って来た。言わば彼は私の師である。
その彼が家出した。長く一緒に暮らして来た者が急に前触れもなくいなくなるのはショックだ。しかも彼は私の師である。その眠れない夜、私はひどく反省した。人に何と思われようと、ただぽつねんとしているだけでも、支援したいという気持ちに嘘はないのだから堂々としてればいい。実用面で役に立たなくてもいい。何か役に立つことをしていないと、自分の居場所がなくて居心地が悪いと感じる私は、後でしんどい思いをするかもしれないと思いつつ治療してしまった。ホクが日々教えてくれていることに逆らうことをしてしまったと悔やんだ。彼は家出をすることで私に反省を促した。そして私の中に潜む、人の目を気にせずにただあるがままを堂々と生きる自分を覚醒させようとしているのだと悟った。
話はさかのぼるが、私は11才ぐらいから女の子に興味を持った。性的にだ。簡単に言えば好きになった。もっと小さな子供の頃は自分の性別を強く意識することはあまりなかったし、そのことで不自由に感じることはあまりなかった。親や周囲の人は女の子であることを疑わなかったし、私もそうだと思い込んでいたらしい。当時は男女以外に性別はなかったし、疑いの余地はなかった。が、思春期を迎え、最初のうちはただ夢中になって、女の子を追いかけていたが、どうも大人たちは宜しくない、どうしたもんだろうと思っている様子が伝わって来た。しかも、私は女の子っぽい遊びには興味がなく、柔道や剣道を見よう見まねでやろうとして、ひとりで鍛錬することに喜びを覚えていた。特にこの頃から女の子として見られたり扱われたりするのは束縛されるようでいやだった。そして好きになる女の子は私にとって異性だった。このあたりから女の子として見られることに強く抵抗を感じるようになったと思う。同時に女の子を好きになることはまずいことなんだと察知して、抑えたり隠そうとはしたものの、第二次性徴期のホルモン分泌には抵抗できない。次々と恋をして、性的行為に及んだこともあった。が、いつも後ろめたい気持ちがまとわりついたし、周りの目を気にして隠そうとした。今思うと、性エネルギーというとてつもなく強い原動力に突き動かされていたから、そりゃあ、隠そうというのは無理だった。親や周囲の刷り込みみたいなもので歯止めが効くわけがない。頭で根源的な命のエネルギーを抑えるなんて所詮無理な話だ。
中学、高校と制服があった。はっきりと男女別の制服だ。女子はスカート。なんでやねん、と思いつつ、仕方なく目を瞑っていた。そういうところで抵抗して親や学校に受け入れられなくなるのは辛かったからだと思う。こういうところでも私はありのままの自分を見捨てて生きることをし出した。知らず識らずのうちに、私は周囲に媚びへつらい、世間的に受け入れられることを覚えた。それでも女の子に恋してたし、学校以外では女の子の格好はしなかったけどね。
親から離れて大学に行くようになって初めて親の監視の目がなくなり、しっかりと恋愛を楽しんだ。他の学生たちからは変わってるとは思われてたけど、多めに見られていたと思う。が、卒業間近になって、もう自分の人生は終わりだと思った。就職というものをしなければならない。もうまじで女の格好をして自分を抑えこんで隠れて生きなければならない。死んだも同然だ。昭和である。
息苦しい会社勤務は一年も続かず海外脱出した。サンフランシスコへ。そう、あのゲイの街へ。もう隠さなくていいし、やったー、好きなことをして生きられる、と思った。実際、日本を離れて外国で住むというだけでも、軽くなるけど、ゲイ、レズビアン人口の多い街に住むのは心地よかった。仕事は長時間労働を強いられてきつかったけど、しばらくは自分を隠さずに淡々と生活できるだけで幸せだった。やっと一息つける感じだった。
数年後、鍼灸師になるために学校に通い、晴れて鍼灸師、漢方医となった。東洋医術の深淵な世界に魅了され、治療を通して人と関われることがとてもありがたかった。治療をしているときは、男でも女でもなく、性的な存在でもなく、治療家だ。しかも、人に喜ばれ尊敬さえされることも多い。私はやっと隠れることもなく、堂々と胸を張って生きることができる職業につけたことが嬉しくて仕方なかった。しかも自分の興味のあることでだ。この仕事に打ち込みだして、自分の性別や性的指向のことなど気にならなくなった。天職だと思ったし、一生続けるつもりでいた。ありがたいことに患者は増え、充実した、いわゆる幸せな毎日を送っていた。今から思うに、患者に喜ばれ患者の数が増えることで私は社会でもやっていける、認められていると感じていたのだ。裏を返せば、私のような変わり者がこんなに人に喜ばれ重宝されるのが嬉しくて、無理に体を押してでもその肯定感を得るために頑張ったんだと思う。そして鍼灸師という道があることで私は救われた思いがしていた。やっと自分の居場所が見つかったのだ。鍼灸師として生きることで社会的安定とそれに伴う精神的安定を得ていた。
人によっては、こういうのを、いろんな精神的な傷はあったけど、うまく適性のある仕事を見つけ、それを通して自己実現することで成功している例だと言うのだろう。が、私の魂はそれを良しとはしなかった。患者が増えるにつれだんだんと私の体力が衰えていった。最終的には立っているのも苦しくなるほどになって、辞めざるを得なくなった。もちろん社会的安定も精神的安定も失い、経済基盤も失った。実際のところ経済基盤を失ったのは痛かったが、それ以上に辛かったのは社会と私との間にあった鍼灸師という盾と鎧を失ったことだった。もう丸腰で裸である。そこには、思春期の頃から自分はヤバい人間で隠れて生きねばならないと思っていた自分が残されていた。だから自分には居場所はないし、ひとりでぽつねんとしているしかないと思っている。その居心地の悪さから逃れるために、やりたくないことをしてしまう。
だから治療をしたらしんどくなるのを知っていたにもかかわらずマウナケアでボランティアで鍼治療をしてしまった。我ながら辛い。が、同時に本来の生まれつき持っているユニークな自分を生き出す時でもあるんだという認識に至った。ホクのおかげである。ホクがその日からいなくなることで、彼は「おまえももう好きなように生きろよ。人に好かれなくていいから、おまえのユニークなそのままを生きろよ。新しい人生を歩めよ。俺もちょっと行ってくらあ。」と言っている気がした。ふらっと出て行ってしまった。しばらく帰ってこない気がする。が、元気でやってると思う。彼にこの文章を書く勇気をもらった。ありがとう、師匠。