
「ヘウレーカ」レビュー
倫理の教科書も哲学書も、これほど語ってはくれなかった。だが、この作品も語ってはいない。「それらしい」ことは一言も。
私はアルキメデスと生きた。彼の晩年、同じ時代を。
「ヘウレーカ」。歴史に残る彼の言葉だ。だが、この作品では全くそのことに触れていない。アルキメデスの発明・逸話も確かに歴史に残るものだ。しかし、彼は作中で全く「活躍しない」。
考えてみれば、岩明均氏の作品は不思議である。この漫画を私が選んだのは、もちろん「『ミギー』の人だから」なのだが、その『ミギー』主演の「寄生獣」も不思議な作品だった。しいて言えばハッピーエンドだろうが、厳密に言えばハッピーでもアンハッピーでもない終わり方である。この「ヘウレーカ」もそうだ。違うのは史実を元にしている点である。が、歴史ものでもなく、偉人伝でもなく、ただ、「ずしりと重いもの」を読者に残して、行ってしまうのである。そして、作品から与えられるものは、たぶん読者それぞれによって違う。
例えば、この時代の大量殺戮兵器。現代のそれとははるかに少ない殺傷力しかないだろうが、それでも岩明氏の描写の前には身がすくむ思いである。「人が人を殺す」あるいは「大量に人を殺す」ということが、いかに「非人間的」であるか。キレイな映像に慣らされて、我々は忘れてはいないだろうか? にもかかわらず、その「力」を使う者がいる。果たして使う者だけが「非人間的」なのだろうか。作中には答えのカケラが見え隠れする。読者である私たちが考えるべき手がかりだ。
「1人殺せば 殺人犯/世界中の半分を殺せば 英雄/人間を全部殺せば 神である」
あるいは、アルキメデスの科白の中に、
「用途は十分心得ておった/わしも全くの同罪じゃ」
「アルキメデスの法則」で歴史に残る彼。彼は何が「わかった」のだろう。
優れた小説に出会った時、哀しみに似た感情を味わったことはないだろうか。「私はもう前の私ではない。この本を読む前の私には戻れない」。
「ヘウレーカ」。この言葉は、以前はただの単語だった。こんな重さ、こんな色彩は持たなかったはずだ。だが、私はもう、読む前の私にはもどれない。
2003/02/07 17:31寄稿
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