![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/7755055/rectangle_large_type_2_2a7a0f3c4d7e646a0a2109f1b6f422c5.jpg?width=1200)
Photo by
lahainanoon
人生が旅だって、昔の人も言ってた
有り体に言って、エスコートが必要な体なので、
旅行どころか、近所のスーパーもダンナと一緒である。
今日も、休日のまとめ買い。
特に目立つ介助は必要ないので、
ごく普通の夫婦ですが?
旅する日本語、ってっから旅行の話ばっかしてたけど、差添い、って、
どの旅を語ればええんじゃ!
いや、むしろ日常を語るべきじゃね?
目の前を、杖をついた老婦人が通り過ぎる。
82歳の私の母は、大柄な父を介護するうちに腰を痛めた。
「旅行には行けなくなったわねぇ。」
父が死んで三回忌も終えたが、まだ父が死んだ実感がない、と。
人生が旅なら、母はまだ父と同じ舟の上だ。
まだまだ、舟を降りる気はないと。
多分、私もそうだな。
私と夫、どっちが先にあの世に行っちゃうかわからんけど。
「旅」は特別じゃない。非日常じゃない。
時間の流れと空間の移動、生活の中に「旅」はある。
私が乗っている舟には、夫と息子らが同乗しているけれど、
息子らはもうすぐ別の舟に乗るだろうから、
最後まで同じ舟なのは、夫だけ。
まだまだ、この旅を終えるつもりはない。