コクハラについて考えてみた
脈のない相手に告白する事をコクハラというらしい。
Twitterのトレンドに上がっていたのを見て初めて知ったし、それに対して非難する人たちの意見をたくさん見た。
それはそれは酷い言い草だと僕も思う。
思いを寄せる素敵な貴方へ、その人は多くの時間と熱量を込めて持てる勇気を全て振り絞って、それを届けようとするその行為をハラスメントと呼ぶのだから。
ただ僕も思う所は一つあって、その思いを相手が受け止めてくれるかどうかを察知する能力は、ある程度備えていなくてはいけないものだと思う。
まあ自分ではない人間の気持ちが分かるわけないので、そんな事を確実に察知する事は不可能だと思うのだけど、それでも思いを寄せる方と過ごす中で感じられる瞬間とかはあると思う。
好きだとバレたくないからその気持ちは表に一切出さずに思いの方と接して、じゃあもうこの気持ちが抑えられないから告白する!となると流石にこれは自己中心的恋愛感情と表現して良いと思う。
告白は契約書へのサインであり、契約書は一切チラつかせないのに、土壇場で契約書にサインをさせようとする前述の行為はハラスメントと言われても仕方ないのかもしれない。
相互の認識の違いを理解せずに起こる事故は大抵大惨事を招くものだし、それは涙ぐましい努力があれば多少は回避できるものだと思う。
自分の高まる好意感情を抑えきれずに辛くなる気持ちは非常に理解できるし誰でもそうだと思う。
ただそれだけの熱量をぶつけられる事を相手は覚悟しているかどうかを、1度脳内の自分の人格達と冷静に話し合う事をやってみるのは良い事だと思う。
まあそんなことをしたところで告白の成功率が上がるかなんて知った事ではないし、僕も片手では数えられない回数で振られている。
『気持ちは嬉しいけれど、ごめんなさい』
ありきたりな台詞で、練りに練ってきた思いと言葉と行動は木っ端微塵に爆破されるし、その破片はひどく脆い心に余す事なく突き刺さるんだ。
まあそれで心の危機察知能力は高められていくし、なのだから結局は若いうちはコクハラ上等の覚悟で行こうってのが僕の考え。
みんな傷ついて成長するんだから許してよ今だけは。