ハッピーエンドスキー?
ハッピーエンドが好きだ。
すべての物語がハッピーエンドじゃ、そのうち胸焼けを起こすかもしれないなぁと思いつつ、お話がまんまるく、大団円に収まるならその方がいい。特に子供の頃は、今よりずっとそう思っていたと思う。おおよそ、童話がそうだからだ。大概の物語は、「幸せに暮らしましたとさ、おしまい。」で幕を閉じる。子供向けのお話が悲しく終わってしまうのは、夢がないっちゃ夢がないのはそうなんだけどね。
随分前にも少し記事を書いた、「アークナイツ」というスマートフォンアプリがある。2020年に始めて3年半、飽き性の私には珍しく、続けて遊んでいる。割と堅実にファンを増やしているようで、2023年10月現在、第二期になるアニメも放映している。
このアークナイツ、お話が「鬱ゲー/鬱シナリオ」「救いがない」「ダークファンタジー」などと評されることが多い。天変地異レベルの災害が起きるわ、不治の病があるわ、それのせいで差別もあるわ、種族国家間の対立はあるわ、得体の知れない化け物が人類を取り込もうとしているわという世界なので、キラキラハッピーほのぼのファンタジーでないことはまあ、間違いない。とはいえ、ひとくちに「鬱シナリオ」と言ってしまうには、なんだかちょっと勿体無いなーという気持ちでいる。
アークナイツのお話では、基本的に奇跡が起きない。提示された背景とか、人物像とか関係性とか、そういう物語を構成する色々な要素を拾っていった結果の順当なエンディングとして、「助けられない」結末がある。
「助けられなかった」結末だけを見ると、確かに救われないし、やりきれない。だけど、登場人物たちが、そこにいる人の力・ある材料でなんとかしようとして、奮闘する。そうして着地点が残念なものであっても、残った人々は生きていかなきゃならないので、前を向く。そういう風にして物語が進んでいく……ものだと思っている。
それはつまり、現実を生きている私たちもおんなじなのだ。生きている人みんな、それぞれ何某かの事情を抱えて歩いている。悪いことばかりじゃないけど、奇跡は簡単に起こらない。そういうままならなさと、ままならなくても踏ん張って生きていくところに、私は親和性というか、リアリティのようなものを感じていて、アークナイツのお話が好きなのかもしれない。
(余談だが、元は中国語でシナリオが作られている。日本語の読み物として読んでいてほとんど違和感がないので、翻訳チームの語彙力たるや、と毎回感心させられている)
ちなみに、こういう「決して幸せな結末ではないが、主人公ないし登場人物の望みや願いが叶う、満たされて終わる」というエンディングを、"アンハッピーエンド"と呼ぶそうだ。
アンハッピーエンドでも納得できるようになったのは、単に自分の好みが変わったからか、はたまた大人になったからなのか。
なんていいつつ、自分や周りの人々におきる出来事は、可能な限りハッピーエンドでどうかひとつ、と願わずにいられないのである。