孤独がデフォルトになっていると愛情を欲していることさえわからない
数ヶ月前にボランティアで数人の人の体を治療した。治療前からその人たちの事は少しだが知っていて何度か言葉を交わす機会もあった。これといって大切な話でもなく、表面的な何ということもない話だった。が、治療中にその人たちはかなり個人的な話を私にしてくれた。この治療という特殊な空間に入った途端、急に距離が縮まり、私に文字通り体を預けてくれただけでなく、心をも預けてくれた。この信頼感。
治療を離れて何年も経っていたので、その時は「ああそうだった、治療してるととても信頼をしてもらうことが多かったな」と思い出した程度で、それ以上は考えなかった。
話は飛ぶが、去年になって私は急に、自分の性自認や性的指向に関わる自分の持っている負の意識、特に感情面での恥の感覚をなんとかしなければいけないと感じることが多くなった。自分が男でも女でもないこと、女性に惹かれることなどに関して頭では受け入れていたけれども、感情面ではまだ傷ついていて受け入れていないということを思わせる体験を去年になって何度もした。これは、周りでそういうことが去年になって多く起こったというよりは、今までにもそういうことはあったのにもかかわらず、あまりにもそれが自分にとって普通の体験だったし、無意識にそれを深く感じないようにしてきたから気づかなかっただけと言う方が正確だろう。去年ぐらいから、自分の心でもっと感じるようにしようと思うようになったからだと思う。もう何十年も経つのに、子供の頃のトラウマというのは積極的に癒すことをしてあげないと無くならないなと思う。
子供の頃に自分が女の子(だと当時は思っていた)なのに女の子を好きになって、「あの子ちょっと変だ」と思われていたり、親や周りが私の恋愛感情に基づく行動を明らかにイケナイこととして見ているけれども、それをどうしようもできないでいる自分が、その痛みを最小限に留めたいからとった行動がある。それはそういう部分を隠すだけでなく、周囲から自分を切り離すことだった。簡単に言えば心を閉ざした。別に考えてそうしたわけではなく、そうなってしまっていた。
周りに私のような人は誰もいなかったので、本当に私のような人間は世の中でたった一人なんだと思い込んでいた。誰にも言えないと思い込んでいたし、とても孤独だった。私はこの世の中の隅っこの方で目立たないように、生きていくしかないと思った。自分を出せば異常者だと思われ、拒絶されるのが怖かった。そんな状態が11歳ぐらいから20歳ぐらいまで続いたので、自分を社会からできるだけ切り離し、独りで生きていくということが、私にとっては当然で普通のことになっていた。それ以外の生き方を知らなかった。つまり人を信頼するとか、助け合うとか、みんなと一緒に、とかいうのは私にとっては異文化の世界だった。学校教育の中でそういうことをするのが社会の一員として大切だということは学んだ気がするが、もちろん全然実感を伴うものではなかった。だいたい自分は社会の一員だとはとても思えなかった。
しかし、その当時、奥底で感じていた孤独な自分と、社会に合わせてなんとかやっていくしかないと思って自分を抑え込んで生きてた自分の二人が混在していたので、助け合うとか、人を信頼するとかいうのは大切なんだと一応頭では知ってはいた。社会の一員として振る舞おうとする自分がいたが、同時に社会の一員でなんかあるわけないだろーと思っている自分もいた。
それが、治療家となることで急に人から信頼や親愛の気持ちをもってもらう体験をし出した。治療というとても特殊で限られた空間において、私はただ患者のために一生懸命に治療することが面白かったし楽しかったからやっていただけなのに、思いもよらず人は私のことをすごく信頼してくれて、愛情を持ってくれた。最初のうちは、社会の隅っこで外れて生きていて、ときどき人前に出ていって治療という形で人と関わり生息していただけのつもりだった。が、治療そのものがとても面白かったのでどんどんハマり出し、私の天職だと思うようになった。
それでも、私はいわゆる医者ではなく、世の中のど真ん中を生きるような仕事ではないので、片隅で隠れるようにして生きてきた私には丁度いい温度の仕事だった。小さな自分の世界を守ることができていたので社会とのバランスもよくて心地が良かった。その当時は全然気づいていなかったが、私は独り狼であったのにもかかわらず、患者からたくさんの愛情をもらうようになっていた。嬉しかったけれども、それは患者と術者の関係でのみあるものだと思っていたので、生身の私個人としてそれをちゃんと受け入れていなかったのだと、今思う。治療家である私にもらっている愛情なので、そこから一歩ひいて存在している自分はその愛情に対しても距離を置いていた。
が、先日、この数ヶ月前のボランティアをしたときの信頼感のことを思い出す機会があって、孤独で社会の隅っこで生きている自分にとって、あんなに人から信頼され愛情をもらうことは、とても嬉しいことで信じられないことだったのだということに気づいた。治療家であることをやめて、そのままの孤独なだけの自分だからこそ気づいたのだが、私は人との信頼関係や愛情をとても欲していたのだ。一匹狼で生きていたけれど、そして孤独であることで自分を守っていたつもりだったけれども、本当は人の愛情が欲しくて仕方なかったのだ。そのことにこんなにも長く気がつかなかったことに今、唖然としている。あまりに孤独で社会の隅で人との心の交流を避けて生きるのが普通になっていた私は、愛情を欲しがっている自分がいるのに気がつかなかった。大きな盲点だ。
が、気がつくことができたのは大きな前進だと思う。今どうしたらいいのかはよくわからない。全身を大きなカナヅチか何かで叩かれて、大きな硬い殻が一枚崩れ落ちたような感覚がある。そしてそこに赤ちゃんのように柔らかくて繊細な自分が現れた。大切にしてあげたい。