生前は不幸だった母が今になって教えてくれたこと
今朝、瞑想中に亡くなった母が出てきてくれた。もう20年以上前に亡くなっている。生前は私との関係も複雑だったし、かなりの苦労をした人なので生きているときはしんどそうだった。が、ここ何年も、出てきてくれる時にはいつも観音様のような愛の存在で彼女本来のエネルギー状態を見せてくれる。
今朝もそうだった。大きな広がる優しい愛の存在で、私に語りかけてくれた。今朝はその愛情がとてもありがたいと強く感じた。
彼女の両親はまだ母がかなり幼い頃に亡くなったので、意地悪な継母に育てられた。しかも、母は「妾の子」として生まれたため、周囲から不憫がられていたが、差別されても仕方がないという昭和一桁から二桁に変わる時代に育ち、家族の愛情というものをほとんど知らずに子供時代を過ごした。腹違いのかなり年上の兄と姉たちが数人いて、この人たちからは優しくされたこともあったらしいが、継母の目を気にしてか、表向きにはあまり親しくできなかったらしい。
この継母にとっては私の母が目に障るだけの存在だったらしく、母が小学校の低学年の時に学校で「家に帰ったら『ただいま』と挨拶しましょう」と習ったので、そのようにしたら、「おまえのようなのはそんなことを言う必要はない」と言われたらしい。さらに、何度も「おまえは生まれて来なくてよかった」と言われているという話を何度も聞いた。今なら明らかな子供に対する虐待だと思うが、もう100年近くも昔の話で、妾の子に生まれたのだから仕方のない不幸な運命だとしか思われていなかった頃のことだ。これが日常だったので、母はいつもビクビクして人の目の色を伺うようにして育ち、大人になってからもその癖は抜けなかったようだ。結果として彼女は子供の頃のトラウマを抱え、それによって作り出された現実を何度も再生するような人生を送った。
母のように、そのトラウマが日常だと、結果として外からのトラウマ刺激がなくなっても、トラウマに対応する体制が内側に出来上がってしまう。それでいつも構えてしまう。それを再生することで、本来は優しい愛情いっぱいの存在であったにもかかわらず、それがどんどん曇って、硬くなり、まるで堅い管の細いところからしかその優しいエネルギーを出せなくなっていった。人間は嫌な思いをたくさんすると固くなってしまう。子供の頃はまだ生命力が溢れているから、ある程度跳ね返す力を持ってはいるが、繰り返し愛情のない態度に遭遇する経験をすると、条件反射でかたばるし、年を重ねることでそのかたばりの再生回数も増え、跳ね返す力も無くなってくる。まるで血管の壁の内側にたくさんの脂肪などがへばりつき、それが時間とともに固くなって血管を硬く狭くして血液の流れが悪くなってしまうように。
瞑想中の私には、その硬く細い管が母本来の大きな愛情のエネルギーを狭めて、いかに彼女の人生を息苦しくしていったかが、はっきりとわかったし、母がそれを見せてくれているのを感じた。肉体を持って生きるということは、物理的なものだけでなく、いろんな社会的制限と付き合わなければならない。それで傷ついたり歪んだりすることが多くなり、もともとある光のようなエネルギーが小さくなってしまう。
そして母の一番のメッセージは、ここだ。母がトラウマのストーリーの再生を繰り返すことで自分の人生を狭めていったように、私も過去のトラウマにより作り出された思い込みやかたばりをたくさん持っていて、私本来のエネルギーを思う存分出しきれなくなっている。子供の頃からいつもこいつは男なのか女なのかどっち?という不審な目で見られたり、女の子らしくないから世間でやっていけないと言われたり、女子トイレでしょっちゅう白い目で見られるという経験から、私はこの社会ではうまくやっていけないし、居場所がないと感じてきた。未だにその感覚があるので、肝心な時に自分の存在を主張することができず、すぐに引っ込んでしまう。私も細くて硬くなった管を通してしか生きていないと思う。今朝の母のメッセージでそのことが視覚的にもはっきりとわかった。
私自身の本来ののびやかな大きなエネルギーというのは今のところはよくわからない。母が子供の頃のトラウマにより、かたばり、かじかみ、生きづらそうにしていた姿はよく知っている。あまり幸せとは言い難い人生だったと思う。亡くなってから肉体や社会によって作られた制限から完全に解放され、空いっぱいに広がるような本来の母の大きな愛の状態を見せてくれるようになった。この対照的な母の状態をよく知っているから、私も多分、本来はすごく大きなエネルギーなんだと想像はつく。
こんなふうに、亡き母から愛に溢れたメッセージをもらって、驚いてはいるが、こんなに愛されているのって本当にありがたいと思う。母は自分の辛かった人生をもって私に同じことを繰り返す必要はないと教えてくれている。もっと自分らしく生きることができると、見せてくれた。
生きているときは、彼女の苦労やかたばってしまった物の見方が、結果として私を苦しめたこともあったし、私のトラウマ経験を作った部分もある。母はそのときは社会の常識に合わせることでしか生き延びることを知らなかった。私が男のような身なりや振る舞いをすることに対して、母自身が持っていた、社会から拒絶されるかもしれないという不安を刺激され、そういう私を否定し、変えようとすることでしか私に接することができなかった。私の心に対する影響など全然考えることはできなかったけれど、母は母なりに精一杯生きていた。時代の意識の限界もある。悲しいが仕方がないことだ。こういうのを家系トラウマとか先祖トラウマと言うらしい。母も私も同じように社会からの疎外感や孤独感を強く持って生きてきた。が、母は今、私にもっと自由に生きられるよと言ってきてくれている。亡くなって20年以上してから私に大きなプレゼントをしてくれた。しかもこのプレゼント、今までの母と私との不幸なところもあった歴史があったからこそ、大きな意味を持つ。すべては完璧に動いていると思わせてくれる一件だ。
母に大きな感謝。母には私を理解するのは不可能だと思ってきたが、母は私が想像するよりずっと大きな視点で、大きな愛でしっかりと応援してくれている。そして、この関係を選んで生まれた私の魂に感謝。宇宙ってうまくできてるし、愛のエネルギーに満ちているというのを垣間見せてくれる。